ゲバラとヘミングウェイ 笑顔の向こう側
ゲバラとヘミングウェイ、キューバの夜
その一:旅の始まり
1952年、二人の若者がアルゼンチンを出発した。
エルネスト・ゲバラ、23歳、医学生。
アルベルト・グラナード、29歳、生化学者。
おんぼろのバイク「ポデローサ号」に乗って、
南米大陸を縦断する旅に出た。
青春のロードムービー。
友情、
冒険、
出会い、
恋、
別れ。
しかし彼らが見たのは蟹工船だった。
チリの銅山。
労働者たちは肺を病みながら働いていた。
賃金は安く、労働環境は劣悪だった。
アメリカ資本が利益を吸い上げ、
労働者には何も残らない。
ペルーのハンセン病療養所。
患者たちは社会から隔離されていた。
ゲバラは医学生として彼らと接した。
川を泳いで渡り、
患者たちの誕生日パーティーに参加した。
マチュピチュの遺跡。
インカ帝国の栄光と、
スペインによる征服。
植民地支配の傷跡は、
500年経っても消えていなかった。
楽しい旅行のはずだった。
でも現場は蟹工船だった。
南米全体が、搾取の構造の中にあった。
ゲバラは変わっていった。
陽気な医学生から、
何かを見てしまった男へ。
その二:ゲバラの身体
ゲバラは喘息患者だった。
旅の途中でも発作に苦しんだ。
息が吸えない。
気管が収縮する。咳は出ないが、
身体の内側で何かが進行していく。
この病気の患者は、自分の身体を観察する習慣が身につく。発作の前兆を感じ取り、閾値を超える前に対処する。
医師には見えない変化を、
自分で察知しなければならない。
その観察眼が、旅の中で外側にも向けられた。
銅山の労働者の疲弊した顔。
療養所の患者たちの諦め。
先住民の沈黙。
ゲバラは見た。
見えないふりができなかった。
彼の写真集に、
寝転がって葉巻をくわえている一枚がある。
微笑みを添えて。
喘息患者が、寝転がって、
葉巻をくわえている。
医学的には最悪の組み合わせだ。
気管が収縮しやすい身体に、
煙を入れる。発作を誘発するような姿勢。
それを分かっていて、やっている。
微笑みながら。
自分の身体の限界を知っている人間の、
静かな反抗だろうか。
喘息は彼を縛ってきた。
旅の途中でも、
ゲリラ戦の最中でも、
発作は彼を襲った。
吸入器を手放せなかった。
その身体に、葉巻で挑発する。
しかし深刻にならない。
寝転がって、微笑んでいる。
弱さを知った上で微笑む。
それがゲバラの強さだった。
グラナードは旅の後、医師として生きた。
キューバに渡り、医療に従事し、
2011年まで生きた。
ゲバラは革命家になった。1967年に死んだ。
同じ旅をした二人が、分岐した。
その三:フィデルとの出会い
1955年、メキシコ。
ゲバラはキューバ人の亡命者たちと出会った。
フィデル・カストロ。
キューバのバティスタ独裁政権を
倒そうとしている男。
ゲバラは医師として参加した。
革命軍には医者が必要だった。
喘息持ちの医者。
しかし彼はすぐに戦闘員になった。
1956年、82人の革命家が
ヨット「グランマ号」でキューバに向かった。
上陸は失敗し、生き残ったのは十数人。
彼らはシエラ・マエストラの山中に逃げ込み、
ゲリラ戦を始めた。
ゲバラは喘息の発作を抱えながら戦った。
呼吸が苦しい身体で、山を登り、銃を撃ち、
仲間を率いた。弱さを知っているから、
他者の弱さにも気づけた。誰が疲れているか。
誰が支えを必要としているか。
彼は「チェ」と呼ばれるようになった。
アルゼンチン人の口癖。
「ねえ」という呼びかけ。
親しみを込めた呼び名。
人のために生きることが、
自分のために生きること。
ゲバラにはこの二つの分離がなかった。
他者の弱さと、
自分の弱さがつながっていた。
だから
「人のために」が「自分のために」になった。
他者を助けることが、自分を生きることだった。
その四:享楽のハバナ
その頃、ハバナには別の世界があった。
カジノ、ナイトクラブ、売春宿。
アメリカのマフィアが仕切る歓楽街。
観光客は金を落とし、
キューバ人は彼らに奉仕した。
砂糖プランテーションの利益はアメリカに流れた。
そこにヘミングウェイがいた。
ハバナ郊外の
フィンカ・ビヒアに豪邸を構えていた。
ラ・ボデギータ・デル・メディオで
モヒートを飲み、
ラ・フロリディータで
