父、息子のために虫を食う。
「ぶ〜〜〜ん」
「うわぁ〜〜!」
飛んでくるカナブンの羽音にビビり散らかす父。
「とーと、怖くないよ!僕がいりゅよ。」
どこで覚えてきたのかわからない、イケメンゼリフを何とも言えない表情で父にかける、虫が大好きな
2歳半の息子。
その一部始終を真顔で見続けている妻。
父の尊厳も厳格さも失っている今、
僕は虫が大好きな息子のためにも、
虫嫌いを克服することを心に誓った。
何も、昔から虫が嫌いだったわけではない。
むしろ、子供の頃の僕は虫が大好きだった。
小学2年生の頃には栗林さとしさんに憧れて、
親友と学校の小便器の前で「2人で昆虫博士になろう!」なんて、それはそれは壮大で、
少し臭い夢を語り合ったものだ。
ただ、その夢は小学3年生になる頃、親友が突然、「俺!漁師になる!」とか急に言い始めたことで、あっけなく幕を閉じる。
ちなみに、栗林さとしさんが昆虫博士ではなく
昆虫カメラマンだったと知ったのは、
もう少し後のことである。
話が少し脱線したが、それくらいかつての僕は虫が大好きだった。
それなのに、大人になるにつれ、少しずつ虫に嫌悪感を抱くようになった。
きっかけはわからない。
五島列島の虫はサイズが尋常ないほど大きい。
朝起きたら股間に巨大なムカデが張り付いていたこともある。
ゲジゲジが僕のお腹を道と勘違いして、堂々と横断していったこともある。
思い当たる節が多すぎるのだ。
いつ動き出すかわからない恐怖。
何を考えているのかわからない目。
人間とはまるで別の生き物のようなシルエット。
とにかく全部ダメだ。
息子と虫取りに行くたび、職場の先輩が言っていた言葉が頭をよぎる。
「父親が子供の前で虫を怖がっていたら、子供の興味が恐怖の対象に変わってしまうよ」
先輩の言う通りかもしれない。
虫を見つけるたびに目をキラキラさせながら、
「とーとみて!!クモがいるよ!」と教えてくれる息子。
その息子の前で父親の僕が「気持ちわる!」とか、「無理無理無理!」なんて、情けないことを言っていたら、息子のマリアナ海溝ぐらい深い好奇心は、大人の「虫って全部気持ち悪いものなんだよ。」
という先入観であっという間に埋め尽くされてしまうだろう。
それだけは絶対に避けなければならない。
色々調べてみたところ、虫に嫌悪感を抱いてしまうのは、感染症などのリスクから身を守るために人間に備わった本能らしい。
この日本で普通に暮らしている限り、そこまで神経質になる必要もない気がするが、僕のDNAに眠るご先祖様が守ってくれているのかもしれない。
カナブンにさえアラートをかけるのは、
あまりにも過保護すぎやしないか。
でも、それなら話は簡単だ。
虫は害のある生き物じゃない!と
脳に認識させれば良いのだ。
観察する。
手で触ってみる。
いや、もっと確実な方法がある……!!!
