喪失⑭|二度と訪れたくない場所
一ヶ月健診、母乳外来、染色体異常検査の結果報告と、なかなかにハードな大学病院でのスケジュールだが、最後に予定されていたのは、「外科医との面談」だった。
その外科医とは、『ASO』の執刀医であり、前作にも幾度となく登場した、私たち夫婦が絶対的な信頼を置いている医師だ。
その医師とは改めて話をしたいと思っており、実はここ二週間の間、手続き関連で大学病院側と何度か連絡を取る中でその旨を伝え、一ヶ月健診後に面談の予定を組んでもらっていたのだ。
話したい理由は二つある。
一つは、息子が旅立った日に直接会えておらず、感謝を伝えられていなかったこと。
そして、もう一つは、息子が旅立つに至った経緯の全てを、改めて一つひとつ聞きたかったということだ。
私たちは、病院側からすれば、〝救えなかった命の家族〟である。
こちらから〝話がしたい〟と言えば、状況的に「責任の追及」や「訴訟」といった可能性が頭をよぎることもあっただろう。
実際、患者やその家族による医療従事者への暴力や襲撃事件は、日本でも実例があり、そうした背景を考えれば、最悪のケースまで想定し、安全面を含めて慎重になることも理解できる。
何より医療現場の中でも、とりわけ過酷な働き方を強いられているであろう外科医だ。
大勢いる患者のうちの一人、その家族に対し、時間を作ることが容易ではないことは想像に難くなく、最初は私としてもダメ元で依頼したようなものだったが、病院側は快く受け入れてくれたのだ。
そういった背景がありながら迎えた外科医との面談だったが、面談の実施場所は「ICUの説明室」だった。
ここは…… 本当に色々あった場所だ。
「ECMOの離脱成功」という報告を受け、奇跡を目の当たりにした場所であり、その一方で、「治療終了とお看取り宣告」を受け、息子の命の終止符を打つ決断をするまでの、あの地獄の時間が始まった場所でもある。
正直、今回これを書く時まで、私の記憶には後者しかなかった。
ゆえに、この当時は、この人生で〝二度と訪れたくない場所〟でもあった。
先の面談で、幾ばくか未来への希望を抱いた後ではあったものの、やはりあの場所へ向かう足取りは軽くはなかった。
夕方に差し掛かり、院内が静寂を帯び始めていたことも相まって、ICU近くのエスカレーターや、その下にある家族で待機していた待合スペースを目にすると、取り乱すほどではないにせよ、あの日の光景が鮮明に蘇ってくる。
そんな記憶を辿りながら、私たちはICUの前へと到着した。
すると、ほぼ時を同じくして、後方から一人の男性がこちらへ歩み寄り、私たちに声をかけてきた。
つづく
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