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「あの䞖から芋る目」ずアニミズムから「気配」の回埩を考える

むかしの日本人っおどんなこずを考えおたんだろう。
日本矎術のおもしろさや富士塚の存圚に、そんなこずを思うようになりたした。

この独特の矎意識や䟡倀芳は今の日本人にもあるのだろうか。

浮䞖絵などをみおいるず
迷いのない倧胆さ。

他人の目を意識しないような堂々ずしたおおらかさを感じたす。


人間はなにでできおいくのでしょう。
食べ物、環境、そしお考え方。

昔の日本人は今の日本人ずは「人間がちがっお」いたのではないだろうか。
そんなこずを考えた時に、昔の教育っおどんなだったんだろうずいう考えがめばえ、そこからゞョン䞇次郎に぀ながり、いろいろ思うずころを以前曞いたこずがありたした。

孊生の頃、歎史はただ史実をなぞっおいくだけでした。
珟代人の感芚のたたで昔の人の「人間」をただ、芋おいたのです。

しかし同時に私は戊囜時代などの戊いにおいお、特に「銖を切る」だずか切腹などの「残酷さ」には理解しがたいものがあり、そこたでしなければ「勝利ではない」ずいうような䟡倀芳、思想に぀いおずっず違和感を感じおきたした。

「鎖囜」に぀いおも、圓時の日本人に぀いおおおいに想像をめぐらせたこずがありたす。
䞀床日本の領域を出おしたったら、たずえ日本人であっおも戻っおきたら銖を切るずされた圓時のすさたじい囜の政策に憀りすら感じたした。

たさにそんな囜の考え方に巻き蟌たれた人生であったであろうゞョン䞇次郎。
嵐に巻き蟌たれたがために日本を離れおしたっただけなのに、思いがけない展開に翻匄されおいきたす。
しかし圌は、そんな䞭にあっおも、その政策を逆手にずるかのように奜奇心を謳歌させおいくのです。その勇気ずバむタリティに心からの拍手をおくりたい


最近こんな本を叀本垂でみ぀けたした。

コレっお、私が今たで興味をもっおきたこずが曞かれおいるんじゃないだろうかずハッずしたした。匷く考えおいたりするこずっお、匕き寄せられるように目の前に珟れおくれるものですね。読んでみたらたさに私が考えおみたかったこずにドンピシャでありたした。

そうか。「䜕を考えおいたんだろう」のたえに、そもそも日本人には思想っおものがあったのだろうかっおこずからなんだず、ハッずしたした。

『日本人は思想したか』は、吉本隆明・梅原猛・䞭沢新䞀ずいう立堎の異なる3人が、「日本人に固有の思想はあるのか」をめぐっお察話する本です。西掋哲孊の枠組みでは枬れない、日本独自の思考のあり方を探ろうずしおいたす。

日本人は「思想したのか」
結論から蚀えば、この本は「したしおいない」ずいう単玔な答えではなく、䜓系化された“哲孊”の圢は匱いものの、生掻・身䜓・自然に埋め蟌たれた“思想以前の思考”があるずいう展開になっおいきたす。

思想以前の思考。
その内容にはたさに日本人の特城が浮き圫りになるような手ごたえを感じたした。


この本で私が匷く惹かれたのは吉本氏の蚀葉のなかにあった「あの䞖から芋る芋方ずこの䞖からいた芋おる芋方ず䞡方から芋ないずほんずは解答ができないのを、この䞖からの芋方だけで解答しようずするず、早急になっちゃうんじゃないか」ずいうずころ。
そのこずに察しお䞭沢氏が「自然科孊の自己倉身ずいうのは倖偎からの倫理や思想がそれをおしすすめたんじゃなくお、科孊が自分の原理の内的な远い詰めから、今たでずは違う芖野を獲埗し始めおいる。倉化を起こし始めおいる。それがアフリカ的な芖線や非知の芖線や瞄文的な芖線ずいうものを通しお珟圚の䞖界を芋るずいうこずに぀ながっおいる」ず返したす。

この「あの䞖からみる芋方」には西掋哲孊にあるような「自然を利甚する」ずいう発想ではなく、関係を壊さないための倫理があるのだず論じられ、「人間はけしお自然を支配する䞻人ではない」ずいう「アニミズム」ずいう考え方に繋がっおいきたす。

「あの䞖」は遠くにあるわけではなく、こちら偎に重なっおいる局でもあるのだず考えるこずで、人間は䞖界を䞀方的に芋る存圚ではなくむしろ、芋られおいる存圚でもあるのだずいう感芚に気づかされたす。
同時に、芋えないものに配慮し、 気配ずしお感じる感芚を垞に持぀こずで、誰も芋おいなくおも振る舞いを敎えるようになるずいうこずの倧事さはこんなずころから成り立っおいるのかもしれたせん。


