「とにかく何かを捨てたい」無気力な人間が部屋を整えて気づいたこと
夏休みが始まって、数日が経ちました。
世間が旅行やレジャーで賑わう中、今回の私はどこへ行くでもなく、ただ都内でご飯を食べるだけの数日を過ごしています。今年の夏休みは天気が良くなくて、結果オーライですが。笑
ただ、正直に言えば、今の私はすっかり無気力です。
何か新しいことに挑戦しようという気力も湧かない。
それなのに、なぜか昨日、突然思い立って部屋の片付けを始めていました。
服を大量に捨て、新しくネットで注文した本棚が届いたので組み立てて、本をきれいに並べた。 無気力なはずの人間が、どうしてそんなにテキパキと部屋を整えたのか。
今日は自分の行動を振り返ってみたいと思います。
「何かを捨てたくて仕方がない」衝動
片付けをしながらふと思ったのは、「私は、とにかく何かを捨てたくて仕方がないんだな」ということでした。
ただ部屋を綺麗にしたいわけではなくて、もっと根っこの部分で、何かを手放したくてたまらない。 この衝動はいったいどこから来るのでしょうか。
モノを捨てて空間を空けることで、自分の中のモヤモヤしたものまで一緒に外へ追い出したいのか。あるいは、これ以上余計なものを抱え込みたくないという防衛本能のようなものなのか。
理由はまだうまく言葉にできませんが、この「捨てたい衝動」に従うように、私はただ手を動かしていました。
人は、いつも変化している
なぜ、ここまで「捨てる」ことに執着するのか。 考えてみると、理由はシンプルでした。私はとにかく「何かを探す時間」を極限まで減らしたいんです。そして、とにかくモノが混沌としている状態が、どうしても耐えられない人間であること。
あるべきモノが、あるべき場所に収まっている。その秩序だった状態に、言いようのない心地よさを感じます。
しかし
意外なことに、これは昔からの性格ではありません。社会人になりたての頃は、それこそ部屋なんて散らかり放題でした。
そんな私が急激に変わったのはいつからだろうと思い返してみると、皮肉にもコロナ禍で生活にゆとりができ始めた頃からです。 あの時期、物理的な時間と心の余白ができたことで、ようやく自分自身の「心地よさ」と向き合えるようになったのかもしれません。それまでは、自分でも気づかないうちに何かに追われて、心に余裕がなかったのでしょう。
人って、こんなふうに変わるんですね。自分でも気づかなかった自分が、ある時ふと顔を出す。
自分に気づくことの尊さ
今日はこうして、とりとめもなく自分のことを書き殴ってみました。
自分でも自分に気づかなかったりするんですよね。
だって、自分という人間も日々変化しているから。
昨日と今日の自分は違うかもしれない。
もし、この混沌とした日常の中で、自分を見失いそうになっている人がいたら――。 ほんの小さな片付けからでもいい、自分の心地よい状態を探してみませんか。
自分に気づくことの尊さを、この記事を通して誰か一人にでも伝えることができたなら、無気力な夏休みも、それはそれで悪くない時間の使い方だったと思える気がします。
ではまた。
