第一話|理系武士、幕末に生まれる
■ 函館、静かな敗戦前夜
函館の空は、思いのほか静かだった。
砲声は遠く、
海は凪いでいる。
五稜郭の一室で、
一人の男が書物を閉じる。
戦況報告ではない。
条約と国際法の資料だ。
榎本武揚。
その男は、勝敗を知っていた。
それでも席を立たない。
理を知る者は、
感情だけでは動かない。
だがその冷静さは、
函館で突然生まれたものではない。
■ 御徒町に生まれた実務家の子
天保7年(1836年)、江戸・下谷御徒町。
下級武士「御徒」の家に、釜次郎は生まれた。
華やかな家柄ではない。
だが父は測量事業に関わる実務家だった。
数字を扱い、
現実を測る。
少年は、武勇よりも構造に触れて育つ。
武士社会の階級は厳しい。
だが、思考は身分に縛られない。
■ 黒船が来た日、進む方向が決まった
嘉永6年(1853年)、ペリー来航。
国中が騒然とする。
攘夷か、開国か。
だが幕府は一つの現実を突きつけられた。
――言葉が通じない。
このとき幕府に召し出された男がいた。
中浜万次郎、通称ジョン万次郎。
少年期に漂流し、アメリカで学び、
帰国後、英語と世界事情を知る数少ない日本人だった。
万次郎は江戸で私塾を開く。
榎本はそこで英語を学んだ。
攘夷を叫ぶよりも先に、
彼は“通じる言葉”を手に入れていた。
世界を敵と見る前に、
世界と話す準備をした。
その選択は、
後の人生を決定づける。
■ 長崎へ ― 技術という武器
幕府は海軍力強化を急ぐ。
榎本は長崎海軍伝習所へ。
航海術、砲術、造船。
感情ではなく、技術。
忠義よりも、構造。
幕末日本が「尊王か佐幕か」で揺れる中、
彼は船の仕組みと向き合っていた。
皆が志を語る横で、
一人だけ計算している男。
少し、時代と温度が違う。
だが国家は、熱だけでは動かない。
■ オランダ留学 ― 国家とは仕組みである
文久2年(1862年)。
幕府留学生としてオランダへ渡る。
オランダ留学中、ライデンを拠点に国際法を修め、
最新鋭の軍艦建造に関わる。
ヨーロッパで彼が見たもの。
条約。
軍事力。
技術。
外交。
世界は、感情で動いていなかった。
国家とは理念ではなく、構造である。
五年の留学を終え、慶応3年(1867年)帰国。
彼の中には、
すでに一つの確信があった。
幕府か、新政府か。
それ以前に、
日本という国をどう存続させるか。
■ 理を抱えたまま、熱の時代へ
だが帰国した日本は、
理よりも熱量で動いていた。
幕府は揺らぎ、
政権は移ろう。
榎本は幕府海軍の中核として立つ。
しかし彼の視線は、
一つの組織だけを見てはいなかった。
どう負けるか。
何を残すか。
何を次代に渡すか。
理を知る者は、
勝敗よりも構造を考える。
そしてその思考は、
やがて函館へと続いていく。
そこには、
情の塊のような男――
土方歳三がいた。
散る覚悟の男と、
生きる算段を考える男。
二人の物語は、
まだ交わっていない。
(第二話へつづく)
(ふざけてはいませんが)
おふざけ歴史×経済のまとめはこちら👇
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