芋出し画像

これからも胜登に思いを届けたい北陞䞉県鉄道本「受け継がれたロヌカル線」ぞの短線寄皿を通しお

こちらの蚘事は、私が䜓隓した什和6幎胜登半島地震の䜓隓談から始たり、2024幎内に関わった胜登ぞの支揎・チャリティヌ䌁画の玹介、さらに10月末に党囜発売を控える曞籍「受け継がれたロヌカル線富山・石川・犏井 北陞䞉県鉄道賛歌」のこがれ裏話ずいう構成になっおおりたす。

2024幎1月1日。地元茪島垂に倫ず垰省しおいた私は、家族ず「これからケヌキを食べようか」ずのん気に団らんしおいた最䞭に、什和6幎胜登半島地震に芋舞われたした。

立っおいられないほどの激しい揺れに、ダむニングテヌブルの䞋に転がりこむもしゃがんでいられず、゜ファずテヌブルの足の間を転げたわるほどでした。倧接波譊報が出たこずを知り、埒歩で高台ぞず逃げ、譊報が解陀される倜たで、同じく逃げおきた人たちず、倖で埅機するこずになりたした。寒颚吹きすさぶほどの気枩でなかったこずが、ただ救いではありたした。

高台は坂道になっおいお、坂の途䞭のお店の人が屋内から䜕枚も垃団やマットレスを出しお来おくれお「お姉ちゃんら、ここに座らし」ず、アスファルトの地面にそれを敷いおくれたのです。「これ、食べさし。これ、䜿いたし」ず、お菓子や手袋替わりの軍手もくれたした。「矜毛垃団かけずれば、寒くないやろ」ず、着のみ着のたた逃げおきたおばあちゃんらに、垃団を枡しおいる光景も芋たした。

別の家の人は「氎は流せんけど、どうぞ」ず、トむレを貞しおくれたりもしたした。人の枩かさが、身に染みる䜓隓でした。

䜙震が続く䞭、高台から呆然ず、隣町であるあさいち通りの火事を芋たした。火の粉が巻き䞊がり、真っ赀になっおいる空は衝撃的で、ショックを受けるばかりでした。

倧接波譊報が解陀になったのを機に、父の提案で実家から車を回しおきお、避難所ずなっおいた鳳至小孊校のグラりンドに父、母、倫、私、䌯父、䌯母の四人で向かいたした。車のなかで、冷えたおせちを食べたした。あんなに味のしないおせちは初めおでした。

䜓育通のトむレは、案の定氎が流せず、人が尿をしたその䞊から甚を足すこずになり、二回目に行ったずきには䟿もありたした。みんな臭気ず気持ち悪さを我慢しおいたす。その䞊から、トむレを䜿いたした。

䜙震が萜ち着いおきた倜半すぎ、避難先の知人宅が芋぀かり、そこに行くこずになりたした。そこで眠れず䞀晩をすごしたした。倫は3日から仕事があり、2日䞭には私たちの自宅にある金沢に垰らねばず蚀い匵りたしたが「道がただどうなっおいるかわからない」ず私の䞡芪が止めたした。

2日の倜になり、ようやく「金沢から茪島に来られた」ずいう話を聞くようになり、3日の明け方私ず倫は金沢に向けお茪島を出発したした。道路の割れや陥没具合はすさたじく、枋滞の列のなかをそろそろず向かいたした。

金沢の家に着いたのが、朝の10時半ごろ。倫が走らせおきた車の䞊には、黒い屋根瓊が䞀枚茉っおいたした。おそらく、地震の際に実家の屋根から萜ちたもののようでした。

日が経぀に぀れお、地震の被害が明らかになっおいくなかで自分が感じたこずは、私自身は怪我もなく、実家の被害は呚りに比べたら決しお倧きくはないものだずいうこず、そしお悲しいこずに家の䞋敷きや火灜で亡くなられた方、お怪我をされた方、家が぀ぶれおしたっお䜏むずころがなくなった方、䌚瀟の地震での損害が倧きく、生業を続けるこずを芋通せなくなった方が山のようにいらっしゃるずいうこずでした。

だったら、私にできるこずはなんだろうか。友人知人からは、震灜圓初から山ほどの無事を案じるメッセヌゞが届き、1月4日は䜜家の玅玉いづき先生ず線乃肌先生から「胜登半島地震のチャリティヌ誌を぀くりたしょう」ずお声がけいただきたした。珟圚このチャリティヌ誌は「波の花颚吹く」ずしお初版が完売、珟圚第2版を準備䞭で、このnote蚘事の震灜䜓隓にた぀わる詳现も『私の震灜䜓隓蚘』ずしお掲茉しおいたす

そしお、1月22日。友人のラむタヌで犏井にお䜏いの䜐藀実玀代さんから、メッセ―ゞを受けずりたした。

「以前ちょっずお話しおいた小説の曞籍ぞの寄皿に぀いお、改めおご盞談したいのですが、お話できるお時間ありたすか」

䞀瞬、がんやりずそういえばそういう話、あったかも ず思い返したした。すぐに実際に䜐藀さんずLINE通話で話をしおみお、お仕事の抂芁に぀いお詳现がわかりたした。䜐藀さんず以前からお仕事をなさっおいた、䞀般瀟団法人地域発新力研究支揎センタヌの䜐叀田宗幞さんが、北陞䞉県のロヌカル鉄道本の曞籍䌁画を考えおおられお、そこに短線小説も掲茉したいずのこずで、私を抜擢したいずの内容でした。

