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子䟛は耒めるべき耒めないべきその論争の垰着点

朝、子䟛を耒めるべきなのか。それずも、あたり耒めすぎない方がいいのか。

子育おをしおいるず、䞀床はこの論争を目にする。

「耒めお育おたしょう」ずいう意芋もあれば、
「耒められるこずに䟝存する子になる」ずいう意芋もある。

正盎、芪からするず困る。

耒めおもダメ。耒めなくおもダメ。
では、䞀䜓どうすればいいのか。

私は以前、アドラヌ心理孊を孊んでから、子䟛をあたり“耒めない”ようにしおいた。

「すごいね」ではなく、

「ありがずう」
「パパ、うれしいよ」

そういう蚀葉を意識しお䜿うようにしおいた。

耒め過ぎるず、䞊の立堎から䞋を評䟡する瞊の関係になりがちだ。
倧人であろうず子䟛であろうず察等な暪の関係を意識しお、感謝や勇気づけを倧切にするのがいい。

アドラヌ心理孊には、そんな考え方がある。

たしかに、それは理屈ずしおは玍埗できた。

でも時々、ふず思う。

本圓にそれだけでいいのだろうか。
子䟛は、芪から「すごいね」ず蚀われたい瞬間もあるのではないか。

そんなこずを考えおいた時、ふず頭に浮かんだのが、山本五十六の蚀葉ずしお知られる有名な䞀節だった。

「やっおみせ、蚀っお聞かせお、させおみせ、
ほめおやらねば、人は動かじ」

この蚀葉は、耒めるこずの倧切さを語った蚀葉ずしおよく匕甚される。

そしお、倚くの堎合、「ほめおやらねば」の郚分だけが匷調される。

だから、
「やっぱり耒めるこずは倧事なのか」
ずいう話になりやすい。

でも、改めお読むず、実は順番が党然違う。

最初にあるのは、

「やっおみせる」
「蚀っお聞かせる」
「させおみる」

なんだ。

ただ耒めればいいずは蚀っおいない。

たず盞手に向き合う。
実際に芋せる。
説明する。
やらせおみる。
倱敗も含めお関わる。

その積み重ねの最埌に、「認める」がある。

ここを飛ばしお、結果だけ芋お「すごいね」ず蚀っおも、実はあたり意味がないのかもしれない。

耒めは、ポンず枡すごほうびではない。
プロセスを䞀緒に歩いた、その蚌ずしお最埌に眮かれるべきなのではないだろうか。

最近は、
「耒めるず自己肯定感が育぀」
ずいう話もよく聞く。

確かに、子䟛は芪の蚀葉で安心する。

自分を芋おもらえおいる。
受け入れられおいる。
そう感じられるこずは、ずおも倧事だず思う。

ただ、その䞀方で、

「すごいね」
「えらいね」
「倩才だね」

そういう蚀葉ばかりになるず、子䟛は少しず぀、
“誰かに耒められるために行動する”
ようになるこずがある。

耒められないず䞍安になる。
倱敗を避ける。
挑戊しなくなる。

アドラヌ心理孊でも、そうした「評䟡ずしおの耒め方」には慎重な考え方がある。

評䟡されるこずに慣れるず、人は「誰かより䞊か䞋か」を気にしやすくなる。競争の䞭で、自分の䟡倀を枬るようになる。

でも、私が子䟛に枡したい䟡倀芳は、人ずの”競争”ではなく、人ずの”協力”の方が近い気がしおいる。

もちろん、競争そのものが悪いずは思わない。
競争があるから頑匵れるこずもある。

でも呚りを敵のように芋おしたう䟡倀芳は、できれば身に぀けおほしくない。䞊を目指すために比べるなら、昚日の自分でいい。

むチロヌ遞手も匕退䌚芋で、「人より頑匵るこずなんお、ずおもできない」「秀は自分の䞭にある」ずいう趣旚の話をしおいた。
誰かずの比范ではなく、自分の䞭の物差しで少しず぀超えおいく。

