石狩湾の『California Dream』
残念ながら、“カリフォルニア”ではない。
ここは、積丹岬から雄冬岬にかけて広がる日本海、“石狩湾”である。
やれ『日本海』だの『石狩湾』だのと聞けば、なんとなく鄙びた漁村が延々と続いて、どこからともなく干からびた魚臭い空気が漂う……。そんなイメージを抱かないだろうか。
……返す返すも遺憾ながら、その通りだ。
石狩湾沿岸で育った私が言うのだから間違いない。
今回は『海の日』にこじつけて、この愛すべき“絶望のガイド”を始めることとする。
サンゴの海?
ないない。
あるのはコンブとフノリの海だ。
エンゼルフィッシュ?
いないいない。
ホッケとニシンとミズダコならナンボでもいる。
ビキニスタイルのお嬢さん?
いよいよそんなモン、いないいないバァだわ。
視界に入るのは、野良着の婆様が数珠を握って空を拝む姿だけ。それがこの浜の日常だ。
サーフィン?
ああ、波なら嫌ってほどある。
冬の日本海が本気を出した、命がけの荒波がな。サーフボードの代わりに流木にでもしがみついてりゃ、運が良ければ対岸のユーラシア大陸まで連れてってくれるべ。知らんけど。
オープンカーで海岸線をドライブ?
まぁ待ちなってばよ。
こっちのメインストリートは、落石防止の無骨なトンネルが延々と続く“モグラ叩きコース”だ。潮風を浴びるどころか、排気ガスと湿気でベタベタになるのがオチ。おまけに冬場は地吹雪で前も見えやしねえ。
お洒落なカフェでエッグベネディクト?
何だべ、それ。旨いモンなのかい?
ここにあるのは、看板の文字が消えかかった『ドライブイン』と、錆びついた自販機コーナーだけだ。そこで啜る塩気の強いラーメンと塩むすびと缶コーヒー。これこそが、石狩湾の正しい“テラス席”の嗜みってわけ。
ビーチバーでトロピカルカクテル?
寝言は寝てから言ってけれ。
波に洗われて角が取れたワンカップの空き瓶を拾ってさ、その辺の割り箸でカップ酒をかき混ぜる。これがこの海岸の『正装』なんだわ。
夜空が綺麗?
ロマンチックな余韻に浸る暇もありゃしない。
水平線に陽が落ちた瞬間、気温は垂直落下だ。海風は容赦なく牙を剥き、幻想の『カリフォルニア・ドリーム』を、一瞬で『凍てつく現実』へと引きずり戻す。聞こえてくるのは波の音……じゃなくて、年季の入った漁船のディーゼル音と、弁当を狙うカモメの図々しい鳴き声だべさ。
悉く悲惨なトコだでやなぁ……いやいや、待て待て。絶望するのはまだ早い。
そんな荒くれ者の海が、年に数回だけ、カリフォルニアが裸足で逃げ出すような奇跡を見せることがあるんだ。
水平線に沈む夕陽が、海一面を燃えるような黄金色に染め上げる瞬間。
波飛沫のひとつひとつが宝石みたいに光って、世界が静止する。
その神々しいまでの美しさときたら、スマホの画面越しじゃなく、網膜に直接焼き付いて離れない。『インスタ映え』なんて“チャラい言葉”じゃ、到底追いつかない凄みがあるんだ。
そして何より、その厳しい荒波に揉まれて育った魚たちの味だ。
数日ここに泊まってさ、夜な夜な脂の乗り切ったホッケの開きを、キンキンに冷えたビールで流し込んでみなさい。その瞬間、お洒落なエッグベネディクトなんて、どうでもよくなるはずだ。
「ああ、やっぱりここに来て良かった」
そう思わせるだけの、図太くて温かい魅力が、この石狩湾には確かに詰まってるんだわ。
……だが、それでもだ。
どれだけ夕陽が美しかろうが、諦めきれないことがある。
ホッケの脂で唇をテカテカに光らせながら、今日も私は水平線の向こうを凝視している。
この脂ぎった現実を突き破って、奇跡的に迷い込んだ『場違いなビキニのお嬢さん』が現れるその瞬間を……。
おっ? 水平線の向こうに黒い影が動いたぞ。いよいよ奇跡の到来か?
……まあ、よく見りゃせいぜい、漂着したトドぐらいのモンなんだがね……。
