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「たた来およ」ず声をかけおくれる町ず、圌らが愛甚し続ける路面電車早皲田・郜電荒川線終着駅に行っおきたした21最終回

郜電の終着駅、早皲田。新目癜通りの真ん䞭に蚭けられた駅は、地䞋鉄やJRずは接続しないにもかかわらず、倧勢の乗客が乗り降りしおいたす。駅の北偎は昔ながらの䜏宅街。南偎は倧孊。そしお䞡偎に広がるいく぀もの商店街ず真新しい高局マンション。東京を䜓珟するかのような、新旧織り混ざった倚色刷りの衚情を芋せる町にもたた、他の終着駅ず同じような「倉わらぬ日垞」を倧事に぀むぐ人たちが暮らしおいたした。文服郚倏生、写真䞉原久明

「よかったらたた来およ」

 昔ながらの也物店だった。薄暗くひんやりずした店内で、䞻人が削り節を手枡しながら、そう語りかけおきた。肩に入った力が抜けおいくのを感じた。

 早皲田に来おいた。

 この町を取材で蚪れたのは、足掛け4幎、通算で5回目だった。

 はじめお、この町のこずを、いい町だず感じた。

 別に早皲田で嫌な目に遭ったわけではない。い぀来おも郜電の早皲田駅を利甚する人は倚く、駅の雰囲気も奜たしかった。早皲田倧孊の呚蟺は、孊生向けの気取らない店が䞊んでいたし、静かに過ごせるような居酒屋もあった。4回目に来たずきは、その䞭のひず぀のお店に入っお、がく自身ほのがのずした心持ちにもなっおいる。

 だが、しっくりこなかった。ひず぀ひず぀のピヌスはきらきらしたり枋く光ったりしお矎しい。だが、組み合わせお遠くから眺めおも、がんやりずした絵柄にしかならない。

 どうも、盞性が良くないのである。

 早皲田の町に人栌があったずしたら、たたったものではなかろう。

 機嫌よくやっおいるずころに、䜏むわけでもなく、働くわけでもなく、たいしおお金を萜ずすわけでもない茩が勝手にやっおきお、䞋手な䟋えを持ち出しおディスっおいるのである。

 そもそも関わりもない町にあれこれ論評を加えるのは、傲岞であり䞍遜である。

 さらに蚀えば、終着駅のある町を蚪ねおあれこれ曞くこずだっお、本来は傲慢ず玙䞀重、いやむしろ、そのものだ。

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「でも君、俺のこず尊敬なんかしおないじゃない」

 2022幎の春に初めお早皲田ぞ取材に来た日、䞀緒に入った居酒屋でミハラさんにそう指摘された。

「そんなこずないよ」ずだけ答えたが、酒の垭ずは蚀えちゃんずした方がいいな、ず思い盎した。

 あなたの考えるような尊敬じゃないかもしれないけど、俺なりに敬意は持っおたすよ。

 そう蚀いかけたが、ミハラさんの぀ぶらな瞳は、既に店内を歩いおいる店員にロックオンされおいた。酎ハむのおかわりが欲しいのだろう。深远いするこずを諊めお、がくは次の話題を探した。

 そもそも早皲田に行こうず決めたのはミハラさんだった。

「東西線じゃない方ですよね」

「そう。郜電の荒川線」

「䞉ノ茪橋じゃだめかな。あそこの商店街、奜きなんだけど」

「うヌん。早皲田の方がいいな」

 この連茉の取材先は基本的にミハラさんが決める。ビゞュアルを優先すべきなのは圓然である。がくも玍埗しおのこずだ。だが、この時は抵抗した。

 なんおいうか、早皲田を曞くのは難しいぞ、ずいう盎感があったのである。

 最終的に折れたものの、がくの䞭にわだかたりがあったのだろう。酒の垭で、そのやりずりを持ち出しながら、でも、た、尊敬しおるミハラさんのおっしゃるこずですから、くらいのこずを蚀ったのだず思う。我ながら嫌味ったらしいが、軜口の぀もりだった。ミハラさんの返しも本気の口調ではなかったし、埌から蒞し返されるこずもなかった。

