教師35年目、管理職への違和感が確信に変わった
今年の2月。
小学校の教師だった時のこと。
突然歩けなくなり、脊柱管狭窄症になった。
職員室から教室まで歩くのがやっとだった私。
あまりに痛すぎて、病気休暇を取るつもりでいた。
でも、教師の数が少ない。
私が休めば、その分の仕事が他の先生にいってしまう。
退職まで、あともう少し。
教頭も大変そうだったし、
休みは取らずに、せっせと整体に通いながら、なんとか勤務を続けた。
荷物は、生徒が運び係となって運んでくれた。
時には私に肩を貸してくれたりして。
たくさんの優しい子たちに助けられた。
そんな中、校長が言った。
「他の先生は、年休を取った次の日に、ちゃんと校長室に来て、『昨日はお世話になりましたー』って僕に挨拶に来るよ。先生は僕のところに来ないよねぇ」
……歩くのもやっとなのに、校長室まで挨拶に来い?
ばーろー!
行くわけねーだろ。
早帰りの理由も、ちゃんと書面で伝えてる。
60近くなると、失礼な人には不機嫌な顔をそのまま出したって、もう怖くないのだ。
さらに、
「これ、先生の診断書ね。一応受け取っとく。でも今、教頭が忙しくて大変なんだよ。わかるよね。先生が病気休暇取ったら、教頭先生は死んじゃうよ」
と言ってきた。
……はあ?
私の診断書は、なかったことにしたいみたいだった。
呆れて、言葉が見つからなかった。
腰の痛みで反論する気も起きなかった。
彼は、
保護者や生徒がいる前で、
若い先生に向かって
「お前は教師失格!」
などと、大声で怒鳴ったりする校長だった。
私のことはさておき、
未来ある若い教師が、やる気を失っていくのは許せなかった。
教育委員会のパワハラ相談室にメールした。
もちろん、実名で。
適当に受け流せばいいのかもしれない。
そっちの方が、賢い、という人がいるけど、
私はそうなれなかった。
私は教職に合ってないのかも…
35年間ずっとそう思ってきた。
でも、今になって思うのは、
私が合ってないと感じていたのは
「教師」という仕事じゃなくて、
理不尽なことを、理不尽だと言えない学校の世界だったということ。
自分が我慢すればいい。
周りに迷惑をかけないようにしよう。
子どもたちのために、もう少し頑張ろう。
教師って、子どもたちのことを一生懸命考えている人ほど、いろんなことを抱えてしまう。
いつの間にか自分のことを後回しにして、
辛い思いをしている教師たちを、
私はたくさん見てきた。
校長が、必ず人格者だとは限らない。
以前は我々と同じ平教諭だったにも関わらず、校長になった途端に威張り散らし、
保護者や生徒に迎合して、
教師を自分のコマのように使う人がいる。
残念ながら、
守りたいのは子どもではなく、
校長としてのメンツや体裁なんだなと思うこともあった。
だから、
違和感を感じるときは
会議で意見を述べた。
代替案を出して
管理職に伝えてきた。
現場は理想だけでは回らない。
できないことはできないのだ。
我が子のためにも、生徒のためにも、自分が倒れるわけにはいかなかった。
生徒たちといるのは好きだった。
教えることも好きだった。
しかし
改めて、
学校は私のいるべきとこじゃないと確信し、
迷いなく退職した。
それにしても、
長かった
35年。
悩んだり
落ち込んだり
怒ったり
諦めたり
腹が立つと
「バーロー!」が心の中で繰り返されてた。
よく続いたなあ、私。
200%やり切ったから
やり残したことはない。
もう教職に戻ることもない。
