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水が最初に尽きる/半導体・AI・製造業のウォーターリスク経営 【第8話】「水リスクの開示」 CDP水セキュリティ・TNFDという物差し

〜渇水・超純水・排水規制、工場の生命線を設計し直す〜

水の成績表を、誰が見ているのか

こんにちは。株式会社DCTAの畠山達彦です。連載「水が最初に尽きる」、第8話にお付き合いいただきありがとうございます。

ある製造業のお客様から、こんなご相談をいただいたことがあります。「海外の大口顧客から、水の使用量と水リスク対応を尋ねる質問票が届いた。営業部門は困惑し、環境部門は多忙で、誰がどう答えるべきか分からない」。似た話を、この2年で何度も伺うようになりました。差出人は顧客だったり、機関投資家だったり、取引銀行だったりします。

何が起きているのか。一言でいえば、水を見る目が変わったのです。投資家と顧客にとって、水はもはや工場の中の技術的な話題ではありません。原油や食料と同じ、サプライチェーンの調達資源であり、管理システムの巧拙を問われる経営資源であり、そして資源循環の対象です。原油の調達網に地政学リスクの目が向くように、食料の調達網にトレーサビリティの目が向くように、水の調達網にも、同じ視線が向き始めた。今回のテーマは、その視線に応える「開示」です。

この見立ては、比喩ではなく、使われている言葉がもう証明しています。原油の世界の語彙を思い出してください。埋蔵量、調達先の分散、戦略備蓄、自給率。いま水の世界では、帯水層の持続可能性(埋蔵量)、水源ポートフォリオ(調達先分散)、雨水貯留とウォーターポジティブ(備蓄)、再利用率(自給率)が、まったく同じ文法で語られています。食料の語彙も同じです。
産地表示は流域の特定に、トレーサビリティは水収支マップに、フードマイレージはバーチャルウォーター(第1話)に対応します。強いて違いを挙げるなら、原油には国際価格があるのに、水には流域ごとの事情しかないことです。だからこそ市場価格の代わりに、開示という「情報の値札」が求められるのだ、と私は理解しています。

そして先に、今回の結論を申し上げます。開示の枠組みは、負担として付き合えばただのコストですが、読み替えれば、調達と受注の武器になります。ここまで7話かけて積み上げてきた水の台帳と設計は、実はそのまま、この武器の弾薬です。本稿の主要な数字と出典は一覧表にまとめています。

【第8話図表ファイルのP1ページ
「主要データ・出典一覧」参照】

なぜ投資家が、水を見るのか

まず、視線の理由から。投資家が水を見る動機は、思想ではなく算盤です。

この連載でご一緒に見てきた実例を思い出してください。ライン川の渇水は化学会社に不可抗力宣言をさせ、低水位30日でドイツの鉱工業生産を約1%押し下げます(第5話)。長江の渇水は自動車と電池の工場を止めました。台湾の渇水は世界の半導体供給を薄氷の上に立たせ、愛知の渇水は出荷6兆円の工業地帯を50%節水に追い込みました(第2話・第3話)。つまり、水リスクが業績リスクであることを、この数年の現実が繰り返し証明してしまったのです。投資家の立場に立てば、投資先の工場がどの流域にあり、渇水と洪水にどれだけ耐えられ、排水の規制強化(第6話)にどれだけ備えているかは、知らずに済ませられない情報になりました。

もう一つの動機は、資本の側の約束です。世界の機関投資家は、投資先の環境情報を集めて評価する枠組みに大挙して署名しています。次にご紹介するCDPには、運用資産136兆米ドル超、740以上の金融機関が名を連ねます(出典:サステナブル・ブランド ジャパン 2024年2月)。日本円でおよそ2京円。この巨大な資本が、投資先に環境の成績表を求めている。水の開示は、その主要科目の一つなのです。

投資家の使い方も具体的になってきました。運用の現場では、水ストレス地域の売上比率や取水量の推移を、企業価値評価やエンゲージメント(対話)の材料に使う動きが定着しつつあります。「貴社の主力工場は水ストレスの高い流域にあるようだが、渇水時の操業継続の備えを聞きたい」。株主総会や決算説明会で、この種の質問が飛ぶ時代です。第2話の備え2でご提案した節水率シナリオ演習は、実は、この質問への答案づくりでもあったわけです。