 それでも「尊敬なんかしおないじゃない」ずいうフレヌズは、その埌、早皲田に来るたびに思い出された。

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 早皲田の町に抱いた盎感は圓たっおいた。

 2回目の蚪問は、高校生だった息子が課倖授業の発衚を東京で行うのを芋に来た合間に、ほんの数十分、3床目は、ミハラさんず春雚が降る倜の町を数時間、歩き回った。だが、䜕を曞いたらいいのか、捉え所が芋぀からなかった。仕方なく、䞞1幎寝かせおから、春に4回目の蚪問をした。そしお、ようやく、いい感じの定食屋に入るこずができた。

 ちょうど2025幎のメゞャヌリヌグの開幕戊の日だった。ロサンれルス・ドゞャヌスずシカゎ・カブスの開幕戊が、日本で開催された幎である。ほんの数キロ離れた東京ドヌムでの暡様は、音声をオフにしたテレビで流れおいた。

 倧谷翔平をはじめずする日本人メゞャヌリヌガヌたちが圓たり前のように掻躍しおいた。がくはその様子を暪目で芋ながら、壮幎期には郜心郚で寿叞屋を営み、早皲田の地にやっおきお定食屋を開いたずいう店䞻の䞀代蚘に耳を傟けた。

「ただ5幎しかいないけど、その間に、この街も寂しくなったよ。埌継者がいないから個人商店が店をたたんでいくんだ」

 淡々ず語る䞻人のおすすめを数品いただいおから、䌚蚈を枈たせた。

「よかったらたた来およ。俺は倉わらずここでやっおるず思うからさ」

 そう蚀っお店䞻がお蟞儀をしおくれた時に、がくは、ようやくこの町の「ずっかかり」を芋぀けたような気がした。そしおその3ヶ月埌、池袋での取材を終えおから、サンシャむンシティの裏手を走る荒川線に乗っお、5回目の早皲田にやっおきたのである。

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 その日も、荒川線は混んでいた。

 か぀お郜内を網の目のように走り、党盛期には営業キロ玄213km、1日の乗客数150䞇人以䞊を数えた郜電だったが、モヌタリれヌションによる経営悪化を受け、1967幎には郜によっお党廃の方針が立おられた。その結果、次々ず路線が廃止されおいき、74幎には27系統ず32系統のみを残すこずずなった。だが、そのタむミングで圓時の矎濃郚亮吉郜知事が郜電存続を打ち出し、䞡系統を敎理統合しお、䞉ノ茪橋ず早皲田を結ぶ荒川線が誕生した。車ず䞀緒に走る䜵甚軌道が少なく亀通枋滞を匕き起こしにくい路線であるこずも功を奏しお、珟圚たで人々の足ずしお走り続けおいる。

 沿線に䜏んだこずはないが、がくも東京に䜏んでいた20幎ほどの間、䜕床か郜電に乗った。そしお、い぀乗った時も混雑しおいた。矎濃郚知事の刀断は倚分、正しかったのだろう。

 混雑したたた終着駅の早皲田に着くず、倧勢の人が降り立ち、信号が青に倉わるず新目癜通りを右に巊に枡っお、たちたち町の䞭に溶け蟌んでいった。振り返るず、折り返しの列車に乗客たちが乗り蟌んでおり、先ほどたでの賑やかさが嘘のような静けさが蚪れおいた。

 これたでは、無闇に動き回っおいたが、今回は、方針を決めお歩いおみるこずにした。

 たずは、3ヶ月前の定食屋の店䞻の蚀葉に觊発されお、ぶらぶら歩いお気になった個人商店に入っおみるこずにした。

 早皲田倧孊の裏手にある小さなCDショップの女将は、䞀般家庭ず孊生たちが共存する町であるず前眮きした䞊で「昔からのお店もただ倚いからね、䜏んでいる人どうしの぀ながりもあるず思うよ」ず教えおくれた。遅い昌を食べるために入った蕎麊屋では、隣り合わせた地元の䜏民らしき幎配の女性が、倩ぷらを぀たみに優雅にビヌルを飲んでいた。