フローズン・ダイキリを飲んだ。
深海釣りに出かけ、闘鶏を見物し、
小説を書いた。
『老人と海』はここで書かれた。
老いた漁師が巨大なカジキと格闘する物語。
孤独な戦い。
男の誇り。
ヘミングウェイは「強い男」だった。
第一次大戦で負傷し、スペイン内戦を取材し、
ノルマンディー上陸作戦に同行した。
戦場を見てきた男。
しかしキューバでは、享楽の中にいた。
ヘミングウェイも葉巻を吸った。酒を飲んだ。
しかしそれは「強い男」の記号だった。
タフな男は葉巻を吸う。
同じく戦場を見てきたサリンジャーとは
対照的な態度だ。
強い男。
そういう演出。
写真を見ると分かる。
狩猟の獲物と並んで。
闘牛場で。
釣り船の上で。
どれも「強さ」を誇示している。
笑っていても、どこか硬い。
鎧を着たまま笑うのは難しい。
彼の平穏は、
バティスタ政権の安定に支えられていた。
映画『ゴッドファーザー PART II』は、
まさにこの時代のハバナを描いている。
1958年の大晦日、
ホテルに集まるアメリカの実業家たち。
キューバの形をしたケーキを切り分ける場面。
誰がどの地域を取るか。
植民地的な分割。
ヘミングウェイのハバナ、
マフィアのハバナ、
バティスタのハバナ。
享楽と搾取が同居する街。
その五:革命の夜
1958年の大晦日を想像する。
ラ・ボデギータ・デル・メディオで、
ヘミングウェイがモヒートを飲んでいる。
ミントの香り、ラム、ライム、砂糖。
カウンターに肘をついて、
常連客と談笑している。
数ブロック先のホテルでは、
アメリカの実業家たちが葉巻をくゆらせている。
グラスが鳴り、ビジネスの話が進む。
その外側で、
山から降りてきた男たちが迫っている。
ゲバラは喘息の発作を抑えながら歩いている。
カストロは次の作戦を考えている。
彼らの軍服は汚れ、靴は擦り切れている。
しかし目は光っている。
享楽の内側と、革命の外側。
ヘミングウェイのモヒートと、ゲバラの吸入器。
フローズン・ダイキリの冷たさと、
ジャングルの湿気。
『ゴッドファーザー PART II』で、マイケル・コルレオーネは窓の外を見ている。
革命軍の兵士が自爆攻撃を仕掛ける。彼は悟る。
「兵士は金で動く。
しかしあいつらは金のためではない」
この革命は止まらない。
映画はその夜をあっけなく描く。
銃声がする。
人々が慌てる。
それだけ。
バティスタ政権の崩壊という歴史的転換点が、
マイケルにとっては「ビジネスの失敗」でしかない。革命の意味は語られない。窓の外の出来事として処理される。
享楽の内側にいる人間には、革命は見えない。
見えても、意味が分からない。
多くの人があのシーンを覚えているかも知れない。しかしそれがキューバ革命の夜だと認識している人は少ない。
映画を観る私たちも、
マイケル・コルレオーネの視点で見ている。
窓の外にゲバラがいたことを、想像しない。
その六:1959年
革命軍がハバナに入城した。
バティスタは国外に逃亡した。
カジノは閉鎖された。
マフィアは去った。
ゲバラは国立銀行総裁、工業大臣を務めた。
しかし彼は行政官ではなかった。革命家だった。
革命が終わると、居場所がなくなった。
同じ年、ゲバラは日本を訪れている。
キューバ政府代表として。
日本政府は扱いに苦慮したようだ。
公式日程にはなかったが、
彼は広島行きを希望した。
原爆資料館を見て、慰霊碑に献花した。
彼がなぜ広島に行きたかったか。想像はできる。
南米の旅で、
搾取の構造を見た。
銅山の労働者、
ハンセン病患者、
先住民。
弱い者が踏みつけられる現場を見てきた。
広島もまた、その延長にある。
一瞬で街が消えた。何万人もの民間人が死んだ。
勝つために、アメリカは落とした。
弱い者が踏みつけられる構造の、最も極端な形。
キューバはアメリカの隣にある。
革命政権を倒すために、
アメリカは何をするか分からない。
実際、翌年にはピッグス湾侵攻が起き、
その後キューバ危機で
核戦争の瀬戸際まで行った。
広島で見たものは、
自分たちの未来かもしれなかった。
公式日程を外れて広島へ行く。
それもゲバラらしい。
決められたルートを歩かない。
自分の目で見たいものを見に行く。
モーターサイクル・ダイアリーズの旅と同じだ。
見てしまったら、見なかったふりはできない。
