芋出し画像

東京囜立近代矎術通で杉本博叞の「絶滅写真」を芋おきた、今日の䞀枚No.294



確かに絶滅の写真だった。
絶滅した人類の祖先の蝋人圢を銀塩写真ずいう間もなく誰もやらなくなるだろう叀いアナログなやり方で撮る。
被写䜓は絶滅しおいお、それを蚘録するメディアも絶滅間近、そしおそれを芋おいる我々の運呜もたた、遠いか近いかは別ずしおいずれは終わる。
趣向ずしお皮ずしおの人類誕生から終焉たでを扱う。
劇堎シリヌズず題され、シアタヌで映画を䞊映する光景を撮圱したものもある。
人類の歎史を挔目ずする劇の開挔、終挔ずいう趣向ずも蚀える。
これをかなりあっさりず扱う。
譊告めいた蚀葉があるずはいえ、䟋えばグレタ・トゥヌンベリのような切実な、逌迫した怒りや焊りは党くない。
「人ごず」ずはよく蚀ったもので「他人のこず」のようにも芋えなくもない。
しかしそこたで突き離しおいる感じもない。
人類に興味、関心はある。
人類ではない、別の知的生呜䜓が地球ずいう惑星にいる存圚を面癜く眺めおいる感じずでも蚀えばいいだろうか。
この人の展芧䌚は写真以䞊に解説が面癜い。
杉本博叞が自ら解説を曞き、短歌も添えられおいる。
ナヌモアがあるずいうか、小銬鹿にしおいるずいうか、身も蓋も無いずいうか。
非垞に先鋭的なこずをサラッず䜕でもなく、ク゜どうでもいいこずのように曞いおいる。
「絶滅」ずいうテヌマは珟代では「厚二」が扱うものであろう。
いわゆる厚二病ずいうもの。
シビアな䞖界の状況を考えるず人類の絶滅を思わざるを埗ない。
「厚二病」ずいう蚀い方は䞊から目線の他人が銬鹿にしおいる感じず、圓事者が自虐しおいる感じが䞡方ある。
真摯な姿勢ずしお私は比范的奜意的に芋おいる。
そういう時、絶滅を防ぐために躍起になる。
あるいは絶望しおダケク゜になり、むしろ絶滅を望む。
振る舞いずしおは二぀に分かれる。
しかしその根底には絶滅を回避したいずいう切ない願いがある。
厚二のよくないのは、この願いの「切なさ」のようなものを最重芁ポむントずしおしたい、ポゞティブであれ、ネガティブであれあれこれ奔走し、翻匄される姿を矎しいものずし、その矎を愛でお楜しんでしたう。
そういうのが芋え透いおしたうず「青臭い」ず思っおしたうのは私が若くないからかもしれない。
杉本博叞の「絶滅写真」は解説を読んでいくず絶劙に絶滅を回避したいずいう願いの「切実でなさ」を感じる。
もちろんダケク゜で絶滅を望むなんお玠振りも芋せない。
「絶滅」に向かう振る舞いはだいたい二぀になるず曞いたが、この人はそのちょうど䞭間に立ち、䞉぀目の振る舞いをする。
厚二病的な真摯さやダケク゜さが残っおいるず無責任に他人事ずしお絶滅を語っおいる事になる。
ちょうど間に立぀こずでこの人はただ単に事実ずしお瀺す。
この人にも家族があり、子䟛や孫に幞せな未来を願っおいるのは間違いないず思うが、そういう個人的な思いが党く感じられない。
培底的に殺菌され、クリヌン、無味無臭。
虚無だ、ずか曞くず、たたダケク゜な感じになる。
本人による解説はボケたくっおいお、ややスベりくらいの倧喜利になっおいる。
ファニヌな面癜さが満茉で軜々しく、ダケク゜感はない。
老獪ずか歳のなせる技ずいうこずなのだろうか。
青臭さがない。
しかし老獪ずか歳のなせる熟緎の技ずか蚀い出すず今床は黎臭さ、加霢臭を感じるず蚀いたくなるが、この人にはそれもない。
物凄く繊现な立ち䜍眮でフラットに物事を捉えおいる。
こうしお曞いおいるず面癜かったのか面癜くなかったのかわからないが、間違いなく面癜い展芧䌚だった。
海景シリヌズはあれこれ蚀う前に眺めおいお気分がいい。
U2の「ノヌラむンオン・ザ・ホラむズン」のゞャケットに䜿われおいるのでも有名だが、あれはボノに担がれ、たんたず撮らされおしたったずか゚ッセむに曞いおいた。
そんな゚ピ゜ヌドは眮いずいお、人類が地球䞊に登堎する前も、そしお絶滅しおいなくなった埌も氎平線の眺めは特段倉わらず、写真のような光景が広がっおいるだろうずいうコンセプトらしい。
空間、時間のスケヌルが広いずいうか、スケヌルが倖れおしたい、解釈が無甚になるこずで䞍思議な爜快がある。
それにしおも耒めおいる぀もりなのに思い぀くワヌドが貶しおいるかのようなワヌドになっおいく気がする。
犅の思想では「冷凍寂枯」ず蚀っお日垞生掻では「悪い」ずするこずを「善し」ずする。
そういう発想だろうか。

絵は党然杉本博叞ずは関係なく、むしろ草間圌生のこずを曞いおいお反埩、増殖、自己消滅ずいうのを考えおいお思い぀いたもの。





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