自炊
持論です。
6年前だったと思う。わたしはインスタの自炊などの投稿に#21歳の丁寧な暮らし というハッシュタグをつけて投稿している時期があった。その頃、丁寧な暮らしという言葉がやたら流行っていて、その暮らしに私も憧れていた。
タッパーのままご飯を食卓に出した時の写真をアップしたときのこと
一人暮らしだし私しか食べないし、疲れた日くらい、タッパーのままでも全然いいと思って、何も考えずにタッパーご飯の写真をアップした。
ヘトヘトで帰ってきて、ご飯をあたため昨日のおかずを並べて家でごはんを食べる。ただそれだけかもしれないが、その日の私にとってはたいそうな事で、でも自分のご飯が食べたかったからそうしたつもりだった。
用意する疲れ<自分のご飯が食べたい
だったので
その時は自分にとって最大限の丁寧だったのだと思う。でもその投稿に「これは丁寧ではないですよね?」というコメントがきた。
たしかにお茶碗で食べる文化がある国でタッパーのままご飯を食べるのは、はたから見たらズボラで丁寧な生活とは程遠いのかもしれない。
でも、朝から夜まで働いて、それでもどうにか能動的な暮らしがしたいとあらがっていた当時の私にとっては、タッパーでもご飯をあたため、自宅の食卓につくことが確実に丁寧な暮らしだった。暮らしの丁寧さの基準なんてその人それぞれだ。何事もそうかもしれないけど。でもそういうコメントが来る以上、自分自身がそのハッシュタグをつけて暮らしを発信するのは良くないと思った。
そのコメントがきっかけで私は、「丁寧な暮らし」という言葉を使うことをやめた。
私はたまたま、旅行に行って帰ってきたらすぐに荷解きをしたいタイプだ。出張に行く前は家のことを全て終わらせて洗濯をかけてから出かけたい。眠い目を擦ってでもそうしていきたい。でもそれは、潔癖症とか綺麗好きとかそういうことではない。家事をためることによって頭の中がいっぱいになり、これを溜めてしまうんだねと自分に責められ、家事と他のことを脳内で切り離すことが全くできなくなってしまうから。すべてを諦めて寝ようとしても頭からそれがこびりついて離れないので諦めるのはなかなか難しいことが多い。
先日妹の家に行ったら、洗い物も洗濯物も溜まっていて部屋は散らかっていた。でも妹は、仕事の日は全てを諦め、帰宅したら風呂に入って納豆ご飯を食べ、好きなドラマや映画を見て、休みの日に一気にやると割り切って平日の夜を楽しんでいるという。すごくいいと思った。私のように頭から離れないという理由でダラダラと家事をするよりよっぽど
もちろん両者とも、そうせざるを得ない方もたくさんいると思う。わたしは今の所、やらざるを得ない脳みそをしている。
だからどちらがいいとかではなく、私は妹にすごく憧れた。脳の使い方が上手だし、その割り切った暮らしが素敵だと思った。でもきっと私はできない。つまり人それぞれ。
味噌汁にピーマンだけ入れるのも人それぞれ。
先日実家で、私が大好きなピーマンの味噌汁を家族に食べて欲しくて作った。
ピーマンだけ?それは良くないのでは?と思う方もいるかもしれないけれど、私はこれがいいと思って作っている。そして家族から、もっと他の野菜いれてよーと言われたら、あーごめんごめん!今度は入れるよーと言うのか、私これ好きなんだよねえと言うのか、作ったんだから黙って食べてくれいい大人なんだから、と言うのか、それも私たちの自由。ただそれだけのことだ。迷惑かかっているとしたら、ピーマンだけの味噌汁を食べさせられてる井上家だけだ。
(もしそう感じたら)
ピーマンだけの味噌汁なんてかっこいいなと思っているまであるかもしれない。
そして簡単な料理なんてない。簡単と言っていいのは作った本人だけ。
何を作るのか、献立を考え、それに必要な食材を冷蔵庫の食材と照らし合わせて必要であれば買いに行き、分量通りにそろえ、ようやく調理がスタートできる。食べたら使った道具や食器を片付ける。これのどこが簡単なのだろうか
文字にしてみるとかなりおおごとだと感じる。
ストックしている冷凍食品やレトルト食品も、買いに行く人がいるから揃うのだ。
生きるための自炊もあるし、趣味の自炊もあるので経済状況や暮らしている地域や考え方によって選択すればいい。ちなみに私はいまのところ、おそらく趣味の自炊。
もうとっ散らかって何が言いたいのかわからなくなってしまったけれどその人の生活の背景も分からないのに人の食卓や暮らしに余計な指摘はしない方がいい。そして見えてるだけが全てだと思わないほうがいい。想像力を膨らませたほうがいい。
さあ、明日は何を食べようか。お腹空いてきた
