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ミュンヘン追想〜18 ミュンヘンっ子のフェーン自慢

 ミュンヘンに住んでいる間、頭痛に悩まされ続けた。色々訊いてみると、それはフェーン現象による気圧の変化で起きるものらしかった。地中海などからの温かい空気がアルプスの斜面を昇る間に冷やされ雲や雨となり、乾いた気流となって北側の地域に吹き下ろされるのである。壮大な自然の営みではないか。

 ドイツ語を教えてくれていた主婦のIさんに話すと、彼女もよく頭痛になるのだが、頭が痛い時に空を見上げるとフェーン特有の筋雲があったりするのよ、と教えてくれた。症状が出る人は少くないようだった。

 私はしばしば頭痛に見舞われ、ひどい時にはアスピリンのお世話になった。それなどは歓迎されざる事ながら、現象自体はミュンヘンっ子にとって自慢でもあるらしい。出典は失念したが、ドイツ語の授業で読んだのだと思う。

 色々なところ(スイスやオーストリアなど)でフェーン現象が起こるけれど、ミュンヘンこそは本家本元である、という主張だ。日本でも、たとえば夏の間、最高気温を記録した、などとニュースになるような都市がいくつかあるが、大変なはずなのに、我が土地こそは日本一、と競うような言いようをする人がいるのと同じだろう。

 ヘッセに『雲』というエッセイ集がある。フォルカー・ミヒェルス編、倉田勇治訳(朝日出版社)。その中の『南風(Föhn)』(『ペーター・カーメンチント』からの抜粋)より。

毎年、冬の終わりになると、ゴーゴーたる低いうなり声をあげて、南風(フェーン)がやってきた。そしてアルプスの住民は、このうなり声を耳にすると、恐ろしくて震えるのである。けれども住民は、この異国で身も細る思いで、この南風を待ち焦がれもしているのだ。

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 山岳地帯に住んでいる人々にとっては、嵐のような南風のために小川が土砂で埋まったり、小屋が飛ばされたりする災難をもたらすが、一方で、春の訪れを知らせるものでもあるのだ。ちなみに、フェーンは冬の終わりから春先にかけて、また初夏まではよく起こるということ。

南風(フェーン)の季節に山国の人間たちを、とりわけ女たちを襲い、ねむりを奪ってやさしく触れながら五感を刺激する、あの快い南風熱ほど妙なもの、味わいあるものはない。今、近くのイタリアの紫色の湖の畔では早くもまた、サクラソウが、スイセンが、ハタンキョウの枝が、花を咲かせている。

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その後、南風が吹き止み、そして最後の汚い雪崩が解けてしまうと、すると、美の極地の訪れとなる。こうなると、黄色がかった牧場を花の絨毯が覆い、四方八方から山の上に向かって延びて行く。雪をいただく山頂と氷河は、その高みにて、清らかな至福のたたずまいを見せている。そして湖は、青く暖かになり、太陽と行く雲を写している。

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  私が住んでいた30年ほど前は、今のような「気候変動」の影響は受けておらず、夏は比較的過ごしやすかった。さすがに歩き回ると汗ばみ、デパートや一部の施設を除いてエアコンがないので、街では多少の辛さはあった。銀行なども窓を全開にして扇風機を何台も置いていたが、今は、どうなのだろう。

 住み始めてまもなく、まだ、家財道具を一つずつ集めている6月頃には熱波に見舞われ、それでも30℃ぐらいではあったが、車もなかったので移動も大変だった。冷涼な気候だと思っていたので驚いたが、さすがに珍しいことらしかった。こんなのミュンヘンじゃない、と高温を嘆いていた人もいたが、7月に入ると今度は「寒さ」に見舞われた。秋の訪れはまだ先のはずなのに、コートを着ている人もいたほどだった。

  今でもミュンヘンではフェーン現象のたびに、こめかみを揉み、薬を口に放り込む人がいるのだろう。ちょっと厄介だけれど、アルプスあってこそのバイエルン・ミュンヘンの清涼な空気と美しい景色なのである。フェーンと共に生きる、その逞しさも矜持なのだ。

*見出し画像は、ドイツアルプス最高峰のツークシュピッツェ。標高2,962メートル。