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なぜ「独身肯定論」に賛成できないか

 独身男性たる友人からYoutube動画が送られてきた。

 まああまりにも自分が「氷河期非モテの独身男性」を社会問題として強調しているので、「独身のほうがいいよ」などという動画を送ったということなのだろう。

 しかしながら、こういう論調に自分としては根本的には賛同できない。

 それはなぜか。

 こういう論調の蔓延そのものが「失敗国家」そのものの姿だからである。

 その社会を構成する国民の食欲を満たせずに飢えに満たされた国家は間違いなく「失敗国家」である。次世代にその社会を引き継ぐことができないからだ。そして、そんな国では為政者たちが未来をつなぐための糧を今の自分のために蕩尽している。そしてそれを反省しないでこれらの仕組みを継続していくと、国家と社会はその規模をどんどん縮小し、その縮小に伴う様々苦痛を再生産することになる。

 国民が満足に睡眠すらとれず、重労働を課され、大量の過労死を生む状況を生み出す国家もまた「失敗国家」である。バブル期以降の日本などが想起されがちだが、それ以上にかつての雑役や兵役などによって「過酷な死」を量産したり、極めつけは戦争によって「戦死や病死」を量産するというのもまた、労働力を蕩尽し、次世代に社会を引き継がせないこととなる。この場合、労働力を蕩尽しているのは為政者なり指導者が「労働力などいくらでもある」と思い込んで無駄遣いすることである。そして、そしてそれを反省しないでこれらの仕組みを継続していくと、国家と社会はその規模をどんどん縮小し、その縮小に伴う様々苦痛を再生産することになる。

 つまり、以上2つの事態を引き起こした国家は「失敗国家」の姿として大いに反省するべきなのだが、これはまたもう一つの三大欲求たる性欲…根源的には「子孫を残したいという欲」もまた同じである。当然ながら子孫の数が少なく、本来子孫を残すための労働力をほかに蕩尽すれば、次世代の社会は縮小する。そしてそれを反省しないでこれらの仕組みを継続していくと、国家と社会はその規模をどんどん縮小し、その縮小に伴う様々苦痛を再生産することになる。

 つまり、食欲・睡眠欲・性欲の3大欲求が満たせない人間を大量に生産する社会というのは大いに反省され、正されるべきである。そして、その反省は「本来社会のリソースを蕩尽しているもの」が糾弾されることによってなされる。

 では、性欲…根源的には「子孫を残したいという欲」を満たせない社会において、リソースを蕩尽しているものは誰かといえば、「最強の独身生活」といって独身生活を謳歌し、本来家庭を再生産するために使うべきリソースを「今の自分」のために浪費している独身者は間違いなく含まれる。(むろんこんなnoteを書いている自分も立派にその一人である。)ほかにも、無駄に高い学費を請求して権威産業を行っている名ばかりの教育機関や、その教育機関に依存して採用活動を行う企業経営者・為政者、子どもを自己実現の道具に使う過剰教育を行ったり、「一定の数しか発生しえない地位などの財」すなわち「特権財」の争奪戦のために延々と塾などにリソースを放り込み続ける親なども含まれる。

 少なくとも、のうのうと独身生活を行っているものは社会の再生産の義務を果たさない怠惰な存在であり、すなわち、社会においては極道みたいなものである。おとなしくしていればまだしも、嬉々として「独身最高」などとのたまうのは、「龍が如く」の極道である真島吾朗(真島の兄さん)が、嬉々としてカタギの人間を極道の世界に誘うようなものであり、ろくなものではない。
 となると、責めて相応に罪の意識を持ち、糾弾され、そういう人間を量産しないような仕組みを構築するように考える程度の義務はある。さもなくば、「独身で子供を作らないほうが得である」という社会が再生産され、延々と社会活動が縮小再生産され、次世代に迷惑をかけ続けることになる。特に、縮小再生産の苦痛に耐ええる社会システムを構築していない以上、この責任からは逃れることができない。(既婚者で子供がいようが似たようなレベルなのはたくさんいるが。)

 そう考えるからこそ、「独身のほうがいいよ」などという風潮には、氷河期非モテの独身男性としては、賛同できないのである。


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