物差し1 CDP水セキュリティ

世界標準の「水の質問書」

CDPは、企業の環境情報開示を求める国際NGOで、気候変動・フォレスト・水セキュリティの3分野の質問書を毎年企業に送り、回答を8段階(A〜D−)でスコアリングします。2023年には世界の時価総額の3分の2に相当する約2万3,000社が回答し、日本企業の回答は1,985社。うち水セキュリティには706社が回答し、最高評価のAリストに36社が選ばれました。日本は3分野すべてで世界最高の開示率を示しています(出典:サステナブル・ブランド ジャパン 2024年2月)。2024年からは気候・水・森林を一つにまとめた統合質問書に移行し、水は独立した科目から、環境経営全体の必修単元になりました(出典:日経ESG 2024年)。

質問書の中身を覗くと、この連載の読者の皆さまには見覚えのある風景が広がっています。取水量・排水量・消費量とその水源別内訳。事業にとっての水の重要性。水リスクの評価手法と、流域単位でのリスク認識。過去に被った水関連の悪影響と財務インパクト。排水の水質と規制違反の有無。目標と実績。つまり、第1話の封筒の裏の計算、第3話の水デューデリ、第5話のAqueduct、第6話の排水管理、第7話の水収支マップ。あれらを英語の設問に沿って並べ直したものが、CDP水セキュリティの回答なのです。

設問の踏み込み方も、年々深くなっています。たとえば、過去に被った水関連の悪影響とその総合的な財務影響を問う設問や、水関連の規制違反で科された罰金・命令をすべて挙げさせる設問が既にあります(出典:CDP水セキュリティ質問書解説 2023年)。「水で損をしたことがあるか、いくらか」を、金額で答えさせる世界です。第6話で「今日の排水記録は10年後の自社を守る証拠にも責める証拠にもなる」と申し上げましたが、開示の世界では、それが毎年の定例質問になっているわけです。スコアの相場観も添えます。2023年、Aリストに入れたのは回答企業の約2%でした。狭き門ですが、日本企業は水セキュリティで36社がAに入り、気候・森林・水の3分野すべてでAを取った「トリプルA」には日本から花王と積水ハウスが名を連ねています(出典:サステナブル・ブランド ジャパン 2024年2月)。水の開示は、日本のお家芸になり得る科目なのです。

「答えない」という選択肢が消えていく

大切なのは、質問書の届き方です。CDPの要請は二つの経路で来ます。
一つは投資家経由。
もう一つがサプライチェーン経由、つまり顧客からの要請です。

大手企業は自社のスコープ3や水フットプリントを把握するため、主要サプライヤーにCDP回答を求めるようになりました。水リスクの高いセクター、たとえばアパレルや食品などは、重点的に回答要請を受けています(出典:CDP資料、支援会社解説)。冒頭のご相談のように、上場もしていない中堅企業に質問票が届くのは、この経路です。株主を選ぶことはできても、顧客の質問を無視することは、営業上できません。「答えない」という選択肢は、静かに消えつつあります。

【第8話図表ファイルのP3ページ
「CDP水セキュリティで問われること」参照】

物差し2 TNFD 自然の中の水

二つめの物差しは、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)です。気候のTCFDの自然版で、2023年9月に最終提言が公表されました。企業活動が自然に何を依存し、何の影響を与えているかを、ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標の4本柱で開示する枠組みです。2024年1月のダボス会議では、早期開示を宣言した企業が世界で320社にのぼり、国別最多は日本の80社でした(出典:日経ESG 2024年2月)。その後も採用企業は増え続けています。

TNFDの特徴は、水を「自然の一部」として捉え直すことです。淡水は、陸・海洋・大気と並ぶ自然の4領域の一つに位置づけられ、企業は自社とサプライチェーンの拠点が、どの流域に依存し(取水・水質浄化・洪水調節など自然の恵み)、どんな影響を与えているか(取水による水位低下、排水による水質変化)を、LEAPと呼ばれる手順で評価します。LEAPは、Locate(自然との接点の場所を特定する)、Evaluate(依存と影響を評価する)、Assess(リスクと機会を査定する)、Prepare(対応と開示を準備する)の頭文字で、要は「どこで・何を借りて・何を返して・どうするか」を順に整理する道具です。