「よし。虫を食べてみよう」
我ながら意味が分からない。
まずは虫の見た目に慣れるところから始めた。
爬虫類が大好きな僕。YouTubeを開けば爬虫類のお世話動画ばかりを見ている。
その中でよく出てくるのが、餌として飼育されている虫たちだ。
今までは、それが気持ち悪すぎてスキップしていたのだが、じっくり視聴することにしてみた。
多種多様なゴキブリやコオロギが、卵パックの中で無造作に蠢いている。
壁を登って脱出しようと試みるもの。
触覚をゆらゆら動かしながら何かを食べているもの。
その中に手を突っ込む飼い主の狂気。
あまりにもカオスすぎる動画を見終わる頃、
僕の心は、近所のおばあちゃんが
「食べきれんけん持っていかんね」と押し付けてくるキュウリくらい干からびていた。
だが、人間の慣れという能力は凄まじいもので、
数を重ねるごとに何の感情も抱かないようになる。
それどころか、「あー、このゴキブリの種類はデュビアか。まだ餌にするには小さすぎるんじゃないの?」なんて、爬虫類飼育のプロに対して余計なお世話を焼くようにまでなった。
第一段階はクリアといっていいのではないだろうか。
次のステップは「虫を食べる系YouTuberをみる」だ。
普段、自分が気持ち悪いと心の底から嫌悪感を抱いている虫たちを、人間が平然と食べている。
その光景を見続ければ、
「もしかして虫って、そんなに怖くないんじゃないか?」と脳が勘違いしてくれるかもしれない。
この修行は思った100倍過酷だった。
ゲジゲジやムカデ、カマドウマなんかを焼いては
食べ、時には生きたまま食べる人もいる。
「んー噛んだ瞬間、体液が口の中を埋め尽くして苦味を感じます。後はーやっぱり土臭いですね。」
虫を食べた後、至極当たり前のように食レポする。
この辺りで僕は、努力の方向性が間違っていることに気づいた。
虫を食べる動画を見続けた結果、僕の元に残ったのは、多種多様な虫の食感と味。
そして、美味しい調理法の知識だけだった。
これを続けていても、虫料理研究家にしかなれない。僕は虫嫌いを克服したいのだ。
いよいよ最後のステップ「実際に虫を食べてみよう」編だ。
Amazonのカートに「昆虫食バンブーワーム」が入る。
虫を食べる系YouTuberの人たちが口直しとか言って食べてた虫だ。
多少なりとも美味しいのだろう。
僕の覚悟は決まった。
むしろ早く食べたい。
未知なる味との遭遇。
僕を新しい世界へ連れて行っておくれ!!
……だが、離島のため届くのに1週間くらいかかった。
手元にバンブーワームが届く頃には、覚悟の炎は消えかけの線香のようになっていた。
「バンブーワーム」と書かれた封を恐る恐る開ける。
封の中からは、エビっぽい匂いに混じって、ふんわり笹のような香りがした。
あれ、意外と美味しそうな匂いだ。
そう思ったのも束の間、取り出してみると、もろ幼虫だった。手が震え、背中には変な汗が浮かぶ。
だけど、息子のために虫嫌いを克服すると誓ったのだ。
ここで逃げてしまえば、息子に「嫌いとか言わない!トマトも食べなさい!!」と説教も出来なくなるだろう。
一心不乱に口へ放り込んだ。
舌に感じるのは、あまりにも幼虫すぎるシルエット。
「うっ……。」
勢いに任せて、幼虫を噛み砕いた。
「……あれ?お、美味しい!!!」
少しサクサクした食感の後に、程よい塩味が口の中を満たす。島を脱出した際によく訪れるマックのポテトそのままだった。
しかも、端っこの方にいる、個人的に一番美味しい「しなれたポテト」そのものだ。
気づけば半分ほど食べてしまっていた。
勝った!!
僕はついに虫嫌いを克服したのだ。
次の休みの日、意気揚々と息子と共に虫取りへ出かけた。
今日の息子は、バッタをご所望らしい。
近くの草むらでじーっとしている、そこそこ大きいバッタに狙いを定めた。
もう何も感じない。
バッタを食べている人も何十回と見た。
こいつは無害なのだ。
何も恐れるものはない。
勢いよくバッタの後ろ脚を掴む。
次の瞬間、お腹のもっちりした感触と、トゲトゲの足が暴れ回る感覚が手のひらの中でこだました。
「……気持ちわる!!!!!」
僕は無意識にバッタを遠くへ放り投げ、なぜか手まで洗っていた。
この日を境に我が家の教育方針は、「無理に苦手なものを克服しない!好きなことを伸ばしましょう」となった。
おわり。
