『スリ(1959)』映画感想文・孤独と救済への道のり
ロベール・ブレッソン傑作選を渋谷ユーロスペースに観に行きました。平日にもかかわらず、その日の3作品はどの回も満席で大盛況でした。

あらすじ
生まれつき手先が器用な貧しい大学生ミシェルは、いつしかスリをして生計を立てていくようになる。最初は警察に捕まりもしたが証拠不十分で釈放され、次第に犯行は組織だったものになっていく。一方、母親のアパートの隣室に住むジャンヌはミシェルにひかれていくが……。優れた人間は法を犯す自由があると考える青年ミシェルが、スリの技に魅了され自ら破滅の道を進んでいく姿を描く。
監督 : ロベール・ブレッソン
1959年製作/76分/フランス
原題または英題:Pickpoket
配給:エタンチェ、ユーロスペース
劇場公開日:1960年8月17日
感想(ネタバレ含む)
『スリ』という映画を観て驚かされるのは、そこで描かれる身体の圧倒的な雄弁さです。
本作は、一人の男が罪を重ねながら自らの魂の居場所を探し当てるまでの物語ですが、そのプロセスは肉体的かつ精神的な変容の記録であったことが分かります。
ミシェルが独房のような自室でスリの技術を磨く一連のシークエンスは特に印象的です。
そこには、犯罪という道徳的な枠組みを完全に超越した「プロフェッショナルとしての所作の美しさ」が宿っていました。
カードを操り、時計を外し、目にも止まらぬ速さで指先を動かすその姿は、職人のような求道的な緊張感を漂わせています。
ブレッソンは、人物の顔や感情的な台詞を極限まで削ぎ落とす代わりに、この「手の動き」に語らせます。
言葉で「私は孤独だ」とか「私はこの道で生きていく」と説明するよりも、無機質に繰り返される指先の訓練のほうが、ミシェルの執着と虚無をより深く感じます。
台詞よりも雄弁な、淀みのない動きは、善悪の先にある芸術的な純粋さを表現しているようです。
物語の大部分において、ミシェルにとっての至上命題は、スリという行為そのものと、そこから得られる「金」でした。
彼はスリを単なる窃盗ではなく、自分が社会の凡庸なルールを超越した存在であることを証明するための「手段」として位置づけていました。
彼が握りしめていた金は、彼のプライドそのものであり、他者との繋がりを拒絶するための壁でもあったはずです。
しかし、物語の終盤、彼が辿り着いたのは鉄格子の向こう側でした。
そこでジャンヌと再会し、彼女の手に触れたとき、ミシェルの世界は崩れ、そして再構築されます。
それまで彼が人生を捧げてきた「金」という冷徹な価値が、ジャンヌという「生身の存在」への愛へと、完全に置き換わった瞬間でした。
このラストシーンにたどり着くまでの長い道のりを思い返すと、胸に迫るものがあります。
彼がスリの練習に費やしたあの驚異的な手の動きは、実は彼女の手を握るための、あまりにも長く孤独な遠回りだったのでしょう。
ミシェルはラストで「君にたどり着くために、なんとまわり道をしてきたことか」と呟きます。
自らの善性を取り戻すために、彼は一度徹底的に罪を犯し、すべてを失う必要がありました。
金への執着を、スリという研ぎ澄まされた技術によって極限まで高めた末に、それが虚しいことであると悟り、他者の存在を必要とする自分を認める…この精神的な転換は、理屈ではなく、鉄格子越しに重なる手の感触を通じて、身体的に果たされます。
本作は、人間がいかにして己の傲慢さを捨て、真に大切なものに目を開くかを描いた傑作でした。
スリの技術という「偽りのプロフェッショナリズム」が、最後には愛という真の献身に敗北し、ミシェルを救ったのでしょうね。
それでは、また次の映画で!
いいなと思ったら応援しよう!
応援していただきありがとうございます!