工場の言葉に翻訳してみます。御社の工場は、上流の森と田んぼが涵養した地下水に依存し(借りているもの)、排水を川に返すことで下流の水質に影響を与えています(返しているもの)。渇水はこの依存が断たれるリスク、規制強化は影響への請求書、そして涵養や再生水はリスクを機会に変える打ち手です。第3話で見た熊本の涵養は、TNFDの言葉でいえば「依存する自然資本への再投資」そのものですし、第5話の「水は流域の共有物」という現場感覚は、TNFDの世界観と完全に重なります。日本企業がTNFD採用で世界最多なのは、偶然ではないと私は思います。里山と流域の中でものづくりをしてきたこの国の感覚に、もともと馴染む枠組みなのです。

物差し3 法定開示の波 任意から義務へ

三つめは、法律です。ここが、この数年で最も大きく動いた部分です。

EUではCSRD(企業サステナビリティ報告指令)が動き出し、その開示基準ESRSには「E3:水と海洋資源」という独立の基準があります。対象企業は、水の方針・アクション・目標・取水消費量などの開示が義務です。EUで事業を持つ日本企業グループも、規模要件を満たせば対象になります。米国でも州レベルの気候開示法が進みます。

そして日本。SSBJ(サステナビリティ基準委員会)が国際基準ISSBに沿った開示基準を公表し、東証プライムの時価総額3兆円以上の企業から、2027年3月期に有価証券報告書での開示義務化が始まる見込みです。対象は段階的に広がる計画です(出典:サステナビリティNavi 2026年)。現時点の中心は気候ですが、ISSBは次のテーマ候補に自然を挙げており、CDPもISSBもTNFDと整合を取ると表明しています(出典:日経ESG 2024年2月)。方向は一つです。環境情報は、任意のアンケートから、監査され保証される法定開示へ。気候が歩いた道を、水と自然が数年遅れで歩いています。CBAM連載の読者の皆さまには、既視感のある構図だと思います。

法定化がもたらす実務上の最大の変化は、「保証」です。有価証券報告書に載る数字は、第三者のチェックに耐える必要があります。つまり水のデータも、いずれ「だいたいこれくらい」では通らず、計測の方法、集計の手順、記録の保存が問われる世界に入ります。財務経理の皆さまが売上や在庫で当たり前にやってきた内部統制を、水のデータにも敷く。大げさに聞こえるかもしれませんが、第7話でご提案した「計測とデータ基盤への先行投資」は、この日のための備えでもあるのです。

【第8話図表ファイルのP2ページ
「三つの物差しの比較」参照】

三つの物差しの、共通の芯

CDP、TNFD、法定開示。名前も様式も違いますが、問うていることの芯は同じです。分解すると四つになります。

  • 第一に、把握。自社とサプライチェーンの水の量と質を、数字で把握しているか。

  • 第二に、評価。その水が、どの流域で、どんなリスク(渇水・洪水・規制・評判)にさらされているかを評価しているか。

  • 第三に、行動。リスクに対する対策と、削減・循環の目標を持ち、進捗を測っているか。

  • 第四に、統治。それらを経営の仕組み(ガバナンス)として回しているか。

お気づきでしょうか。これは、この連載でご一緒にやってきたことの目次そのものです。封筒の裏の計算と水の台帳(第1話)は把握に。水源の家系図とシナリオ演習(第2話)、水デューデリ五項目(第3話)、Aqueductの棚卸し(第5話)は評価に。カスケードと水収支マップ(第7話)、PFASの五つのステップ(第6話)は行動に。そして「水の台帳の持ち主を決める」(第7話)は統治に。つまり、現場の実務を積み上げてきた工場にとって、開示は新しい仕事ではなく、やってきたことの翻訳作業なのです。逆に、台帳のない会社にとっては、開示要請が来た日から、翻訳ではなく発掘作業が始まります。この差が、次にお話しする「武器になるかどうか」の分かれ目です。

