同じ本なのに、なぜ昔と今で刺さる言葉が違うんだろう。
昔読んだ本を、久しぶりに読み返した時。
「こんなこと、書いてあったっけ。」
と思うことがあります。
もちろん、文章は一字も変わっていません。
なのに、以前は何とも思わなかった一文が、今読むと妙に残る。
私は本をよく読むのですが、特に小説では、この感覚があります。
昔は通り過ぎていた登場人物の心情や、何気ない情景の描写が、今読むと少し違って見える。
同じ本を読んでいるはずなのに、どうしてなんだろう。
そんなことを考えるきっかけになったのが、全然関係なさそうな、ある日の温泉でした。
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温泉へ行くのが、好きです。
よく行く温泉があります。
ある日、急に行くことになって、眼鏡を忘れてしまいました。
普段は当然、コンタクトを外して湯船に入ります。
でも私は、裸眼だと行動もままならないくらい、視力が良くありません。
その日はやむを得ず、コンタクトをつけたまま入りました。(眼感染症などのリスクがあるので、真似はしないでください。)
すると、いつもとは見え方がまったく違ったんです。
シャンプー、ボディソープの文字。
壁の注意書きに描かれた、ちょっとしたイラスト。
何度も来ている温泉なのに、
「こんなものまであったんだ。」
と思いました。
裸眼で入っていた時には、ぼんやりとした景色として通り過ぎていたのだと思います。
そこにあるのに、見えていなかったものが、思っていた以上にたくさんありました。
その日に突然置かれたわけではありません。
ずっと前から、同じ場所にあった。
ただ、私が拾えていなかっただけでした。
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その時、本を読み返した時の感覚と少し似ているなと思いました。
昔読んだ本を、あとからもう一度開く。
以前はまったく刺さらなかった部分が、今読むと妙に残る。
同じ文章なのに、前とは違う意味に受け取れることもあります。
特に、小説です。
登場人物の心情や、情景の描写。
昔はただ文字として追っていたところから、今は、その人の気持ちのようなものまで少し見えてくることがあります。
本は、一字も変わっていません。
でも、読んでいる私は、その間にも少しずつ変わっています。
文章を理解するときには、読む側がすでに持っている知識も関わることが、研究でも示されています。
本を読んでいない時間にも、私たちはいろいろなことを知って、経験して、考えています。
その私が、同じ本をもう一度開く。
だから、以前とは違うところで言葉が残るのかもしれません。
昔は通り過ぎた一文が、今は引っかかる。
以前は気づかなかった感情が、少しだけ分かる。
これは、昔より「正しく読めるようになった」という話ではないと思います。
同じ文章から、以前より多くの意味や気持ちを受け取れるようになった。
そういう感覚に近いです。
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だからといって、昔の自分を否定したいわけではありません。
昔読んで、何も感じなかった文章。
うまく受け取れなかった、誰かの気持ち。
それは、あの頃の自分が浅かったのではなく、まだ拾えなかっただけなのかもしれません。
その時には、その時なりに、ちゃんと読んでいた。
ただ、今の私とは、拾えるものが違っただけです。
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昔の自分には、見えなかった。
今は、少し見える。
でも、たぶんそれは、今の自分でも同じです。
今の私に見えているものも、まだ全部ではないのだと思います。
今は分からない言葉も。
今は受け取れない誰かの気持ちも。
いつかもう一度触れた時には、違うものが見えるのかもしれません。
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解像度が上がるというのは、ただ見えるものが増えることではなく、同じものから受け取れる意味が増えていくことなのかもしれません。
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温泉では、今まで見えなかった文字が見えました。
本では、今まで受け取れなかった意味を、受け取れるようになりました。
同じ本を何年か後に読み返すのが面白いのは、物語をもう一度読むためだけではないのかもしれません。
そこには、以前とは少し違う自分もいる。
あなたにも、昔とは少し違って見える本や言葉はありますか。