アニミズムは、たさにそんな感芚を蚀葉にしたようなものだず今回感じたした。単に「自然に霊が宿る」ずいう玠朎な信仰ではなく、 䞖界そのものがこちらを感じ、応答しおくるずいう関係なのです。

䟋えば、山に入るずき誰もいなくおも気配を感じるような、森の䞭で、静かに「入らせおもらう」ずいう気持ちになるようなこず。
それは人間が䞖界の䞭心ではないずいう盎感でもありたす。
しかし、珟代そんな感芚はどんどん薄れおいるのではないでしょうか。


本の䞭ではアむヌ民族の熊祭り「むオマンテ」に぀いお取り䞊げる堎面も出おきお、
私はその儀匏や物語に぀いお今回初めお知るこずずなりたした。

むオマンテずいうのは、子熊を単なる動物ではなく「神カムむ」ずしお迎えいれ、瀌儀正しく人間以䞊に倧切に育お送り返すこずで、たたおみやげをもっお人間䞖界に来おもらうず考えたす。

人間ず自然は分離されないからこそ、動物や自然は「資源」ではなく人栌をも぀存圚カムむであり、䞖界は亀換や莈䞎で成り立぀ずいうメッセヌゞ。アむヌ文化に぀いおは䞭沢氏の意芋に孊ぶずころが倚いず感じたした。


熊ず人間の関係を思う時思い出すマタギの䞖界をえがいた宮沢賢治の䜜品を読んだこずも今回思い出したした。


たた、『奇跡のリンゎ』蟲家の朚村秋則氏も思い出されたした。
映画『奇跡のリンゎ』の䞭でこんな堎面があるのです。
䜕幎も䜕幎も倱敗に終わる無蟲薬リンゎ栜培。朚村氏は経枈的圧迫ず近所の䜏民からの冷たい癜い目に耐えられず自殺にたで远い蟌たれおゆくのですが、その時に、あるリンゎの朚がみせおくれた「生きざた」から、雑草や土ずの関係に県をむけ、呜拟いしたす。

それたでは無蟲薬の為に発生する害虫を䞀日䞭取り陀き、朚のたわりにある雑草は栄逊を奪うであろうず考え、きれいに取り払っおきたした。
しかし草がうがうの䞭で元気に生きるリンゎの朚を目の圓たりにし、自然の真実にハッずするのです。

雑草は敵ではないのではないか。
朚村氏は土や埮生物ずの関係を孊び、無蟲薬リンゎ栜培を成功させおいきたす。

たたリンゎの朚たちに䞀本䞀本話しかけたり謝ったりする堎面が印象的でした。
曞籍「すべおは宇宙の采配」の䞭でも氏は曞いおいたす。「蚀葉はだれにでも、たずえ盞手が動物や怍物でも、䌝わるものだず思いたす。これは絶察にそういい切れたす。」

私もよく、スズメや草花に話しかけたす。
そんな様子を芋お、子どもたちにびっくりされたり笑われたりしおきたしたが、話しかけずにはいられないのです。

朚村氏の考え方にもアニミズム的な関係性が感じられ、近代蟲業の論理制埡・効率から倖れおはいたすが、「排陀」ではなく「共存」ぞずいうこずのメッセヌゞが匷く感じられたした。

たた、私のラむフワヌクずしおいる富士塚めぐりにおいおも、
圹小角の䌝承や山岳信仰から「山に入る」こずでそこを異界ずし、神や霊の領域ずする考え方もたた「アニミズム」だったのかず思いたした。そしお山は修行の堎ずなっおいくのです。

富士山に登るこずはか぀お「あの䞖」に半歩螏み入れるこずでした。
皆真っ癜な死装束を着お登ったこずは、葛食北斎の䜜品でその様子をしっかりず芋るこずができたす。
それはたさに「あの䞖からの芋方」そのものだったのではないでしょうか。

葛食北斎「富獄䞉十六景 諞人登山」

そこには生は死ず隣り合わせであるこずや、人間を考えるずいう堎が必然的にあり、自分の意志だけで生きおいるのではないこず、芋えないものに支えられおいるずいうこずを匷く意識するような日垞があったにちがいありたせん。


たた、物語にある「アニミズム」ずしお
この『日本人は思想したか』の衚玙にもなっおいる「竹取物語」なども玹介されおいたす。

日本の昔話には人間ず動怍物、倩女や粟霊などずの関係が圓たり前のように描かれ颚や森が意思を持ったり人間ず異界が亀わる様子が語られたす。

珟代のスタゞオゞブリの䜜る䜜品にもその䞖界は豊かに息づいおおり、このような芋えないものに敬意を払うずころこそに宗教的意味があるずするような独特な「日本らしさ」に魅力を感じる倖囜の人も倚いのではないでしょうか。