ヘミングウェイはまだキューバにいた。
革命政権との関係は複雑だった。
カストロと釣り大会で会ったこともある。
しかし1960年、彼はキューバを離れた。
フィンカ・ビヒアを後にして、
アイダホに戻った。
彼の平穏は終わった。
その七:二つの結末
ヘミングウェイは崩れていった。
アルコール依存。鬱病。電気ショック療法。
記憶の喪失。書けなくなった。
「強い男」でいられなくなった。
1961年7月、アイダホの自宅で、
猟銃を口にくわえた。
父親と同じ方法で。62歳。
ゲバラは動き続けた。
キューバを離れ、
コンゴへ行き、
ボリビアへ行った。
新しい革命を求めて。止まれなかった。
1967年10月、ボリビアで捕らえられた。
負傷し、疲弊し、喘息の発作を抱えながら。
翌日、処刑された。39歳。
正式な命令はなかった。
現場の兵士が引き金を引いた。
感情的に。
もう少し長く生きてほしかった、と思う。
遺体は秘密裏に埋められた。
空港の滑走路の下に。
30年間、
世界中の人が彼の上を飛び越えていった。
移動し続けた男が、動けなくなっていた。
1997年、遺骨が掘り起こされた。
ようやく、彼は帰ることができた。
その八:強さについて
ヘミングウェイの「強さ」は鎧だった。
見せるための強さ。
証明し続けなければならない強さ。
文体も、生き方も、
「強い男」で
あることを演じ続けた。
しかし鎧は重かった。
最後は自分で脱ぐこともできずに、
海に沈んでいった。
「強い男」であることが、彼の自己だった。
他者に見せるための強さ。
他者に認められるための強さ。
自己が他者の視線に依存していた。
だから
「自分のために」
と
「人のために」
が分離していた。
自分のためにポーズを取り、
他者はその観客だった。
観客がいなくなったとき、自己が崩れた。
ゲバラの「強さ」は弱さの自覚から来ていた。
喘息という身体。呼吸ができないという経験。
自分もまた弱い存在であるという認識。
だから他者に手を差し伸べられた。
だから最後まで戦えた。
ゲバラは観客を必要としなかった。
ジャングルの中で、誰も見ていなくても、
彼は同じように生きた。
喘息の発作を抑えながら、
仲間を気遣いながら、
微笑みながら。
人のために生きることが、
自分のために生きること。
この二つが分離していない。
他者を助けることが、自分を生きることだった。
分離がないから、演じる必要がなかった。だから自然に微笑めた。
サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』の中で、主人公ホールデンに、ヘミングウェイとフィッツジェラルドを比較させている。
ホールデンはヘミングウェイの
『武器よさらば』を「インチキ」だと感じる。
一方、フィッツジェラルドの
『グレート・ギャツビー』のギャツビーには惹かれている。
『武器よさらば』には、どこかでヒロイズムが残っている。
主人公は行動する。
決断する。
逃げるにしても、
能動的に逃げる。ヘミングウェイ的な「強い男」がそこにいる。
ギャツビーは違う。
夢を追い続けて破滅した。
行動したが、空回りだった。
緑の灯火を見つめ続けて、
何も得られなかった。
ホールデンがギャツビーに惹かれたのは、
その「空回り」への共感かもしれない。
行動しても届かない。
それでも手を伸ばし続ける。
サリンジャー自身もノルマンディーに上陸し、
戦場を歩いた。
だからこそ、ヘミングウェイ的なヒロイズムの「インチキ」が見えたのかもしれない。
ゲバラもまた、ヘミングウェイ的な「強い男」ではなかった。喘息を抱え、弱さを知り、それでも手を伸ばし続けた。
ボリビアでの革命は失敗した。
しかし彼は手を伸ばすことをやめなかった。
ヘミングウェイは「強い男」を演じ続け、
演じられなくなったとき、自分を撃った。
ゲバラは弱さを抱えたまま、
最後まで手を伸ばし続けた。
サリンジャーは沈黙を選んだ。
書き続けたが、発表しなかった。
行動することも、演じることもやめた。
三者三様の応答。しかしいずれも、
ヘミングウェイ的な「強さ」とは
異なる道を歩いた。
そして笑顔の向こう側へ
今、ハバナのラ・ボデギータ・デル・メディオには「ヘミングウェイが座った席」がある。
観光客がモヒートを飲み、写真を撮る。
