姫たちの戦国・浅井三姉妹~滋賀県・長浜市を訪ねて
和尚さん(一宮高校在学時3年5組)から写真が届きました。
写真のご提供、ありがとうございました。
小谷城
滋賀県・長浜市の小谷山にあった小谷城(おだにじょう)は、戦国大名の浅井長政の居城でした。
浅井長政は、織田信長の妹である「お市の方」(おいちのかた)を娶っていましたが、やがて信長と対立関係になり滅ぼされてしまいます。
落城の際、お市の方と三人の娘(茶々、初、江(ごう))は織田方に助け出され、織田家に引き取られました。
長政とお市の方は政略結婚でしたが、夫婦仲は良好だったと伝えられています。
現在の小谷城の跡には建物はありませんが、地形を巧みに利用した遺構や石垣が残っています。




長浜城
羽柴(豊臣)秀吉は浅井長政攻めの功により、長政の旧領を拝領し、「長浜」と名づけました。
秀吉はこの地に長浜城を築き、初めて城持ち大名となりました。
長浜城は水城(みずじろ)であり湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていました。
長浜の城下町には、現在でも秀吉時代の面影を残す町並みを見ることができます。
黒壁スクエアにはガラス工芸を中心としたショップや工房のほか、郷土料理を堪能できるお店が軒を連ねています。




賤ケ岳の戦い
賤ケ岳の戦い(しずがたけのたたかい、滋賀県・長浜市)は、織田信長の死後、後継者争いなどから起きた秀吉と柴田勝家との戦いです。
柴田勝家は北ノ庄城(きたのしょうじょう、福井県福井市)を居城とする織田家の重臣でした。
この戦いは、秀吉が天下人への道を大きく切り開くこととなった歴史的な合戦です。
賤ケ岳の戦いに敗れた柴田勝家は、北ノ庄城に引き返すと防備を固めましたが、秀吉の攻撃を受けて落城。
勝家は妻となっていた「お市の方」に城を出るようにすすめますが、「お市の方」はこれを拒否し、勝家とともに死ぬことを選びました。
このとき、「お市の方」は秀吉に書状を送り、三人の娘の身柄の保障を求めたとされます。



姫たちの戦国
秀吉に引き取られた三姉妹は、その後、波乱の人生を送ることとなります。
長女の「茶々」は秀吉の側室(淀殿)となり、後継者の豊臣秀頼(ひでより)を生みます。
次女の「初」は京極高次(きょうごくたかつぐ)の妻となります。
三女の「江」(ごう)は徳川家康の息子である徳川秀忠(後の二代将軍)の正室となります。
茶々と江は血を分けた姉妹でありながら、豊臣家と徳川家に分かれて争う形となってしまいます。
初は両家の間に入って和平のために尽力するのですが、残念ながら、両家は大坂の陣でぶつかり、茶々と秀頼は自刃。
これにより、豊臣家は滅亡しました。
戦乱の世に翻弄されたのは、決して男たちだけではありません。
お市の方と三人の姉妹は、どんな猛将たちにも負けないくらいに強く、たくましく、そしてしなやかに戦乱の世を駆け抜けた姫たちだったのです。