䜐藀さんは以前、桜クリ゚ずいう支揎センタヌの斜蚭も蚪れおおり、物販に「『金沢 掋食屋ななかたど物語』私の著曞が眮いおあったよ」ず報告もそういえばくれおいたした。それで、䜐叀田さんに実際にお䌚いする前に、私の短線を収録した同人誌も、郵送でお送りさせおいただきたした。

1月に䜐藀さんを通しお、本の台割衚が届き、䌁画を正匏にお請けするこずにしお、プロゞェクトがスタヌトしたした。

2月16日、石川県立図曞通のグルヌプ掻動宀で、䜐叀田さん、䜐藀さんず打ち合わせを行いたした。䜐叀田さんは、すごく気さくな方で、終始笑いっぱなしの打ち合わせ時間ずなりたした。事前に図曞通の本棚から、北陞の鉄道関連の本も、たくさん掻動宀に持ち蟌んで、打ち合わせをしたした。このずき、本の売䞊の䞀郚珟圚は確定しおいお、売䞊の5が胜登半島地震の寄付に回すこずになる、ずお聞きしたした。それならばがんばらなくおは、ずたすたす気を匕き締めたした。

この日の打ち合わせには来られなかったのですが、富山垂ご出身の井䞊浩介さんの写真を扱った、鉄道の写真がメむンになる曞籍ずいうこずで、心から楜しみになりたした。

1月2月は、胜登半島地震の圱響を受けお、私の勀務先である芳光業のシフトもだいぶ枛りたした。家にいる時間が長く、あたり元気が出ずにがうっずする日々が続くなか、チャリティヌ誌「波の花颚吹く」の原皿を曞いたり、鉄道本のプロット䜜成に取り組んだりしおいたした。

3月初旬には、胜登半島地震のクラりドファンディングたずめ+事業者寄付先たずめを掲茉した、胜登支揎noteを自分のもずもずのnoteアカりントずは別に立ち䞊げおいたす。クラファンリストは珟圚、地震に加え豪雚でのクラファンもたずめお玹介しおいたす。

3月末に䜐叀田さんに提出したプロットは、あたりいい出来ずはいえず、詊行錯誀したうえで、5月半ばに出したプロットが「これでいけそう」ずいうこずになり、その肉付け䜜業にかかるなか、初めおの四人揃っおの鉄道䌚瀟取材日が近づいおいたした。


あいの颚ずやた鉄道 運転管理センタヌ


IRいしかわ鉄道 運転管理センタヌ


ハピラむンふくい南犏井車䞡基地


のず鉄道怜修庫

勀務先のシフトを調敎しお、富山⇒胜登⇒石川⇒犏井の順で、北陞䞉県の鉄道に実際に乗っお取材に回り、四人で道䞭さたざたなこずを話したした。なかでも、䜐叀田さんはこの本のコンセプトに぀いお、発刊する意矩に぀いお、䜕床もお話されおいたした。

この曞籍の最初のペヌゞにある「発刊にあたっお」ずいう挚拶では、䞋蚘のように蚘されおいたす。

特急列車が運行されなくなり、普通・快速䞻䜓の地域茞送ぞず移行した北陞䞉県の第䞉セクタヌ鉄道は、各瀟ずも沿線人口の枛少や少子化、厳しい環境で酷䜿された鉄道蚭備の老朜化など、倚くの課題を抱えながら運行を続けおいたす。䞀方で沿線ニヌズの现やかな取り蟌み、積極的な瀟員の地元採甚など、地域に根差し愛され続ける路線ぞず生たれ倉わろうずしおいたす。その珟堎のリアルな姿に、第䞉セクタヌ鉄道の沿線圚䜏者ずしおの芖点で迫りたいず考え、この本を出版するこずにしたした。

「受け継がれたロヌカル線 富山・石川・犏井 北陞䞉県鉄道賛歌」より

たた、鉄道䌚瀟さんや、沿線の駅で各瀟の若い瀟員さんたちに䜐藀さんがむンタビュヌを行ったのですが、みなさた䞀様にすごくしっかりず受け答えされおいお、地元北陞ず、いた埓事しおいる鉄道のお仕事を倧切に愛する気持ちが䌝わっおたいりたした。

䜐藀「わ 私たちが二十代のころっお、もっず適圓だったよね」

䞊田「みなさん仕事ぶりが本圓に真面目で  心から芋習いたい」

「受け継がれたロヌカル線」には、瀟員さんたちからお聞きした「仕事のやりがい」や「電車の運転垭から芋たおすすめの絶景」などが盛り蟌たれおいたす。お楜しみにしおいおください。

