「積み上げ」から「ずらし」へ ― シンガポールの建築が教えてくれた、これからの教育のかたち
きっかけは、思わず見上げてしまう建物
シンガポールで、ある集合住宅に出会った。その名も「The Interlace(インターレース)」。

同じサイズの直方体ブロックを、まるで積み木のように斜めにずらしながら積み重ねた、31棟からなる集合住宅だ。ドイツ人建築家オーレ・シェーレン率いるOMAが設計し、2013年に完成。2015年には「World Building of the Year」を受賞している。
日本のマンションのように、同じ形のタワーを真っ直ぐ積み上げるのではなく、ブロックを水平・斜めにずらして配置することで、建物同士の間に大きな空隙(ヴォイド)が生まれる。その隙間が風を通し、光を届け、中庭やコミュニティスペースになる。

災害の少ないシンガポールだからこそ許された、大胆な片持ち構造(キャンチレバー)。だが面白いのは、構造的には極めて安定しているのに、見た目には今にも崩れそうに見えるという点だ。この「安定と不安定のギャップ」が、思わず足を止めて見上げてしまう理由なのだと思う。
「足し算」の建築と「引き算」の建築
同じシンガポールには、リフレクションズという建物もある。曲面の高層タワーを天に向かって積み上げ、量感とスケールで圧倒する、いわば「足し算」の建築だ。
対してインターレースは、「引き算」あるいは「組み替え」の建築と言える。主役はブロックそのものではなく、ブロック同士がつくる「隙間」。密度を上げながらも、地面・風・緑とのつながりを取り戻す発想だ。
日本建築が地震に耐えるために"揺れながら立つ"合理性を追求するのに対し、インターレースは"崩れながら立つ"かのような視覚的スリルを狙っている。この対比が、非常に示唆に富んでいた。
「ずらす」という発想は、教育にも応用できる
この「ずらす」という発想は、建築に限った話ではないと思う。
これまでの教育は、学年ごとに知識を積み上げていく、いわば「積み上げ型」が主流だった。学校→就職→引退という、直線的な人生モデルもその延長線上にある。
しかし、これからの時代に必要なのは、学び直しや転職、休職を挟みながら進んでいく「ずらし型」の生き方であり、それに合わせたカリキュラムではないだろうか。
ここで重要なのが、インターレースの構造から学べる、ある原則だ。
安定と不安定は対立ではない。強固な基盤があるからこそ、大胆な「ずらし」に挑戦できる。
インターレースの各ブロックは、内部構造や基礎が極めて堅牢に計算されている。その安定した基盤があるからこそ、あえて不安定に「見せる」大胆な配置に挑戦できているのだ。
教育における「固める部分」と「崩す部分」
これを教育に置き換えると、次のように整理できる。
基盤として固めるべき部分
①論理的思考力、基礎学力、対人関係の土台となる能力
②積み上げ型でしっかりと固める必要がある(構造計算にあたる部分)
あえて「ずらす」部分
①学年や年齢で区切らない、学び直しの機会
②「正解の道筋」を一つに決めない、選択制のカリキュラム
③失敗や回り道を前提にした評価制度
④異業種・異世代が交わる場(インターレースの中庭のような、偶発的な出会いを生む空間)
インターレースの「隙間」は単なる装飾ではなく、風通しやコミュニティ形成という実用的な機能を果たしている。教育における「ずらし」も、自由化やゆとりのためではなく、変化に対応する力そのものを育てる仕組みとして設計する必要がある。
基盤が緩いまま不安定にすれば、本当に崩れてしまう。「どこを固め、どこを崩すか」という設計思想こそが、これからのカリキュラムに問われているのだと思う。
子供を惹きつけるのは、「予測を裏切られる瞬間」
子供たちがインターレースを見上げて「これ何だろう?」と足を止めるのは、脳が予測していた「積み上げ型のビル」を裏切られたからだ。見慣れた積み上げ型のビルには、脳は「処理済み」と判断して素通りしてしまう。
教育もまったく同じ構造ではないだろうか。
⭐︎結論を先に見せて、あえて「なぜ?」を残す
⭐︎正解が一つに見える問題を、複数の答えがあり得る形で提示する
⭐︎「先生が教える→生徒が覚える」の一方向を崩し、生徒同士が教え合う場面をつくる
こうした「意図的な違和感」が、子供の好奇心に火をつける。
ただし、これには教員側の相当な技術と自信が必要だ。インターレースを設計したOMAが、力学計算を徹底したからこそ大胆な構造に挑戦できたように、教員も「基礎はここまで固めてある」という確信があって初めて、型を崩す授業ができる。基盤が不安な教員ほど、安全な積み上げ型に頼らざるを得なくなってしまう。
「固めて終わり」ではなく、「固めながら、常に次のずれを探す」
最後にもう一つ、インターレースから得た気づきがある。
この建物は、完成した瞬間に静止しているわけではない。時間帯によって光の入り方が変わり、季節で緑の表情が変わり、住む人によって使われ方も変わっていく。「不安定に見える構造」は、実は変化し続けることを前提に設計されている。
先生も同じで、一度確立した「型」に安住せず、
- 去年うまくいった授業を、今年はあえて別の角度からやってみる
- 生徒の反応を見て、その場で問いの立て方を変える
- 「自分の専門はここまで」と線を引かず、隣接領域に踏み出してみる
という、基盤を持ちながら常に微調整し続ける動的な安定が理想なのだと思う。
これはインターレースの片持ち構造が、常に力の均衡点を探り続けているのと同じ状態だ。静的に固めて終わりではなく、動きながらバランスを取り続けること。
おわりに
もちろん、これは一人の教員の頑張りだけに頼れば、いずれ燃え尽きてしまう。「立ち止まらないこと」を評価し、支える学校文化があって初めて、持続可能な仕組みになる。
一つの建築との出会いから、こんなに多くのことを考えさせられるとは思わなかった。「ずらす」という発想が、教育をはじめさまざまな領域でこれからのキーワードになっていく気がしている。
