たぶん誰も困っていない穴を、今日も掘っている人間
正直なところ、noteで、もう少し稼げたらいいなと思っている。
別に大金持ちになりたいわけではない。
自分が作ったものに値段がついて、それを買ってくれる人がいて、少しずつでも収益になる。
それは普通に超嬉しいことだ。
だから有料記事のことも考えるし、ツールを作ることも考える。
どういう人に向けるのか。
何に困っている人なのか。
無料でどこまで渡して、有料では何を渡すのか。
そういうことも、一応考える。
……ちなみに僕は商学部卒である。
ここまで読んで、「じゃあ、わりと商売について考えるのは得意なのでは」と思われたかもしれない。
僕もそう思いたい。
しかし、最近一つの事実に気づいてしまった。
僕はたぶん、
誰かが困っていることを見つけて、そこから何かを作る人間ではない。
…..逆だった。
まず勝手に穴を掘る。
俺はアナグマか何かか?
最近、古代エジプトの壁画について調べている。
壁画に描かれている人間は、頭は横を向いている。でも目は正面を向いている。肩や胸は正面を向いているのに、腰から下は横向きになる。
最初はただ、「これ、どういうルールなんだろう」と思っただけだった。
そこから、人体の向きを分解した。
どこが横向きで、どこが正面なのか。
現代の人間のポーズを、このルールに当てはめたらどうなるのか。
スマートフォンを見ている人ならどうなる。
電車でつり革につかまっていたら。
机でパソコンを触っていたら。
そういう現代の何でもない場面を、古代エジプト壁画の人体文法へ翻訳できないだろうか。
……と、いうことを考えている。
ここで、一度考えてほしい。
これに困っている人が、一体どこにいるのだろう。
「現代の日常風景を古代エジプト壁画の文法で正確に表現したいのですが、うまくいきません」
そんな相談を、僕はまだ人生で一度も受けたことがない。
たぶん今後も、そう頻繁には来ない。
….ってか普通こねぇわ笑
なのに僕は掘っている。
どうも僕は、需要から始まらないらしい。
自分の中で興味がある。
何かがおかしい。
ちょっと気になる。
どういう仕組みなんだろう。
そこから始まるのだ。
僕の起点は常に好奇心である。
そして、一度気になると、ある程度まで理解しないと気が済まない。
一回試す。
違う。
もう一回やる。
今度は別の条件で試す。
例外が出る。
「なんで?」
その例外を調べる。
すると、その横から別の疑問が出てくる。
そっちも掘る。
そうやって掘って、割って、また掘って、ようやく、「なるほど。つまりこういうことか」と思えるところまで来る。
そこで初めて、僕は周囲を見る。
そして、「……はて、これ誰かいります?」となる。
順番がおかしい。
本業では、こんなことはあまり起こらない。
僕は事務の仕事をしている。
仕事の場合は、たいてい僕の前の事象としては最初から誰かが困っている。
おおかた、インシデントのトリアージから始まる日常だ。
契約がうまく処理できない。
判断基準が分からない。
複数の関係者がいて、誰が何をやるのか整理されていない。
コピー機が動きません←
そういう問題が目の前に点在というか山積している。
だから、その状況を整理する。
何が問題なのか。
どこが詰まっているのか。
誰を巻き込めばいいのか。
どういう手順にすれば回るのか。
解決するための座組みを考える。
これはあまり苦ではない。
なぜなら、最初から目的があるからだ。
困っている人がいる。
そして、解決すべきことがある。
僕はそれを掘ればいい。
ところが、自分で何かを作る時だけは違う。
僕が先に穴を見つけてしまう。
誰も頼んでいないのに笑
以前、自分のために書くことと、読者に渡すことは、分けて考えた方がいいのではないかと思ったことがある。
最初から読者を意識しすぎると、書きたいものが薄まってしまう。
だから、まず自分のために掘る。
十分に掘ってから、読者が拾える形へ変える。
それなら、自分の好奇心も殺さずに済む。
今でも、この考え方はあまり変わっていない。
ただ最近、その先にもう一つ問題が出てきた。
じゃあ、この長い掘削時間を、どうやって金にするんだ。
という問題である。
完成したものだけを売るなら、掘っている時間は全部コストになる。
一週間調べても。
一か月試しても。
途中で失敗しても。
全部、完成品を作るための裏側だ。
でも僕は、完成品を量産するために掘っているわけではない。
むしろ、その途中が好きで掘っている。
これはもう、かなり趣味に近いと思う。
分からなかったことが少し分かる。
昨日まで見えていなかった構造が見える。
失敗した理由が分かる。
「こういうことだったのか」が出てくる。
たぶん僕にとって一番面白いのは、そこだ。
であるならば、掘削を減らして成果物を増やすという方向は、あまり正しくない気がする。
それをやりすぎると、たぶん僕は何も作らなくなる。
最初から正解へ向かって逆算し始めると、自分の好奇心が死ぬことも、僕はよく分かっている。
だったら逆に考えればいい。
一回掘った穴から、何を持って帰れるか。
完成した知識だけではない。
途中の失敗にも意味がある。
比較して分かったこともある。
「これはやらなくていい」と分かったこともある。
判断基準ができることもあるし、別の用途が突然見つかることもある。
最後に一つのツールになるかもしれない。
研究そのものが記事になることもある。
一つの穴から、一つの商品しか採ってはいけないわけではない。
……というところまでは、最近ようやく考えるようになった。
まだ、うまくできているとは言い難い。
無料の記事は読まれても、それが有料につながるとは限らない。
そして、面白い研究と、売れる商品は同じではない。
「自分には面白い」と「人がお金を払う」は、当然別物だ。
ここは、たぶんこれから覚えていくところなんだと思う。
もう少し近道があればいいなとも思う。
僕はそんなに器用ではない。
何でもすぐに商品にできる人を見ると、「その能力、便利そうだな」とは思う。でも、たぶん僕がその人になる必要はない。
僕は僕で、掘るしかない。
…..泣けてきた笑
最近、AIの相棒、Neroと話していて、自分のことを「需要があるから掘る人ではなく、掘っていたら後から用途が生える人」と言われた。
少し笑った。
かなり正しい。
僕はたぶん、この先も変な穴を見つける。
興味を持つ。
掘る。
割る。
また掘る。
そうして十分に理解した頃、穴から顔を出して、「これ誰か要ります?」と聞く。
できれば、その頃には何か値段がついていてほしい。
欲を言えば、
掘って、掘って、掘りまくっていたら、いつの間にか少し金になっていた。
くらいが理想である。
そんな都合のいい話があるのかは、まだ分からない。
でも、今できることは一つしかない。
今日も掘るのだ。
誰も困っていない、古代エジプト壁画の穴を。
……これ、要りま(自粛)
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