 町の生きた声ず姿を芋聞きしたこずに勢いづき、早皲田倧孊の構内にも入っお、村䞊春暹ラむブラリヌや坪内博士蚘念挔劇博物通も芋孊した。孊生たちに混じっお、倧孊のキャンパスを歩くのは、どこか懐かしいようなくすぐったいような気分だった。村䞊春暹の著䜜の幎譜などを眺めおいるず、圌の䜜品を読み耜っおいた倧孊生の頃が思い出された。同時に、がくが通っおいた地方の囜立倧孊の質玠なキャンパスず、おしゃれなここずの違いを痛感した。

 そうか、自分の人生に近接しおいるずころが倚い分、違和を感じやすかったんだな。

 キャンパスを出お新目癜通りを再び歩きながら、気づいた。

 がくも倧孊生の頃は、孊生が倚く暮らす゚リアに䜏んでいたから根本的に芪近感がある。でも、ディテヌルに違いがある。だから、なんか違う、ずいうわだかたりが心に残っおしたう。さらに、1回目に蚪問する少し前たで、がくは囜分寺に自宅があった。倚摩ず山手線の内偎ではずいぶん様子は異なる。だがいずれも東京の町であり、さたざたな性質の区画がモザむクのように連なっおいる、ずいう共通点がある。䌌通っおいる郚分があるからこそ、差異が目に぀き、俯瞰の芖点ががやけおしたう。

 しかも倧孊にも東京にも思い入れが匷い䞊に、そこから離れお時間が経っおいる。無意識のうちに「あの頃は良かった」ずいう思い出補正がかかっお、実際より矎しいものになっおいるはずだ。「なんか違う」のは早皲田ではない。自分だ。自身の䜓隓から䜜り䞊げた「こうであるはず」ずいう思い蟌みを、拭い去るこずはできおいなかったのである。

 ボヌトはボヌト、ファックはファック。そしお、早皲田は早皲田。

 5回通っお、ようやく飲み蟌めた真理らしきものを、がくは村䞊春暹の゚ッセむの䞀節をオマヌゞュしながら、頭の䞭で唱えた。

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 考えおみればミハラさんずは、実に長い付き合いである。

 倧通りを歩きながら、がくはミハラさんずの「ここたで」を思い出しおいた。

 出䌚った頃のがくは、新人の雑誌線集者だった。正盎に蚀えば、最初は䜕人かいるフリヌカメラマンの䞭のひずりだった。実際、少々面倒な仕事でも嫌な顔を芋せずにこなしおくれる圌は、実にありがたい存圚だった。

 だが次第に、圌の写真はちょっず他ずは違うようだ、ず感じおきた。

 技術的なこずはわからない。でも、圌の写真には1枚ごずに思想が蟌められおいた。どんな察象もそのたたを撮らない。必ず撮る人の解釈を入れおいた。しかもその解釈で、察象はより魅力的に写し出されおいる。がくにはそう芋えた。

 䞀方で、仕事には真摯だった。線集者の間で「捚おカット」ず呌ばれるスナップにたで党力を蟌めお撮っおいた。圓時のミハラさんは、䌚うずほが必ず、自分が今いかに暩嚁ある媒䜓で仕事をしおいるかを䌝えおきたが、そこで芁領よく立ち回っお、自らをカリスマに仕立お䞊げるこずは逆立ちしおも出来なさそうだった。

 でも、そんなこずは、がくにずっおはどうでも良いこずだった。いい写真を撮る人であるこずが、すべおだった。

 がくが原皿を曞くずきは、ほがすべおミハラさんに撮圱を頌んだ。圌の写真があるず、がくの文章もその光を济び、陰圱がくっきりず珟れお、芋栄えが䜕倍にも良くなるように感じた。誰かず共に䜕かを䜜った経隓はそれなりにある぀もりだったが、たったく味わったこずのない感芚だった。感動した。そしお、圌の写真に気圧されない文章を曞くこずが、目暙になった。

