私は、その町の誰だっただろう
朝四時。
まだ暗いキッチンで、お湯を沸かす。
この時間、
私はたいてい過去のことを考えている。
同僚に何か聞かれた。
答えたあと、
その人はまだ何か聞きたそうだった。
気づいてた。
でも、忙しかった。
仕事も残ってた。
だから、そのままにした。
いや、
正確には気づかないふりをした。
もう終わっているのに、
私は毎朝、終わったことのほうを向いている。
そんな朝に、この本を思い出した。

ガブリエル・ガルシア=マルケスの
『予告された殺人の記録』。
1981年に出た、
『百年の孤独』と同じ作家の作品。
書き出しは、こう。
自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。
新潮文庫版、野谷文昭訳
一行目でもう、この人が死ぬと分かる。
少し読めば、誰が殺すのかも分かる。
いつ、どこで、なぜも、
かなり早い段階で見えてくる。
普通なら最後まで隠しておきそうなことが、
最初から出ている。
だから、この先は結末にも触れる。
結末を知りたくない人は、
ここでやめてほしい。
でも、この本に関しては、
たぶん結末に触れていいんだと思う。
何が起きるかではなく、
なぜ、それを誰も止められなかったのか。
そこがずっとわからない本だから。
町の人たちは、ほとんどみんな知っていた。
サンティアゴが殺されるらしいと。
読んでいると、何度も思う。
ここで言えばいいじゃん。
この人、本人に伝えればいいじゃん。
あと一歩じゃん。
でも、その一歩が出ない。
警告は届きかけて逸れる。
伝言は少し遅れる。
誰かが誰かに任せる。
たぶん大丈夫だろうと思う。
まさか本当にやるとは思わない。

そういうことが重なっていく。
読み終えると
「運命だった」って言いたくなる。
でも、多分違う。
誰かが伝えなかった。
誰かが間に合わなかった。
誰かが「他の誰かが言うだろう」と思った。
そういう小さいことが、
全部重なってしまった。
読んでて、少し嫌になる。
なんで誰も動かないんだろう、って。
でも過去の私は、
何か聞きたそうな顔を見ていた。
見ていたのに、仕事に戻った。
もちろん、殺人事件とは全然違う。
違うんだけど、
「誰かが気づいていたのに、そのままにした」
その形だけは、少し似ている。
もうひとつ、この本で変だなって思うのは、
殺す側の二人も、全然隠していないこと。
これからサンティアゴを殺す。
そう言って回る。
会う人ごとに、話す。
そんなに言うなら、
ほんとは止めてほしかったんじゃないの?
って思う。
実際、読んでいるとそう見える。
彼ら自身も、
「名誉」という町の決まりごとの中にいる。
やらなければならない。
でも、本当はやりたくない。
誰かが止めてくれたら、
それで済む。
でも自分からは降りられない。
止めてほしいのに、止まれない。
そういう人もいる。
そして町は、
殺される人だけじゃなくて、
殺そうとしている人たちの
その感じも見過ごしていく。
それが、なんともやるせない。
この小説で私がいちばんしんどいのは、
実際に殺される場面そのものじゃない。
サンティアゴが家に逃げ込もうとしたとき、
母親が内側から戸を閉める。
息子はもう家の中に入ったと思っていたから。
守ろうとして閉めた戸が、
結果として息子を外に残すことになった。
これがつらい。
悪意があったわけじゃなくて、
むしろ逆。
守ろうとした。
それなのに、
その行為が決定的なものになる。
予告は町じゅうを巡っていたのに、
いちばん必要なところで、
警告として働かなかった。
この話は、1951年にコロンビアで
実際に起きた事件をもとにしている。
あとから見れば
「ここが分岐点だった」と分かることも、
そのときにはたったの数秒だったりする。
語り手は、
事件から二十年以上たって町に戻る。
そして関係者に話を聞いて回る。

誰が何を見たのか。
誰が何を知っていたのか。
そのとき何ができたのか。
でも、話は少しずつ食い違う。
その朝の天気まで、人によって違う。
そんなことある?
でも考えてみれば、
あのときの私と同僚だってそうだ。
私は、
忙しかった。
仕事が立て込んでた。
そう覚えている。
でも相手は、
聞きたかったのに流された。
そう覚えているかもしれない。
同じ数秒なのに、違う話になってる。
人の記憶って、
案外そんなものなのかもしれない。
正確な記録というより、
自分の側から見えた話を残してる。
あのとき、何が起きていたんだろう。
誰が何を知っていたんだろう。
どこで変えられたんだろう。
朝四時のキッチンに戻る。
お湯が沸いた。
たぶん今日起きることも、
明日の朝になったら
また何かひとつ思い出すんだろう。
町の人たちは、あの朝を何年も語った。
語り手は、二十年以上たってから、
もう一度そこを歩いた。
私は、
気づかないふりをした数秒について、
まだ考えてる。
この本を読み終えると、
どうしても考える。
自分なら、その町の誰だっただろう。
「私は止められた」とは言えない。
たぶん私は、噂を聞いても、
まさか本当にやらないでしょ…
って思う。
誰かが本人に知らせるだろう、って思う。
もっと事情を知っている人が
何とかするだろう、って思う。
そして、そのまま司教の船を見に行く。
……嫌だな。
たぶん、本当にそうする気がする。
そして、あとになって、
あのとき何かできたんじゃないか
って考える。
何度も何度も。
そういえば私は今朝も、
あの時の数秒を思い出していた。
やっぱり、
私はあの町の人間なのかもしれない。
▼百年の孤独について書いた記事
▼本について書いた記事
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