先生!これってSFに入りますか?―SF映画と私―(36)ブレランの世界観に心酔
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24~25歳の頃にはじめて観た『ブレードランナー』('82)ですが、はじめて観たときから圧倒的なスケールを感じました。
今でもそうですし、この時代にも自覚的でしたが、私にとって映画などの映像作品を観るときに一番大事なのは、その作品の世界観が気に入るかどうかなんですよね。
どんなにシナリオや役者さんが良くても、「この世界観、いいなぁ」とならないと、今いちハマれないのです。
その点では『ブレードランナー』は、はじめて観たときから◎を付けたいくらい気に入っていました。
一方で、一般的にも言われることかもしれませんが、『ブレードランナー』をストーリーだけで解説すると、そんなに大した作品には感じないかもしれません。
観たことがない方のために、簡単に解説すると、『ブレードランナー』の世界では、宇宙開発が進んでおり、惑星の開拓には「レプリカント」という人間にそっくりなアンドロイドが利用されていたんですよね。
そのアンドロイドたちが逃亡し、地球にやってきて、人間に紛れて身を隠しているというので、ハリソン・フォード演じる捜査官(ブレードランナー)が彼らを追うという話です。
こう書くと、なんてことはない話に感じますよね。
実際、そうなんです。『ブレードランナー』は決して、シナリオが凝っているとか、予測不能な展開があるというようなタイプの作品ではありません。
単純に言えば、正義が悪人を捕まえる「捕物帳」です。
だからといって、凝った推理要素があるわけでもなく、派手なアクションがあるわけでもありません。
終盤にアクションが続くシーンもありますが、レプリカントが強すぎて、主人公が全然、太刀打ちできないくらいですから、爽快感もほとんどないわけです。
それでは、何がおもしろいのかというと、やはり「世界観」なんですよね。
監督のリドリー・スコットは緻密な画面作りで知られており、『ブレードランナー』でも、画面の中のあらゆる部分に細かな装飾を施しています。
本作は公開当時、それほどヒットしたわけでもなく、むしろ、ビデオがリリースされてから評価が高まりカルト的な人気を博したという事実もそれを裏付けるエピソードといえるでしょう。
徹底して一つの画面の情報量を濃くして、何度鑑賞しても飽きのこない画面作りがされているんですよね。
私自身もはじめて観たときよりも、今の方がさらに好きになっていますし、観返すごとにどんどん好きになっていっています。
また、これよりも前の時代の SF と大きく違うのが、未来を舞台にしながらも、西洋でも東洋でもない雑多な世界に描いたところですね。
それまでの SF といえば、無菌室のようなまっさらな世界観が王道でしたが、『ブレードランナー』の世界は、それとは真逆の暗くて汚いイメージです。
日差しが出ているような明るいシーンが一つもなく、「光」といえば、ビルの上部に取り付けられたバカでかい電子看板か、街のネオンくらいなもので、下水から立ち上る湯気がまた不衛生さに拍車をかけています。
その世界の何がいいんだと思う方もいるかもしれませんが、私はあの映像を観ていると、妙な高揚感と安堵感を同時に感じるんですよね。
書こうと思えばいくらでも書けそうなので、この辺でやめておきますが、とにかく『ブレードランナー』は、私にとっては SF のみならず、すべての映画の頂点に君臨するような聖典の一つなのです。
このような素晴らしい作品と出合っていなければ、私の映画愛はここまで大きく育つことはなかったと言っても過言ではありません。
(続く)
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