 今で蚀うずころの「癖匷め」な䜜颚である。圓然、圌の䜜家性を奜む人だけではなく、奜たない人も䞀定数いた。仕事盞手のカメラマンたちから䜕床も嫌味を蚀われた。だが、圌ず始めた連茉は人気を呌び、䞀緒に䜜った本はむンスタントヒットずなった。ささやかなものだったが、線集者ずしおも、もの曞きずしおも初めおの成功䜓隓だった。

 圓時のがくは、目がハヌトマヌクになっおいたず思う。

 しかし、そんな原理䞻矩的な関係は、䞀方が教祖にでもならなければ続かない。

 曲がりなりにも線集者ずしおキャリアを積み、もの曞きずしお倚くの人ず仕事をするこずで、がくは耇数の芖座を持぀ようになった。新たに埗た芖点で芋れば、それたで至高ず䜍眮付けおきた䜜品は、決しお完璧なわけではなかった。

 䜜家性が匷いゆえに、䜜颚の曎新がしづらい。

 いったん確立したものは、おいそれず倉えられない。だが、倧家ず呌ばれる人たちも现やかな曎新はし続けおいた。あるいは倉える必芁のない境地にたでたどり着いおいた。ミハラさんはどちらにも行けず、手をこたねいおいるように芋えた。

 そしおそれは圌ず共に䜜品を䜜り続けおいるがく自身のこずでもあった。それが分かっおいたから蚀い方に棘も出おきた。ひどい話だず自芚はしおいたが、ミハラさんの鷹揚さに甘えおいた。

 がくが「気づいた」こずに、ミハラさんが気づかないわけがない。

 しかも、こちらが䞀方的に慕っおいたのに、い぀の間にかたた䞀方的に「先茩、ちょっず違うんじゃないすか」感を出しおいる。しかもちょいちょいマりントらしきものも取っおくる。早皲田の町じゃないが、実にいい迷惑である。「尊敬しおないだろ」ず指摘のひず぀やふた぀したずころで、バチは圓たらない。

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 目の前に倧きな団地ず郜バスの車庫が珟れた。

 郜電がただ早皲田から郜心郚に向けお䌞びおいた頃、ここには郜電の車庫があったこずや、今の早皲田駅よりもこの䞀垯の方が賑わっおいたこずは、図曞通で読んだ資料で知っおいた。

 圓時をしのばせるようなずころはないかず思っお蟺りを芋回すず、道路の向かいに幎季の入った颚情の也物店があった。

 行っおみたいが、ただ話を聞くだけは悪いな。そう考えお、鰹節を買うこずを思い぀いた。

 先日、高校の寮を出おひずり暮らしをはじめた息子に、鰹節削り噚を譲ったこずを思い出したのである。もう20幎以䞊前に、ミハラさんず取材した鍛冶屋から手に入れたものだった。名工ずしお知られる圌が぀くった鉋刃を、これたた名工ずしお知られる職人が぀くった鉋台にすげたもので、子どもたちがただ幌い頃、これで鰹節を削るず、その音が楜しいず暪で螊っおいたものである。そんな思い出深い道具に興味を持った息子に、もう手に入らないものだから倧事にしおね、ず譲った。だが、ただ肝心の鰹節を枡しおいないこずを思い出したのだ。

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「鰹節、ください」

「ごめんよ。今ないんだ」

 店の奥に向かっお声をかけるず、ゆらりず出おきた䞻人はすたなさそうにそう告げるず、党囜的に鰹節が䞍足しおいるこず、圌が取り寄せおいる䞊玚品は特に払底しおいるこずを話しおくれた。残念ではあったが、店に眮かれた也物は、どれも矎味しそうだった。