日本からも、モヒートを飲みにキューバへ行くツアーが出ている。
ゲバラの顔はTシャツになり、
ポスターになり、
世界中で消費されている。
革命家がファッションアイコンになった。
ゲバラのTシャツを着た若者は、
ゲバラが何者か知らない。
あの顔は、もはやゲバラではない。
反抗のアイコン。
クールなイメージ。
何かに抵抗している感じ。
具体的な内容は空っぽのまま、
「反体制」という雰囲気だけが残っている。
誰と戦ったのか。
何のために死んだのか。
なぜ医者だったのか。
なぜ喘息だったのか。
何も知らなくても、あの顔は着られる。
アルベルト・コルダが撮った一枚の写真。
1960年、ハバナで撮影された。
ゲバラは犠牲者の追悼式典に出席していた。
爆発事故で亡くなった人々を悼む場だった。
その横顔を、コルダが切り取った。
ベレー帽、星章、長い髪、遠くを見つめる目。
怒りと悲しみが混ざった表情。
この写真が世界中に広まった。
しかし文脈は消えた。
追悼式典のことは誰も知らない。
犠牲者のことも。
残ったのは顔だけ。
二人とも、作品が作者の手を離れた。
ヘミングウェイの「強い男」像は神話になった。
ゲバラの革命精神は商品になった。
本人たちが意図したものとは、別の場所に運ばれていった。
しかし、本当のゲバラを知る人は、別のことを覚えている。
日記を読むと、ユーモアがある。
自分の失敗を笑う。
仲間の癖をからかう。
深刻な状況の中で、軽口を叩く。
写真を見ると、
ゲバラはよく笑っている。
葉巻をくわえて笑っている。
仲間と肩を組んで笑っている。
子供を抱いて笑っている。
喘息を抱え、
死を覚悟し、
ジャングルを歩きながら、
それでも笑っていた。
弱さを知っている人間の笑い方だ。
自分が完璧ではないことを知っている。
死ぬかもしれないことを知っている。
それでも笑える。
だから他者にも優しくなれる。
とにかく笑顔が素敵な男だった。
ゲバラについて多くの本を読んで、
最後に残るのはその一点かもしれない。
理論は忘れる。
事実も薄れる。
しかし笑顔は残る。
Tシャツになったゲバラは笑っていない。
コルダの写真は、厳しい顔をしている。
だからこそ「反抗」のアイコンになった。
しかし本当のゲバラは、もっと笑っていた。
人のために生きることが、
自分のために生きること。
その一致が、あの笑顔を生んだ。
自分を偽っていない。演じていない。
「人のため」という大義名分で自分を抑圧してもいない。
革命も、葉巻も、微笑みも、全部が一つの人生だった。
強さとは何か。
弱さを隠すことか。
弱さを受け入れることか。
ゲバラは旅の中で見てしまった。
楽しい旅行の現場が蟹工船だったことを。
見えないふりができなくなった。
ヘミングウェイは見ないことを選んだのかもしれない。
享楽のカクテルの向こう側を。
あるいは、見ていたが、書かないことを選んだ。
二人はキューバで交差し、
それぞれの道を歩み、
それぞれの終わりを迎えた。
今日はここまでで。
参考文献
エルネスト・チェ・ゲバラ『モーターサイクル・ダイアリーズ』
1952年の南米旅行の記録。角川文庫ほか。
アルベルト・グラナード『トラベリング・ウィズ・ゲバラ』
同行者グラナードの視点から見た旅の記録。
アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』
1952年発表。キューバを舞台にした代表作。
アーネスト・ヘミングウェイ『武器よさらば』
1929年発表。第一次大戦を背景にした恋愛小説。
F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』
1925年発表。アメリカン・ドリームの挫折を描く。
J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』
1951年発表。ホールデンがヘミングウェイとフィッツジェラルドを比較する場面がある。
フランシス・フォード・コッポラ監督『ゴッドファーザー PART II』
1974年公開。1958年大晦日のハバナを描く場面がある。
『蟹工船』小林多喜二
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