死は怖くない、悲しくない。生命は永遠、人は死なない。
“Death is no more than passing from one room into another. But there's a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.”
「死というのは、今いる部屋から別の部屋に移ることに過ぎません。ただ、私にとってはそこにも違いがありますけどね。その部屋では私は見ることができるでしょうから」
Helen Keller(ヘレン・ケラー)
親友がアメリカに移住することになったら、次いつ会えるか分からない。もう二度と会えないかもしれない。さみしいですよね。では、親友がアメリカに移住することになって、その1年後自分もアメリカに移住することになっていたとしたら、さみしくありませんよね。その別れは一時的な別れ。一年たてば、また再会できる。
死とは一時的な別れなのですよね。人はいつか必ず死ぬ。自分もいつか必ず死ぬ。愛する人が死んでも、それは永遠の別れではない。またいつか再会できる。肉体はいつか滅びる、人の魂は永遠なのだと。
人生はテレビゲームのようなもの
物質には法則がありますよね。物質が動いたとき、そこには決まった反応がある。旗が風になびくとき、その旗の動きは全て数学的に説明できる。
人は肉体と精神でできている。肉体は物質。精神があって初めて人は人になる。
人に何かをされたとき、何かを言われたとき、それに対して自分がどう反応するか、それは自分の心が決めていますよね。飼い猫に足をかまれたとき、痛い、怖い。どうやって振りほどこうか。そこにあるのは物質的な反応ではない、機械的な反応ではない。不安、恐怖、愛情、そこでは心が介入しているのですよね。
気持ちのない人、心のない人。ただ肉体だけの人。物質だけでできた人。それはもう人ではありませんよね。機械ですよね。
生命とは魂なのですよね。生命とは肉体ではない。肉体とはただの物質。物質は生命ではない。
形あるものはいつか滅びる。この世界は物質の世界。どんなに頑丈な建物も、どんなに精密な機械も、人間の体も、例外はない。生物も無生物も、形あるものはいつか滅びる。
肉体とはただの物質なのですよね。生物も無生物も、その形を構成しているものに違いなどない。生物も無生物も、その形を構成しているのは物質、ただの物質。故に、人は死ぬ。生物も無生物も、形あるものはいつか滅びる。
死とは肉体が滅びること。物質がその形を失っても、それによって、その生命が滅びることはないのだと。生命とは魂。肉体とは物質。物質は生命ではない。どれだけ物質を積み上げても、そこに魂がなければ、それはただ決まった反応を繰り返すだけ、機械にしかならない。石がいくつ集まろうと、石が石であることに変わりはない。生物も無生物も、その構造がどれだけ複雑になろうと、形あるものはいつか滅びる、物質がその振る舞いを変えることはないということ。
生命は物質を積み上げた先にあるのではない。生命は物質によって生み出されるのではない。
人生はテレビゲームのようなものなのではないかなと。私たちの肉体はテレビゲームの中にある。私たちの魂はテレビゲームの外にある。
人がこの世に生まれて最初に与えられるもの、それは肉体ですよね。この世界は物質の世界。物質を持つ者だけがこの世界を生きることができる。物質はこの世から外に持ち出すことができないのですよね。
自分の家も車も、自分の体も、それは自分が死んだとき、この世に残りますよね。人が死んだとき、唯一、その瞬間にこの世から消え去るもの、それはその人の魂だけ。物質は全て、その持ち主が死んだ後もこの世に残る。
テレビゲームの中で私たちが手に入れるもの、それは現実ではない。ゲームの中で、武器を手に入れても食べ物を手に入れても、それを現実に取り出す、画面に手を突っ込んで、それはできない。
テレビゲームをやめたとき、ゲームの中に残るもの、それはもともとゲームの中にあったものだけ。私たちの肉体はテレビゲームの中にある。私たちの魂はテレビゲームの外にある。
テレビゲームの中で、何が壊れようと、誰が死のうと、そこで、テレビゲームの外にいる私たちまで傷つくことはありませんよね。
私たちの肉体はテレビゲームの中にある。私たちの魂はテレビゲームの外にある。人生においては、私たちの肉体が滅びても、それによって、私たちの魂まで傷つくことはないのだと。