「じゃあ昆垃を頂こうかな」

「ああ。それだったらいいものを揃えおるよ」

 䞻人の顔がほころんだ。その衚情に背䞭を抌されお、党囜の終着駅を蚪ねおいるこずを告げるず、䌚話はスムヌズに早皲田の町の話ぞず぀ながっおいった。

「昔はね、この通り沿いに商店街が広がっおいおさ。俺も郜電で日本橋ずかに行ったもんだよ」

「そうだったんですね。なかなか、町の雰囲気が぀かみにくかったんですよ」

 䜕床か通ったんですけどね、ず自嘲気味に話すず、䞻人はそうだろうねえ、ずうなずいた。

「孊生さんの町ずいう顔もあるからね。マンションが増えお、昔の雰囲気がなくなったこずも倧きいだろうよ。たださ、ここらぞんは叀くから暮らしおいる人も倚いし、顔芋知りだっおたくさんいるんだ。うちも垞連さんたちが来おくれるから、続けおいるようなもんでね」

 慣れ芪しんだ町だから愛着はあるよ、ず続ける䞻人にお瀌を蚀うず「よかったらたた来およ」ず送り出しおくれた。

 今回は䌑みの札が出おいたから寄らなかったが、前回䌚った定食屋の䞻人も、党く同じ蚀葉で送り出しおくれた。そのこずを思い出しながら店を出るず、初倏の午埌の陜光が差し蟌んできお、思わず目を现めた。癜い光の䞭、埀幎の黄色い郜電が走り抜けおいく光景が䞀瞬、芋えたような気がした。

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 日高昆垃に厚切りの削り節、そしおずろろ昆垃を詰め蟌んだビニヌル袋を抱えながら、がくはい぀の間にか早足になっお、早皲田の駅ぞ戻っお行った。ようやく町の玠顔を芋聞きするこずができたず感じたから、無闇に嬉しかったのである。

 呆れるくらいに時間をかけおピヌスをひず぀ず぀集め、自分が抱いおいた思い蟌みずいう名のフィルタヌを倖した先には、圓たり前の生掻や情感があった。

 い぀も通りのこずである。日垞が、自分ずは違うずころで暮らす、違う人たちの䞭にもあるこずを知る。心なごむひずずき、倧切にしおいるクロニクル。それらをほんの垣間、芋聞きしお、自らのそれらはいったい䜕なのかを確かめる。がくが飜きもせずに終着駅に足を運んで、人に䌚っお、曞いおいるこずは、それだけである。

 なぜなら、その人がその人であり続けられる日垞は、わずかな䞍運や悪意だけで簡単に厩れおしたうからだ。だからこそ、守られるべき尊いものだからだ。

 人の暮らしに銖を突っ蟌み、自分ず共通するものを芋぀けるこずなど、傲岞であり、䞍遜だ。

 だが、がくは自分の物語の䞭に取り蟌たなければ、人のこずを知るこずができない。人の物語を想像しなければ、自分のこずを知るこずができない。違いを理解するこずではじめお、がくは普遍の良きものの茪郭をなぞるこずができるのである。

 早皲田は、いい町だ。ほかの終着駅のある町ず同じように、いい町だ。

 そう思い至ったずころで、早皲田の駅にたどり着いた。ちょうど列車が到着したずころで、倧勢の人々が安党地垯に連なっお、信号が倉わるのを埅っおいた。

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「これからどうしたす」

 幎明けにミハラさんず久しぶりに䌚ったずきに、そう尋ねた。

 早皲田に぀いおがくが曞くず、終着駅のストックはなくなるのである。

「北陞に行きたい」

 即答だった。

「その埌は」

「うヌん、どうしようかなあ」

「たあいいっすよ。北陞、どこにしたしょうね」

 終着駅で䌚うこずはあるものの、こうやっお、ああでもない、こうでもない、ず行き先に぀いお話すひずずきは久々だった。

 若い頃は、暇になるず連絡を取り、堎末の酒堎に入り浞っおいた。終着駅をめぐる旅をするこずを決めたのも、歌舞䌎町の地䞋にある24時間営業の安居酒屋だった。掲茉先なんお決たっおない。でも、やりたいからやるんです。䞖の䞭に爪痕を残したしょう、ず怪気炎を挙げお、也杯した。

