【創作】マキビシを撒いた夜 | 考えすぎクラブ活動
児童館「風の子テラス」の廊下で、漣は腹ばいになり、熱心にレゴの配置を微調整していた。
その表情は真剣だ。「敵など一歩たりとも侵入させぬぞ」という意気込みで鼻息を荒くする。その風圧で小さなレゴが少し動き、漣はまた位置を微調整する。
巡回で回ってきた佐藤は、唐草模様ならぬあるアニメで一世風靡した緑と黒の市松模様の風呂敷が床で蠢いている光景を目にし、小さなため息と頬がゆるむという正反対の反応を見せた。
「レンゾウ!いい加減にしろって。今週だけで三回目だぞ。廊下にレゴを散らかすのはやめろって言っただろ?」
佐藤はいつも穏やかな笑顔を絶やさない。この風の子テラスの主のような存在だ。
一部の大人から反対の声もあったらしい。だが、トケモンカードを中古で大量に買い集め、自分のカードを持っていない子どもたちでも遊べる環境を作った佐藤は、子どもたちにとって英雄だった。漣にとってはハットリ君の話をしてくれる「忍者の師匠」のような存在であった。
佐藤は漣のことをレンゾウと呼ぶ。漣は風呂敷のマントを翻しながら起き上がり、シュンとした顔で床に片膝をついた。
「拙者、敵から風の子テラスを守るための技術を磨いていただけでござる……」
「ここは警備員さんがいるからレンゾウが守らなくたって大丈夫だって。それにさ、ここを歩く子たちがこれを踏んだら痛いだろ。レンゾウも踏んだことあるから分かるだろ?ちっちゃい子が泣いちゃったら、おっちゃんも辛いんだよ…分かってくれよ…」
佐藤の呆れ半分、優しさ半分の声に、漣は唇を噛んだ。
僕は風の子テラスを守っているだけなのに。
それにみんな、トケモンカードに夢中で、帰るとき以外、あまりこの廊下には出てこないじゃないか。
遊戯室では、数人の子どもたちがトケモンカードで遊んでいた。壁際には、長椅子に座った一人の男が静かに笑顔を浮かべ、その様子を眺めている。あの中の誰かの父親なのだろう。
手伝ってくれる佐藤と共に、漣は丁寧に廊下に配置したレゴを泣く泣く拾い上げる。心なしか、風呂敷マントがズンと重く垂れ下がって見えた。
「これは片づけとくから、レンゾウも、もうそろそろ帰る支度しろよ?」
窓の外はすでに暗くなり始めていた。
街灯の明かりが窓ガラスに映り込んでいる。館内は急速に影を濃くし、すでに夜の気配が忍び寄っていた。閉館間際、最後の子どもたちが次々と帰っていく。
最後にトイレに寄ったあと、漣は事務室の前でふと足を止めた。
(…ん?何だ?)
漣の背筋に、冷たいものが走った。
それは「修行」で培った直感だった。
多くの子どもたちが帰って静まり返った館内。事務室の奥にある、子どもたちから返されたトケモンカードファイルを保管している鍵付きの棚の方から、「カチャリ」と場違いな金属音が響いた。
漣は佐藤の姿を探した。佐藤はこちらに背を向け、事務室の反対隅にある棚の書類整理に夢中で、その小さな音には気づいていない。
(侵入者だ。それも……このテラスの宝を狙う、卑怯な輩だ!)
漣はポケットに隠し持っていた一掴みのレゴを握りしめた。心臓が早鐘のように鳴っている。
師匠に知らせるべきか、それとも拙者が今すぐに向かうべきか。漣は一瞬迷い、そして決断した。
彼は音もなく、影に溶け込むようにシュタタタ…と事務室の奥へと向かった。棚の前には、あの長椅子に座っていた父親らしき男が立っていた。男の黒い影が壁に不気味に伸びていた。
カチャリ。
男が、再びその鍵穴を針金のようなもので無理やりこじ開けようとした、その時だった。
「そこまででござる!!」
漣の鋭い声が、静まり返った館内に響き渡った。男がギクリと肩を震わせ、振り返ったその足元へ、漣は握りしめていた「マキビシ」を正確に投げ入れた。逃げようとした男は、そのレゴ「マキビシ」へと、勢いよく両足を突っ込んだ。
「……っ?!」
男は思わず足を止めた。
「いっ……てぇ!」
ほんの一瞬だった。だが、その一瞬で十分だった。
「師匠!泥棒でござる!!」
「…漣!」
佐藤が大股で駆けつけてきた。
しりもちをついていた男は、慌てて立ち上がろうとした。しかし、その目の前にはすでに佐藤が立っていた。佐藤はすかさず漣を自分の背後に回す。男が後ろへ逃げようとしたところへ、別の職員も駆けつける。
「警察呼んで!」
まもなく、館内には赤色灯の光が差し込み、男は駆けつけた警察官によって連行されていった。
騒ぎが収まり、パトカーが去った後の風の子テラスは、かつてないほどの静寂に包まれていた。 佐藤は事務室の椅子に座り、深く息を吐いた。向かい側では、風呂敷のマントの漣が、連絡を受けた母親が職場から迎えに来るのを、背筋を伸ばして待っている。
「……レンゾウ、お前、怪我はなかったか?」
「拙者は無傷でござる。我々の宝を盗もうとした悪党めを、拙者が必ず成敗せねばと必死だったでござる。」
佐藤は漣の肩に手を置き、少しだけ目元を緩めた。
「……ありがとうな。お前がいなかったら、みんなが大事にしているカード、全部奪われてたかもしれない。お前、本当に風の子テラスを救ったな!」
「……当たり前のことをしたまででござる。拙者はこのテラスを守る忍者!ニンニン!」
漣はそう答えたが、その声は少しだけ震えていた。武者震いだったのか、それとも緊張が解けたのか。佐藤はそれを承知の上で、ぎゅっと漣の肩を抱いた。
「けどな、レンゾウ。いくら忍者でも、お前はまだ子どもだ。大人の泥棒に一人で立ち向かうのは危険だ。次は、まず一番におっちゃんを呼んでくれ。約束できるか?」
漣は少しだけ考え込み、それから力強く頷いた。
「……心得たでござる。次は必ず、師匠を呼ぶと約束するでござる。」
「よし!それでこそ真の忍者だ。
おっちゃん、このあと警察に話してくるけど、漣の活躍、伝えてくるからな。
あ、『マキビシ』、片付けなきゃな。」
漣の表情には、誇らしさが滲んでいた。
外はもう夜の闇が深くなっている。
二人は散らばったレゴを拾い上げながら、静かな児童館の夜を過ごしていた。
漣の風呂敷マントは、少し開いた窓から入って来る夜風に、かつてないほど誇らしげに揺れていた。
