手放す愛情
じいじです。
小学4年生の孫の家来をしています。
夜中に
階段を下りてくる足音で目が覚めました。
妻がトイレに降りてきたようです。
すると二階から
「ばあば、ばあば」
という孫の声が聞こえてきました。
「すぐに行くから上で待っといて」
妻がそう返します。
小学4年生になった孫ですが
まだ一人で寝ることができません。
夜は妻が一緒に寝ています。
「ばあば、まだあ」
「用事を済ませたら上がるから、待っといて」
そんなやり取りが続いていました。
私は目を閉じたまま
その声を聞いていました。
しばらくすると妻が少し強い口調で言いました。
「もう4年生なんだから、
一人で寝れなくてどうするの」
すると孫が泣き出しました。
「ばあば、ばあば」
その声には
不安や寂しさが詰まっているように
聞こえました。
妻もただ突き放しているわけではありません。
強く言ったり
優しく諭したりしながら
一人で寝られるよう促しています。
私はそのやり取りを聞きながら
妻の複雑な気持ちを想像していました。
普段
孫を一番かわいがっているのは妻です。
いつも抱きしめ
いつも気にかけています。
本当は一緒に寝てあげたいのでしょう。
でも
いつまでもそうしているわけにはいかない。
だから心を鬼にしているのかもしれません。
スッタニパータには
執着を手放して自由になること
の大切さが説かれています。
けれど手放すというのは
冷たくなることではないのでしょう。
むしろ大切だからこそ
自分の思いを少し脇に置いて
相手の成長を願うことなのかもしれません。
孫は
「ばあばと一緒がいい」
妻は
「一人で寝られるようになってほしい」
どちらにも愛情があります。
愛情があるからこそ
葛藤も生まれます。
目を閉じたまま
そのやり取りを聞いていると
成長するのは孫だけではないのだな
と思いました。
子どもが親になるように
親もまた子どもによって成長させられる。
そして祖父母もまた
孫によって学ばされる。
そんなことを考えていました。
しばらくして
どちらかが根負けしたのか
家の中は静かになりました。
さて
結局どうなったのでしょう。
一人で寝られたのか。
それとも
ばあばが隣に寝たのか。
その答えは分かりません。
でも
明日の朝になれば分かります。
そんなことを楽しみにしながら
私はもう一度目を閉じました。
飄飄と
いきましょう