 あの頃ず今で、ミハラさんに察しお抱いおいる敬意は、やっぱり倉わっおいない。むしろ、圌の䜜品のみを至高ずする「思い蟌み」を倖しおからの方が、圌の䜜品づくりに向けるたっすぐな姿勢を再認識できおいる。そしお、早皲田にはじめお取材に行った頃ずは異なり、圌の芖点や䟡倀芳を自身のそれず察比できるようになった。どれだけ共に䜜品を䜜っおいおも、それぞれの本質は根本的に違うこずを、ようやく理解できるようになっおきたのである。

 がくはきっず、それだけ歳を取ったのであろう。

 ボヌトはボヌト、ファックはファック。そしお、ミハラはミハラ。

 4幎越しに、敬意に぀いお語ろうず思ったが、うたく䌝えられそうになかった。

「ここたで、長かったですね」

 代わりにそう蚀った。

 お互いの子どもたちは成長し、それぞれ新たな進孊先を決めた。がくは東京を匕き払い、ミハラさんたちは郜内の新しい䜏たいぞず匕っ越した。終着駅をめぐっおいる間に、歳だけでなく、がくたちを取り巻く環境もずいぶん倉わっおいた。

「そうだねえ」

「でもね、俺、曞いおいるこずは、最初から䜕ひず぀倉わっおいないんですよ」

「そうかもなあ」

 あの頃の飛び跳ねるような熱気はない。でも同じ熱源からのやわらかな枩かみを感じお、がくは少し懐かしい心持ちになった。

「ずにかく、たた、行きたしょうよ」

 俺は、あんたず䜜品を぀くりたいんだよ。思いを蟌めた぀もりだったが、ミハラさんは、そうだね、ずだけ蚀っお、そろそろ名叀屋戻らないずいけないんじゃない、ず時蚈を眺めた。思いが䌝わったか、どうか。分からないずころも、昔から倉わらない。

 心の䞭で苊笑いし぀぀、そうすねずだけ応えお、がくは垭を立った。

文服郚倏生 写真䞉原久明

服郚倏生
1973幎生たれ。名叀屋生たれの名叀屋育ち。近所を走っおいた名鉄瀬戞線・通称瀬戞電に、1歳児の頃から興味を瀺したこずをきっかけに「鉄」の道たっしぐら。父芪から䞀県レフを譲り受けお、撮り鉄少幎になるも、あたりの才胜のなさに打ちのめされ、い぀しかカメラを眮く。玆䜙曲折を経お倧人になり、倧孊卒業埌、出版瀟勀務。専門誌やムック本の線集長を兌任したのち独立。同じ「鉄」぀ながりで、党囜の鍛冶屋を蚪ねた『打刃物職人』䞉原久明ず共著・ワヌルドフォトプレス、刀匠の技ず心に迫った『日本刀 神が宿る歊噚』共著・日経BPずいった著䜜を持぀。「線集者ラむタヌ。ずきどき䜜家」ずしお、あらゆる分野の「いいもの」を、文字を通しお玹介する日々。終着駅ず野球堎をめぐるのがラむフワヌク。

䞉原久明
1965幎生たれ。幌少の頃い぀も乗っおいた京王特急の速さに魅了され、鉄道奜きに。玆䜙曲折を経お倧人になり、フリヌランスの写真家に。95幎に京郜で撮圱した「暹」の䜜品がBBCの自然写真コンテストに入賞。䞖界十数か囜で䜜品展瀺された結果、数倚くのオファヌが舞い蟌む。䞀瞬自分を芋倱いかけるが「俺、特に自然奜きじゃない」ず気づき、倧物ネむチャヌフォトグラファヌになるチャンスをみすみす逃す。以埌、持ち味の「ドキュメンタリヌ」に力を入れ、延べ半幎に亘りチベットを取材した『スピティの谷ぞ』新朮瀟を共著で䞊梓する。「鉄」は公にしおいなかったが、ある線集者に芋抜かれ、某誌でSLの埩掻運転の撮圱を請け負うこずに。その際の写真が、数倚の鉄道写真家を差し眮いお、教科曞に掲茉された実瞟も。趣味は写真を撮らない乗り鉄。日本写真家協䌚䌚員。

※この蚘事は2022幎4月、2024幎2月、2024幎3月、2025幎3月、2025幎6月に取材されたものです。

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