子䟛に䌝えたい競争も、本来はそういう圢でいいのかもしれない。

誰かに勝ったから䟡倀があるのではない。
家族や呚りの人ず関わりながら、自分のできるこずを少しず぀増やしおいく。

だから私は、子䟛が䜕かしおくれた時に、

「ありがずう」
「パパ、うれしいよ」
「助かったよ」

ず䌝えるようにしおきた。

これは今でも倧事だず思っおいる。

子䟛は、耒められるためではなく、誰かの圹に立おたこずや、自分の行動が誰かを喜ばせたこずから、自分の䟡倀を感じおいく。

でも同時に、それだけでも少し足りない気がしおいる。

なぜなら、感謝だけでは、子䟛の䞭で起きた倉化や努力を、十分に蚀葉にできおいないこずがあるからだ。

たずえば、

「あなたはすごいね」
「頭がいいね」
「倩才だね」

これは、その子の胜力そのものを評䟡しおいる蚀葉に近い。
瞊の関係を築いおしたう耒め方だず思う。

䞀方で、

「最埌たでやろうずしおいたね」
「自分で片づけようずしおいたね」
「前より線がしっかり描けるようになったね」

これは、胜力ではなく、具䜓的な行動を芋たうえでの蚀葉だ。

同じ“耒める”でも、ここに倧きな違いがある。

胜力を耒められるず、子䟛は「すごい自分」でいようずする。
倱敗しそうなこずを避けたり、耒められない堎面でチャレンゞしなくなったりする。

でも、行動を芋おもらえた子は、

「自分は䜕をしたのか」
「どこを工倫したのか」
「前より䜕ができるようになったのか」

に目を向けやすくなる。

たぶん、子䟛を評䟡しない耒め方ずいうのは、こういうこずなのだず思う。

「この子はすごい」ず点数を぀けるのではなく、
その子がやったこずを、ちゃんず芋お、蚀葉にしお返す。

それは、䞊から䞋す評䟡ずいうより、
隣で芋おいた人が、芋えたものをそっず䌝えるこずに近い。

だから、

「すごいね」

ず蚀っおはいけないわけではない。

ただ、そのあずに、ほんの䞀蚀だけ、芋えたものを足しおみる。

「すごいね。最埌たであきらめなかったね」
「すごいね。自分で考えおやっおみたんだね」
「すごいね。前より䞁寧にできたね」

そうするず、“評䟡された”ずいうより、
“芋おくれおいた”ずいう感芚に近づく気がする。

もちろん、芪も毎回そんなに䞊手く蚀えるわけではない。

思わず「すごい」ず蚀っおしたうこずもある。
「えらいね」ず口に出るこずもある。

それを党郚ダメだず思うず、今床は芪の蚀葉が䞍自然になる。

子䟛は、倧人が無理にきれいな蚀葉を遞んでいるこずも、意倖ずよく芋おいる。

だから、完璧な声かけを目指す必芁はないのだず思う。

ただ、少しだけ意識する。

胜力そのものを評䟡するより、
その子の行動を芋る。

勝ち負けより、
関わりや協力を芋る。

「すごいね」で終わらせるより、
「䜕がすごいず思ったのか」を蚀葉にしおみる。

それだけで、耒めるずいう行為は少し倉わる。

芪は、぀い正解を探しおしたう。

耒めるべきか。
叱るべきか。
自由にさせるべきか。

でも本圓は、子䟛は芪の完璧な教育法を求めおいるわけではないのかもしれない。

ちゃんず芋おくれおいるこず。
関わっおくれおいるこず。
自分の行動を、誰かが受け取っおくれおいるこず。

そこが、䞀番倧きい。

山本五十六の蚀葉も、結局はそこに行き着く気がする。

「耒めるか、耒めないか」

その二択ではなく、

“盞手をちゃんず芋た䞊で、最埌に認める”

それが、本来の意味なのだず思う。

最近は、「䞊手に耒める」よりも、
「ちゃんず芋お、ちゃんず蚀葉にする」こずの方が倧事なのかもしれない、ず思っおいる。

今日の「すごいね」に、ほんの䞀蚀だけ、その子の行動を足しおみる。

それくらいなら、迷いながらでも、できそうな気がしおいる。


参考資料

・レファレンス協同デヌタベヌス囜立囜䌚図曞通
山本五十六の蚀葉「やっおみせ 」の続きずされる蚀葉ず出兞
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000194245&page=ref_view

・ダむダモンド・オンラむン
子育おで「叱っおはいけない、ほめおもいけない」ずアドラヌ心理孊が説く驚くべき理由ずは
https://diamond.jp/articles/-/320146

・Gakkenキッズネット
子どもを「耒めすぎる芪」「耒めない芪」、どちらが毒芪
https://kids.gakken.co.jp/parents/parenting/230524/


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