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「わからない」と言える生徒は、なぜ伸びるのだろう。#疑問が学びに変わるとき

「先生、わかりません。」

塾でこの言葉を聞くと、以前の私は、

「じゃあ、もう一回説明するね」

と、すぐに説明を始めていました。

でも、最近は少し違います。

「どこから、わからなくなった?」

と聞くようになりました。

そして、ときどき思うのです。

「わからない」と言える生徒は、なぜ伸びるのだろう?

これが、私の最近の小さな疑問です。

「わかりません」は、昔の私にとって困った言葉だった

私は某女子大を卒業後、予備校で3年間働きました。

現在は学習塾を経営しています。

これまでたくさんの生徒と出会ってきました。

当然ですが、生徒によって性格も、得意不得意も、勉強への向き合い方も違います。

そんな中で、以前から少し不思議に思っていたことがありました。

勉強が苦手な生徒ほど、

「わかりません」

と言わないことがあるのです。

問題を解いていても黙っている。

説明を聞いても、

「はい」

とうなずく。

「大丈夫?」

と聞くと、

「大丈夫です」

と答える。

でも、次の問題になると手が止まってしまう。

一方で、

「先生、ここまではわかるんです。でも、ここからがわかりません」

と言える生徒がいます。

こちらは、むしろ教えやすい。

どこでつまずいているのかが見えるからです。

そして、その後に少しずつできるようになっていく。

そこで、私は考えるようになりました。

もしかして、「わからない」という言葉は、勉強ができない証拠ではなく、学び始めるためのスタートラインなのではないか。

「わからない」と言った瞬間、何が起きているのか

数学を例に考えてみます。

ある生徒が、

「この問題、全然わかりません」

と言ったとします。

ここで、

「じゃあ全部説明するね」

と先生が答えてしまうと、生徒は先生の説明を聞くだけになります。

でも、

「どこまではわかる?」

と聞いてみる。

すると、

「公式はわかります」

「この計算まではできます」

「でも、なんでここでこの式を作るのかわかりません」

という答えが返ってくることがあります。

ここまで来ると、状況が変わります。

「わからない」が、

「何がわからないのか」

に変わったからです。

さらに、

「じゃあ、なぜその式を作る必要があるんだろう?」

と一緒に考えてみる。

すると、生徒自身が、

「あ、面積を求めたいから、この長さが必要なのか!」

と気づくことがあります。

その瞬間が、私は好きです。

答えを教えたわけではありません。

生徒の中にあった「わからない」が、少し形を変えただけです。

「疑問」は、最初から立派な形をしていない

今回、國學院大學とnoteが開催するコンテストのテーマは、

「#疑問が学びに変わるとき」

です。

このテーマを見たとき、私は少し考えました。

「疑問」って、もっと立派なものじゃないといけないのかな、と。

「なぜ日本文化は……」

「歴史的に見て……」

「社会における……」

もちろん、そういう問いも面白い。

でも、私が塾で毎日のように出会っている疑問は、もっと小さいものです。

「なんでこの問題は解けないんだろう?」

「どうして勉強しようとすると眠くなるんだろう?」

「同じ説明を聞いているのに、すぐ理解できる子と時間がかかる子がいるのはなぜだろう?」

「どうして『わからない』と言える子と、言えない子がいるんだろう?」

こういう小さな疑問です。

でも、よく考えてみると、

学びの始まりって、案外こういうところにあるのかもしれません。

「教える」だけでは、教育にならない?

塾を経営するようになってから、私は以前よりも「教える」ということについて考えるようになりました。

先生が知識を持っている。

先生が説明する。

生徒が覚える。

もちろん、それも大切です。

でも、それだけでは足りない気がします。

生徒が自分で、

「なんで?」

「どうして?」

「これって本当にそうなの?」

と思えること。

そして、その疑問を口にできること。

さらに、自分で調べたり、誰かに聞いたり、考えたりすること。

そこまでいって初めて、「学び」になるのではないでしょうか。

だから私は最近、

「わからない」と言えることは、弱さではない

と思うようになりました。

むしろ、

「私はここがわからない」

と自分の現在地を認めることは、かなり勇気のいることです。

そして、自分の現在地がわからなければ、次にどこへ進めばいいのかもわかりません。

それでも、まだ答えは出ていない

もちろん、私の疑問にはまだ完全な答えがありません。

「わからない」と言える生徒が本当に伸びるのか。

伸びるとしたら、なぜなのか。

先生との関係なのか。

本人の性格なのか。

学習環境なのか。

それとも、「わからないことを言葉にする」という行為そのものに意味があるのか。

まだまだ考えてみたいことがあります。

だから私は、これからも生徒たちを見ながら、この疑問について考えていきたいと思っています。

もしかすると、ある日、

「先生、わかりません」

と言っていた生徒が、

「先生、ここはわかるんですけど、ここがわかりません」

と言うようになるかもしれません。

そして、その次には、

「ここがわからないから、自分で調べてみました」

と言うようになるかもしれない。

もしそうなったら、私はそれを大きな成長だと思います。

私自身も、まだ「わからない」

考えてみれば、これは生徒だけの話ではありません。

私自身も、教育についてまだまだ「わからない」ことだらけです。

予備校で働いていたときには気づかなかったことが、塾を経営するようになって見えてきました。

生徒を教える立場になったからこそ生まれた疑問もあります。

散歩をしていて、ふと気になったことを調べることもあります。

本を読んでいて、たった一行が頭から離れなくなることもあります。

そうやって考えているうちに、私はいつの間にか、教育だけではなく、心理学や脳科学、歴史、社会、日常の小さな出来事まで、いろいろなことを調べるようになりました。

プロフィールには、

「教育を中心に幅広く学びを探求中」

と書いています。

でも、本当のところは、

「気になったら調べずにはいられない」

だけなのかもしれません。

だから、これからも「なぜ?」を大切にしたい。

すぐに答えが見つからなくてもいい。

むしろ、答えが見つからないからこそ面白い。

疑問を持つ。

調べる。

考える。

誰かと話す。

また疑問が生まれる。

その繰り返しが、少しずつ自分の世界を広げてくれる。

私は今、そんなふうに「学び」を考えています。

最後に、ひとつだけ

もし今、勉強していて、

「全然わからない」

と思っている人がいたら。

私は、その「わからない」を大切にしてほしいと思います。

わからないことは、恥ずかしいことではありません。

「わからない」は、学びの終わりではなく、学びの入口なのかもしれないからです。

そして私も、まだまだ「わからない」ことばかりです。

だから、これからも生徒たちと一緒に、

「なんでだろう?」

を楽しんでいきたい。

今日もまた、ひとつ疑問が生まれました。

「『わからない』と言える教室をつくるには、どうしたらいいんだろう?」

さて。

この問いについては、もう少し考えてみようと思います。

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