【第8話図表ファイルのP4ページ
「本連載の実務と開示要求の対応表」参照】

武器としての開示 四つの使い道

さて、ここからが本題です。開示を、義務ではなく武器として読み替えます。使い道は四つあります。

第一に、受注の武器。

顧客からの水の質問票に、即答できる会社と、3か月かかる会社。調達側から見れば、どちらが「管理された供給網」に見えるかは明白です。さらに一歩進めて、自社の水の台帳と対策を提案書に一枚添えれば、「渇水の年にも御社への供給を守る体制があります」という、他社が簡単に真似できない営業資料になります。水リスクの高い地域や業種の顧客ほど、この一枚は効きます。第5話でご提案した本社の月次3行指標(取水量・水単価・異常件数)は、そのままこの一枚の中身になります。

ここで一つ、大切な注意も。武器として使う以上、誠実さが生命線です。気候の世界でグリーンウォッシュ(見せかけの環境対応)が厳しく批判されるようになったのと同じで、水の世界でも、実態の伴わない美しい開示、いわばブルーウォッシングは、発覚した瞬間にすべての信用を失います。数字は測定に基づき、目標は根拠を持ち、できていないことは正直に書く。第6話の「自ら測った数字は対策の起点」の原則は、開示でもそのまま生きています。武器の強度は、装飾ではなく、台帳の正直さで決まります。

第二に、調達と増産の武器。

第3話で見たとおり、水の約束を設計できる企業が立地を勝ち取る時代です。地域や自治体との交渉の席で、開示に耐える水のデータと計画を持っている企業は、増産や新設の合意形成が速い。開示は対外発表である前に、地域との対話の共通言語なのです。

第三に、資金の武器。

サステナビリティ・リンク・ローンなど、環境目標と金利が連動する融資が広がっています。水の使用量原単位や回収率は、その目標指標に使えます。CDPスコアや開示の充実は、金融機関との対話の材料になり、資本コストの面でじわりと効いてきます。

第四に、人と信頼の武器。

採用の場で、地域の説明会で、自社の水との向き合い方を数字で語れること。派手さはありませんが、工場が地域で長く愛されるための、確かな資産になります。第4話で「開示は、操業と拡張の自由を買う投資」と申し上げました。四つの使い道は、その各論です。

サプライチェーン全体で見るということ

もう一段だけ、視野を広げます。冒頭で「水は原油や食料と同じ調達資源になった」と申し上げました。この見方を突き詰めると、自社の工場の水だけを開示しても、絵は半分だということになります。

考えてみれば当然で、御社の製品の水フットプリントの多くは、実は仕入れ先の水です。素材の製造に使われた水、部品の洗浄に使われた水、そして原材料が農産物なら灌漑の水。第1話のバーチャルウォーターの議論が、ここで企業版として戻ってきます。だからCDPはサプライチェーン経由の要請を広げ、TNFDはバリューチェーン全体の評価を求め、調達部門は仕入れ先に質問票を送るのです。水の開示は、一社の成績表から、供給網の健康診断へと役割を広げています。

これは、川上に立つ企業にとっては要請が増える話ですが、同時に、日本の製造業全体にとっては好機だと私は見ています。第5話で見たとおり、日本は世界最高水準の開示率を持つ国です。素材から部品、装置まで、供給網の各層が水のデータを揃えて出せるなら、「日本のサプライチェーンは水リスクまで管理されている」という、国ぐるみの信用が生まれます。原油に産油国の信用格差があるように、水にも供給網の信用格差が生まれる時代。そこで日本は、勝てる側に立てるはずなのです。

身の丈の開示戦略 全部やらなくていい

とはいえ、「CDPにフル回答してTNFDレポートを出しましょう」という話を、すべての企業にするつもりはありません。開示は身の丈で設計するものです。三段階でご提案します。

第一段階は、社内開示。

まず自社のために、水の台帳を一枚つくる。取水量・水源・単価・排水先・主要リスク。A4一枚で結構です。これは誰にも提出しませんが、すべての土台です。第9話の90日診断が、ちょうどこの一枚をつくる回になります。

