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🇺🇸ソウル音楽の歴史~魂の叫び❸マイケル・ジャクソン、EW&F、ジェームス・ブラウン[洋楽][エッセイ][プレイリスト]

第3回 「ソウル」の行方
~「ファンク」から「ヒップホップ」へ



 ベトナム戦争黒人公民権運動の中、1960年代後半の「ソウル」音楽は、白人向けに洗練された「ノーザン・ソウル」と、黒人的な泥臭い「サザン・ソウル」へと分かれて行きましたが、70年代になると、もう一つ別の流れが台頭たいとうして来ます。

 ソウル音楽の中でも、特にリズムが強調され、踊れるものを「ファンク」といいます。
黒人特有のうねるようなリズム(グルーヴ)があり、聞いているうちに体が動き出します。
 この原型を作ったのが、「ゲロッパ!」のテレビCMで有名なジェームス・ブラウンです🎧


ジェームス・ブラウン「セックス・マシーン」(1970年)


 曲の最初から最後まで、延々と同じフレーズを繰り返すだけなんですが、段々と気持ちが高揚こうようしてくるんですね。

 このファンクにロックの要素を加えて、より強靭きょうじんなビートへと発展させたのが、スライ&ザ・ファミリー・ストーンでした🎧


スライ&ザ・ファミリー・ストーン「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」(1968年)


 ところが、黒人にうけたファンクも、白人には受け入れられませんでした。リズムが複雑で、白人が踊るには少し難し過ぎたのでした。

 そこで白人でも踊れるように、単純な「ズッ、タン、ズッ、タン」のリズムに改良されたのが「ディスコ」です。

 これは白人層にも売れに売れました。そして、アメリカ合衆国建国200周年のお祭りムードと相まって、70年代中盤の音楽シーンは、ディスコ1色となりました。

 西城秀樹が歌って日本でもヒットしたのが、ビレッジ・ピープル「Y.M.C.A.」です🎧


ビレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」(1978年)



 きわめつけは、映画「サタディ・ナイト・フィーバー」の特大ヒットで、空前のディスコ・ブーム。
「フィーバー」という流行語まで生まれましたよね🕺

そして、ファンクやディスコにジャズの要素を加えて、さらに洗練された独自のスタイルを築き上げたのが、アース・ウインド&ファイアーでした🎧


アース・ウインド&ファイアー「宇宙のファンタジー」(1977年)



 さて、80年代になると、二つのものが大きく音楽界を揺るがせます。
 一つ目は、ケーブルテレビの音楽専門チャンネルの「MTV」
24時間、音楽ビデオを流し続けて、ラジオに取って代わります。

 そんな中、斬新ざんしんなダンスと映像で大成功を収めたのが、あのマイケル・ジャクソン
「ビリー・ジーン」の中で見せたムーン・ウォークがとても印象的でしたね🎧


マイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」(1983年)


 二つ目は「打ち込み(コンピューター・プログラミング)」。
 プログラマーが楽譜をコンピューターに打ち込み、楽器の演奏を全部自動で行いました。
ピアノもドラムも、何もかもコンピューターがやり、歌だけが人間です。
 結果、どれもこれも同じ画一的なサウンドになり、人の「ソウル」は失われてしまいました。

 さらに技術が進み、過去のレコードの中から一つの楽器の部分だけを抜き出せるようになります。
これを「サンプリング」といいます。

 ドラムの部分を抜き出して、それをプログラマーがパターン化して繰り返したものが「ブレイク・ビーツ」です。
 このカラオケをバックに、早口でしゃべりまくるのが「ラップ」
その音楽を「ヒップホップ」というんですよね🎧


ア・トライブ・コールド・クエストキャン・アイ・キック・イット?」(1990年)


 ヒップホップは、街にたむろする若者たちの、ファッションやダンスと結びつき、黒人の若者文化となっていきます。

 ただ、そこにはもはや、演奏する人間も歌のメロディもなく、ただ言葉によるメッセージだけが残ります。


 さて、百年以上にわたるアメリカのポピュラー音楽の歴史を振り返ると、常に黒人がリードし、それを白人が追いかけてきたことがわかります。

 黒人が始めた「ジャズ」から白人の「スウィング・ジャズ」が生まれました。
黒人の「リズム&ブルース」が白人の「ロックンロール」になりました。
そして「ファンク」が「ディスコ」を生みました。

 では、どうして黒人は、いつも新しい音楽スタイルを生み出せたのでしょうか? 
 おそらく、それは、黒人が貧しかったからだと思います。

 南北戦争後、黒人はトランペットやサックスを手に入れますが、楽譜が読めません。
仕方なく楽譜なしで、うろ覚えで即興そっきょうのメロディを吹いているうちに、「ジャズ」のアドリブが生まれたんだと思います。

 ギターを弾く際、やはり楽譜が読めないから、上手くメロディが弾けません。
そこで、ギターを打楽器のように「シャカ、シャカ」と弾き、そこから「ファンク」が生まれました。

 貧しいがゆえ、学校や楽譜で学ぶことが出来ないから、自己流でつくり出した。
そこに彼らの音楽があったんだと思います。


 おしまいに、1967年、ベトナム戦争が激化する中、ルイ・アームストロングが発表した「この素晴らしき世界」を紹介します。
 ここには、平和で平等な世界への切なる想いが、美しくつづられています。
 ルイのあのダミ声が、満面の笑顔で語りかけます🎧


ルイ・アームストロング「この素晴らしき世界」(1967年)


"僕には見える、緑の木々が。
僕には見える、真っ赤なバラが、
僕と君のために咲いているのが。
そして僕はひとり思う、
なんて素晴らしい世界なんだと。

僕には見える、友人同士が手を握り合い、やあ、元気かい?って言葉を交わすのが。
心から君を愛してると言っているのが。

僕には聴こえる、赤ん坊たちの泣く声が。
僕はその成長を見守っていこう。
きっと彼らは、ずっと多くを学ぶだろう、
僕がこれまで知りえたよりも。

そして僕はひとり思う。
ああ、なんて素晴らしい世界なんだと🎵"



🖋️本作品は、「〇〇新聞」(2020年6月24日号)に、『ソウルミュージックの歴史〜魂の叫び(下)』というタイトルで発表した記事を、加筆修正したものです。

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