取材を続けるうちに、私の担圓する小説短線のコンセプトもじょじょに固たっおきたした。

䞊田「金沢出身で、東京で女子倧生をしおいる女の子が就掻に悩み、地元北陞に垰省を繰り返すうちに地元の良いずころを再発芋する話にしよう」

プロットにOKが出たので、執筆にかかり、8月末に最終皿を曞き䞊げお提出したした。

そのあいだも、井䞊さんが撮られた写真の遞定や調敎がどんどん進み、䜐藀さんも本文のラむティングに取り掛かり、党䜓統括の䜐叀田さんからチヌム党員充おのメヌリングリストに頻々ず連絡事項が届く日々。

しかし、悲しいこずに9月21日、奥胜登豪雚がたたもや胜登を襲いたした。地震の被害からの立お盎しもただただずいうなか、倚くの胜登の川が氟濫し、措氎に流された犠牲者が出おしたいたした。仮蚭䜏宅に泥氎が流れ蟌み、地震で修埩したお店や厚房機噚が、たたダメになっおしたったずいう方もたくさん  。蚀葉がありたせん。実家の被害は些少でしたが、そのこずがむしろ申し蚳なくなるぐらいに、甚倧な被害が地震被害の䞊からさらに぀めあずを残したした。

そんななかでも季節は進み、ずうずう、この10月19日土曜日の湯涌がんがり祭りにお、北陞䞉県ロヌカル鉄道本は先行発売を迎えたす。私は、小説のラストで「2024幎8月の、雚䞊がりのなかを走るのず鉄道」を描きたした。小説のタむトルは「ロヌカル線ず、季節を越える」ず名付けおいたす。

もずもず、のず鉄道さんに取材に行った5月のその日が倧雚だったこずもあり、雚䞊がりの倏の晎れた胜登を描いたのは、曞き䞊げた段階では私にずっお自然なこずでした。最終調敎にあたり、この箇所を無難な衚珟に曞き盎そうか、だいぶ悩みたした。それでも、もずもず垌望をこめお曞かせおもらったシヌンだずいうこずを鑑み、修正はやめよう、ず思いなおしたした。

悲しい雚が䞊がるこず、地震の傷跡が癒えるこず、それは私の本心の願いだからです。

「波の花 颚吹く」に寄せた茪島倧祭を描いた短線「キリコの灯かり、祭囃子の音」でも、今回の鉄道本の「ロヌカル線ず、季節を越える」でも、䜜䞭で胜登半島地震に぀いお觊れたした。真っ向からはただ扱えず、それでも、いた觊れずにいるこずは、むしろできないず思いたした。

「受け継がれたロヌカル線 富山・石川・犏井 北陞䞉県鉄道賛歌」は、北陞䞉県の四季折々の日垞颚景を走る電車の撮り䞋ろしが存分に収録され、北陞䞉県の鉄道や駅にた぀わる読物が充実しおおり、北陞に根差しお日々奮闘する若い瀟員さんたちのむンタビュヌも差しはさたれ、そこに私の短線が花を添える圢になりたした。制䜜ナニット・北陞カルテットのどの䞀名が欠けおも、成り立たなかった本になりたす。私たちは、最埌たで心をこめお制䜜いたしたした。

版元parubooksさんのオンラむンショップで、取り扱いが始たっおおりたす。送料は無料です。そしお売䞊の5は、胜登半島地震ぞの矩揎金ずなりたす。


私は、これからも寄付をしたり、自分にできる支揎クラファンリストなども含めが䜕かを考えおいきたいです。たた9月に実家の町内䌚の偎溝掃陀を手䌝っおきたのですが、被害が少ない地域だったにもかかわらず、偎溝は石ず泥で埋たっおいたした。たたこちらも、今月内に続きをやりにいきたす。

それず䞊行しお、やはり文字に曞き残すこずが私のできるこずのひず぀だず思いたした。なので、胜登や、故郷石川県を舞台に、これからもお話を曞いおゆく぀もりです。地域に根差すお祭りの颚習、地元の芋慣れた、それでも矎しい景色、誰かず分かち合いたい、食べ慣れた郷土の食事。

それを、地元の倖にいる人たちに「胜登は、石川は、北陞は、こんなに颚景がきれいで、こういう颚習があっお、こんなスポットがあるんだよ」ずお話に蚗しお䌝えおいくこずも、たた倧切なこずなのかもしれないず。それがめぐりめぐっお、胜登に思いを届けるこずになるのだず思っおいたす。

「波の花 颚吹く」が私の胜登ぞの䞀枚目のラブレタヌだずしたら、この鉄道本は二枚目のラブレタヌです。胜登だけでなく、北陞䞉県も含めおいたすが 富山も犏井も䜏んだこずがあり、倧奜きな街です私はこれからも、䜕通も䜕通も、きっず胜登をはじめずした、北陞ぞの思いを物語に蟌めおゆくず思いたす。

どうか、倚くのかたに手に取っおほしい䞀冊です。
どうぞよろしくお願いいたしたす。

こちらが始めの告知note















いいなず思ったら応揎しよう

䞊田聡子 い぀も枩かい応揎をありがずうございたす。蚘事がお気に召したらサポヌトいただけたすず倧倉嬉しいです。いただいたサポ―トで資料本やほしかった本を買わせおいただきたす。