察するということ
じいじです。
小学4年生の孫の家来をしています。
私は無口です。
妻はよく喋ります。
昔から妻によく言われていました。
「目で訴えないで、ちゃんと口で言って」
たしかにその通りです。
お腹が空いた時も
何か頼みたい時も
言葉にする前に相手の顔を見てしまう。
自分では普通のつもりでも
妻からすると
「何を考えているのかわからない」
のだと思います。
なるべく言葉にしようとは思うのですが
もともと話すのが得意ではありません。
だから
つい目で訴えてしまいます。
「察してほしい」
そんな気持ちがどこかにあるのでしょう。
甘えなのかもしれませんね。
コミュニケーションには
言語的コミュニケーションと
非言語的コミュニケーションがあるそうです。
言葉そのものよりも
表情やしぐさ
声の調子などの影響の方が
大きいとも言われています。
たしかに
同じ
「ありがとう」
でも
笑顔で言われるのと
不機嫌そうに言われるのでは
受け取り方が違います。
逆に
一生懸命言葉を尽くしても
うまく伝わらないこともあります。
人は言葉だけで
分かり合っているわけではないのでしょう。
長く一緒に暮らしていると
相手の小さな変化に気づくことがあります。
「ああ、今日は疲れているな」
「何か考え事をしているな」
そんなことを
言葉がなくても感じることがあります。
それはきっと
長い時間をかけて
積み重ねてきたものなのでしょう。
古い仏教の言葉には
相手を自分の思い通りにしようとしない
という教えがあります。
「分かってほしい」
と強く求めすぎると苦しくなります。
でも
「分かってくれたらありがたい」
くらいだと
少し楽になります。
言葉で伝える努力も大切
察しようとする優しさも大切
どちらか一方ではなく
その間を行ったり来たりしながら
人は暮らしているのかもしれません。
私は今日も
なるべく言葉にしようと思います。
それでも時々
目で訴えてしまうでしょう。
そんな時は妻に笑われながら
「だから口で言って」
と言われるのだと思います。
それもまた
長年連れ添った
夫婦の会話なのかもしれませんね。
そんなもんですね
飄飄と
いきましょう