第二段階は、求めに応じる開示。

顧客質問票やCDPサプライチェーン要請に、台帳を基に誠実に答える。背伸びして満点を狙うより、数字の出所が説明できる正直な回答のほうが、長期的には信頼されます。分からない項目は「現在整備中」と書けばよいのです。開示の世界では、空欄よりも、整備中と書ける状態のほうがずっと前向きに評価されます。

第三段階は、攻めの開示。

自社サイトや統合報告で水の取り組みを発信し、CDPの正式回答やTNFD開示に進む。ここまで来るのは、水が事業の重要テーマである企業、顧客・投資家の要請が強い企業でよいと思います。大切なのは、第一段階を飛ばして第三段階の体裁だけ整えないことです。台帳なき開示は、質問が一段深くなった瞬間に崩れます。

もう一つ、実務家として「開示疲れ」への処方も添えます。CDP、TNFD、法定開示、顧客ごとの独自質問票。様式が増えるほど、担当者は疲弊します。対策は一つで、答えを様式ごとに作らないことです。一つの水の台帳(マスターデータ)を正として整備し、各様式へは台帳から転記・変換する。私どものスマートファクトリー支援でも、環境データの収集を紙とエクセルの手作業からIoTでの自動収集に切り替え、開示用データが「毎年の突貫工事」から「日常業務の副産物」に変わった例が増えています。第7話の「水の台帳の持ち主を一人決める」は、開示の世界ではそのまま「様式が何種類来ても慌てない体制」の意味になります。開示のDXは、様式の攻略ではなく、台帳の一本化から始まるのです。

【第8話図表ファイルのP5ページ
「身の丈の開示戦略 三段階」参照】

私の現場から 台帳のある会社は一週間で答える

実は、開示が受注を守る場面を、私は前職の大手ケミカルHD時代に体験しています。海外の大口顧客による環境監査で、水の管理台帳と排水データの提示を求められたときのことです。日頃から工場で記録していた台帳をそのまま示したところ、監査は半日で終わり、担当者から「データがすぐ出る工場は、品質も信用できる」と言われました。水の記録が、品質保証の信用にまで越境した瞬間でした。あれから20年以上経ち、あのとき一部の先進的な顧客だけが行っていた確認が、CDPやTNFDという世界共通の様式になって、あらゆる企業に届くようになった。それが現在地です。

冒頭のご相談の続きをお話しします。あの会社と一緒に最初にやったのは、質問票への回答ではなく、水収支マップづくりでした。遠回りに見えますが、これが最短路です。マップができると、質問票の設問の8割は、マップからの転記で埋まりました。残りは経営としての方針を書く欄で、これは社長と半日話して固めました。結局、初回は1か月弱。翌年からは1週間で答えられる体制になりました。

経験則を申し上げます。水の台帳がある会社は、どんな様式の質問票が来ても1週間で答えられます。台帳がない会社は、どんな簡単な質問票にも3か月かかります。差は様式の知識ではなく、日頃の把握です。そしてもう一つ。台帳づくりの過程で、ほぼ必ず、漏水や無駄な水使用が見つかり、水道代が下がります。開示準備のコストは、節水効果で一部回収できてしまうことが多いのです。守りの支出だと思っていたものが、払う前から配当を生む。水の開示とは、そういう性質の投資です。

よくいただきそうなご質問に、先回りして

Q1. 非上場の中小企業です。開示は本当に関係ありますか。

投資家経由の要請は当面来ないと思います。しかし顧客経由は、企業規模と関係なく来ます。大手の取引先が自社のサプライチェーン全体の水リスクを開示する以上、その一部である御社にデータ照会が来るのは時間の問題です。フル装備は不要です。第一段階の台帳一枚だけ、先に持っておいてください。それだけで、質問票が届いた日の景色がまるで違います。

Q2. CDPのスコアが低いと、取引を切られるのでしょうか。

現時点で、スコア単独で取引が切られる例は一般的ではありません。調達側が見ているのは、点数よりも改善の軌跡です。D評価でも、翌年C、その翌年Bと上がっていく会社は信頼されます。逆に最も印象が悪いのは、無回答の継続です。点数は実力の写像にすぎません。焦って体裁を整えるより、台帳と実務を先に育てることをお勧めします。

