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🇺🇸ソウル音楽の歴史~魂の叫び❶マディ・ウォーターズ、チャーリー・パーカー

第1回 聖なるゴスペル、貧苦のブルース、そして街のジャズ



 荘厳そうごんなオルガンの響きに乗せて、天高らかにうた「ゴスペル」
盲目もうもくのシンガーが、しわがれた声で人生を語る「ブルース」
サックスの音が狂おしく雄叫おたけびをあげる「ジャズ」

 黒人たちが生んだ素晴らしい音楽の歴史を、これから三回に分けてり返っていきます。 


スリーピー・ジョン・エスティスジェイルハウス・ブルース」(1940年)



 17世紀から盛んになった奴隷貿易により、アフリカ大陸から北米に連れて来られた黒人たちは、主に南部の農園で奴隷として働かされます。 

農園領主は、奴隷たちをしばり、アフリカの音楽を禁じます。
彼らは、唯一日曜日の礼拝らいはいで、讃美歌さんびかを歌うことだけは許されていました。

 やがて19世紀後半に南北戦争が起こり、奴隷解放を支持する北軍が勝利した結果、黒人は奴隷ではなくなります。

 小作人こさくにんとなった彼らは、領主から土地と小屋と農具を借りますが、収穫の半分を奪われる苦しい生活をいられます。

 そんな中、戦後の人種差別政策により、白人は白人の教会に、黒人は黒人の教会に別々に集まるようになります。

 当時はまだ、黒人たちには、楽譜はおろか字も読めませんでしたから、白人の讃美歌が口伝えで伝わっていくうちに、次第しだいにアフリカ的な特徴をびていきます。
これが「黒人霊歌れいか(スピリチュアル)」と呼ばれる音楽です。

マヘリア・ジャクソンの歌で知られる「アメイジング・グレイス」では、次のように歌われます。


マヘリア・ジャクソンアメイジング・グレイス」(1957年?)


”すばらしき主の御恵みめぐみ、甘美かんびなる調しらべ。
主の御恵みは、我れに怖れを教え、
怖れから救いたまう。
この身と心が滅び、いのちがきる時、
喜びと安らぎの命ぞ、与えられん🎵”

 黒人霊歌は、苦しい日常からの魂の救済の音楽だったといえます。


 一方で彼らは、白人からギターを手に入れ、あるいは手作りのギターを使って、小屋の中で、貧しく苦しい日々の暮らしを、アフリカの伝統的な旋律せんりつに乗せて歌いました。
これが「ブルース」です。


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 ブルースの音階は、西洋の「ドレミ…」の音階と違って、ミとソとシが半音下がるため、どこか物悲しいひびきがするのが特徴です。

 その後の白人の「ロック」音楽に大きな影響を与えたのが、神業かみわざ的ギター・テクニックで、「悪魔に魂を売った男」と呼ばれた、伝説のブルース・ギタリスト、ロバート・ジョンソンです。


ロバート・ジョンソンクロスロード・ブルース」(1936年)



そしてもう一人、「ブルースの父」と呼ばれるカリスマ的ブルース・シンガーが、マディ・ウォーターズ
 マディの曲のタイトルを、自分たちのグループ名にしたのが、あのローリング・ストーンズですよね。


マディ・ウォーターズマニッシュ・ボーイ」(1955年)



 さて、黒人霊歌の方は、19世紀末には、オルガンやピアノの伴奏に加え、教会での打楽器の使用も許可されたことで、より魂の高揚こうようする音楽へと発展していきます。
これが「ゴスペル」です。

 日々の生活の中で抑圧よくあつされている感情を、激しいシャウトとダンスで、一気にはなちました。

 手拍子てびょうしに合わせて大合唱する「オー・ハッピー・デイ」は、誰もが一度は耳にしたことがあると思います。


エドウィン・ホーキンス・シンガーズオー・ハッピー・デイ」(1969年)


 ところで、奴隷から解放された黒人の中には、小作人として農園には残らず、町に出て仕事を求めた人たちもいました。

 そのころ南部の港町ニューオリンズでは、南北戦争で負けた南軍が払い下げた軍楽隊の楽器が、二束三文にそくさんもんで売られていました。

 彼らはそれらの楽器を買って、楽団(ブラスバンド)を組んで、白人用のダンスホールや酒場で演奏するようになります。
これが「ジャズ」の始まりですね。 

 そのジャズのいしずえきずいたのが、トランペットのルイ・アームストロング
彼は最初に即興そっきょう演奏(アドリブ)を取り入れたことで、「ジャズの父」と呼ばれています。


ルイ・アームストロングポテト・ヘッド・ブルース」(1927年)



 次にアルト・サックスで、その即興演奏を発展させ、ビーバップという音楽スタイルにまで高めたのが、チャーリー・パーカー


チャーリー・パーカー&ディジィー・ガレスピーブルームディド」(1954年)



 そして、ビーバップに様々な音楽の要素を取り込んで、ジャズを完成させたのが、トランペットの「帝王マイルス・デイヴィスですよね。

 教会の中で、抑圧された魂を解き放った「ゴスペル」。
貧しい日々の暮らしの中から生まれた「ブルース」。
そして都会の繁華街はんかがいで、白人客のBGMとして始まった「ジャズ」。

 それぞれ別々に生まれた音楽が、この後相互そうごからみ合いながら、「ソウル・ミュージック」へとばたいて行くことになります。


マイルス・デイヴィスイット・ネバー・エンタード・マイ・マインド」(1956年)


第2回 「ソウルの誕生」へ続く。


🖋️本作品は、「〇〇新聞」(2020年6月19日号)に、『ソウルミュージックの歴史〜魂の叫び(上)』というタイトルで発表した記事を、加筆修正したものです。

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