Q3. 何から書き始めればよいですか。

「うちの工場の水は、どこから来て、どこへ帰るか」を、A4一枚の絵にすることからです。水源、取水量、主要な用途、排水先。第1話の三つの問いに答えられる状態を、まず紙の上につくる。様式や英語は後からついてきます。実は、この一枚の絵は江戸時代の絵図にも似た仕事で、先人は水路の一本一本を見事に記録していました。水の記録は、日本のものづくりの古い伝統でもあるのです。

なお、社内の推進体制で一つだけ助言を。開示は環境部門だけの仕事にしないでください。数字は工場と設備部門が持ち、リスクの文脈は調達とBCP担当が持ち、財務影響は経理が持ち、対外の言葉は広報とIRが持っています。CDPやTNFDの回答がうまい会社は、例外なく、この横串の会議体を持っています。年に4回、1時間ずつで十分です。水は部門を横断して流れているのですから、水の開示も、部門を横断してつくるのが道理なのです。

おわりに 開示とは、約束を言葉にすること

きょうの持ち帰りの数字は「706・80・2027」です。CDP水セキュリティに回答した日本企業は706社。TNFD早期採用の日本企業は80社で世界最多。そして2027年3月期から、日本でもサステナビリティ開示の法定義務化が始まります。水の開示は、遠い外国の流行ではなく、日本が世界を先導している分野であり、そして間もなく制度になる現実です。

この連載で繰り返し申し上げてきたとおり、水は流域の共有物であり、工場の操業は地域との約束の上に成り立っています。開示とは、突き詰めれば、その約束を数字と言葉にして、株主と顧客と地域に見せることです。約束を守っている工場にとって、開示は負担ではなく、証明の機会です。だからこそ、開示の前にまず約束を、約束の前にまず台帳を。順番さえ間違えなければ、この波は追い風になります。日本の製造業は、現場の記録文化という、開示時代の最強の足腰を最初から持っているのですから。

次回の第9話は、その台帳づくりを、最も身近なところから始める回です。「中小工場の水診断 メーターひとつから始める90日」。お金をかけず、90日で、自社の水の現在地を診断する手順に落とし込みます。この連載の実務編の総集編として、明日から使える形でお届けします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。次回もどうぞよろしくお願いいたします。

あわせて読みたい関連連載(note @iceman_23)

本連載は、これまでの連載群と地続きです。テーマの重なりを四つの層で整理していますので、ご関心に合わせてご覧いただければ幸いです。

・ 「炭素に値段がつく時代 CBAMという新しい貿易ルールと製造業」(ルールの層) 炭素の開示と国境調整の実務を描きました。水の開示は、その道を数年遅れで歩いています。

・ 「製品が履歴書を持つ時代 デジタルプロダクトパスポートという次の貿易ルール」(ルールの層) 製品単位のデータ開示の潮流。水のデータは、いずれ製品の履歴書の一項目になります。

・ 「グローバルサウスの資源循環革命」(現場の層) 開示の根拠となる現場データづくりは、新興国の拠点でこそ差がつきます。

・ 再生可能エネルギー連載(転換の層) サステナファイナンスと環境指標の関係を、エネルギーの側から扱いました。水の資金調達論と併せてどうぞ。

■著者プロフィール

畠山 達彦 株式会社DCTA 代表取締役
大手ケミカルHDの事業会社にて機能性樹脂事業の責任者を務め、素材開発・加工技術・工場設計・生産管理に至るバリューチェーン全体の意思決定を担う。30カ国以上の事業運営を統括した後、2014年11月に独立し株式会社DCTAを設立。製造業の環境規制対応(PFAS・EU CRA等)、IoT/AI/デジタルツインを活用したスマートファクトリー構築、アジアでの資源循環ビジネス開発を中心としたコンサルティングを展開。湘南・横浜を拠点に、東南アジア・中東・インド・欧州・米国で活動中。NewsPicks EXPERT AWARD ベストフラッシュオピニオン賞2024/2025年連続受賞。
会社URL https://www.dctainc.com/

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