では、この「あの䞖からみる目」を意識しおアニミズム的に生きるずいうこずはどんな意味があるのでしょうか。

その感芚は、䞖界を支配するこずでも正しく理解するこずでもなく
関係の䞭で生きるこずであり、正しいか間違っおいるか、たたは有甚か無甚かずいうこずで切り分ける考え方が䞻流である珟代の考え方の匷さを少し静めるような力を感じさせたす。

「関係が保たれおいるか」で考えるずいうこずは排陀が枛るこずや 共存の発想が生たれるこずに぀ながるのではないでしょうか。

山や颚やものずの関係性から「぀ながりを受け取る」こずができるずいうこずは䞖界がこちらを受け取っおいるずいう感芚に結び぀きそこには意倖にも「孀独からの解攟」をも予感させたす。

以前嚘が海倖で暮らした時に「䞀番぀らかったのは孀独」ず蚀っおいたこずを思い出したす。毎日誰かず぀ながり䌚話をしおいるのだけれど孀独を感じるこずはどうしおも「消せなかった」ず、そしお孀独の぀らさずいうのはどんなこずにも勝るのだず本圓に䜕床も私に蚎えかけるように語ったのです。
嚘は理屈ではなく、心に響く孀独の぀らさを身をもっお䜓隓したのです。
あのメッセヌゞは私に倧きな意味を䞎えたのでした。


たた、今たで考えもしなかったこずずしお
「歌」ず思想ずいう発想に驚きたした。
吉本隆明氏は日本の思想の栞ずしお歌短歌・和歌を重芖したす。

なぜ歌なのかずいうず、
論理ではなく感情・身䜓から出おくる個人の内面ず自然が぀ながる衚珟ずしお抜象化されない「そのたたの思い」を歌に詠んだこずから、
吉本氏は
日本人は「論文」ではなく「歌」で思考しおきたず考えたす。

季節や恋を詠い、その自然ずの䞀䜓感ずする和歌的思考は哲孊の圢ではないけれど、䞖界の捉え方そのもの思想だずいう説に、目から鱗の想いがいたしたした。

そしお今回この本で新たな芖点を埗たずころずしおは、
瞄文人ず匥生人に぀いおの芋解もたたその䞀぀ずしおありたす。
この察比は今埌も私個人の思考の䞭で重芁な意味を持぀ような気がしおいたす。

狩猟採集的であり自然ずの共生を重きに眮く生掻から、非支配・非階局的であり感芚的・呪術的なものを瞄文的なものずし、
蟲耕皲䜜が始たるこずで囜家が圢成され暩力がうたれる匥生的な䞖界には生産や管理をたずめるための論理や秩序を必芁ずしたした。

この䞖界芳は珟代においおも十分残されおおり、
衚向きずしおの匥生的思考ず、深局ずしお考えられる瞄文的思考、この瞄文ず匥生の二重構造であるズレを抱えたたた生きる文化ずいうものこそが日本文化の独特さを生むず考えられたす。

この二重構造を考えるこずがたさに「この䞖からの芋方ずあの䞖からの芋方」なのかもしれたせん。
どちらかだけを信じお意識すればいいずか、こちらだけが正しいずいうのではなく、やはりここにも倧いなる宇宙のバランスのようなものがあるのだなず感じたす。


人は科孊の恩恵を様々に䞎えられおきたしたが、忘れかけおいた自然ずの共存にもう䞀床目を向け぀ながりを修埩する時がきおいるのかもしれたせん。関係性に目を向け意識するずいう事は「気配」を回埩させるこずであり、そのこずにより「感受性」が豊かになるず考えられたす。

それはもしかしたら「敏感」になるこずで粟神的な蟛さを䌎うこずもあるかもしれたせん。

しかしそれら回埩が、芞術や子育お人間関係すべおにおいおの圱響をずもなうず考える時、私は「鈍感」でありたくないず考えるのです。

その思いは謙虚さではなく、䞖界ずの適切な距離感を生むための人間の胜力ずしお䞀぀の歊噚をもっおいたい感芚ずもいえたす。

たすたす新しい䞖界がたちあがり、新しい䟡倀芳がうたれ様々な意芋が飛び亀う䞭で、惑わされず、自分に軞をもっおいくにはどうしたらいいのでしょうか。

「あの䞖からの芋方」を改めお意識し、そしおもずもずある自然ずの関係性を取り戻すこずはできるのでしょうか。


この『日本人は思想したか』のあずがきには「ずりあえず、ここたで」ずいうタむトルで䞭沢氏によるあずがきのようなものが蚘されおいたした。
日本人は思想したかずいうよりも、「これからどう思想したらいいか」ずいうこずを吉本氏や梅原氏にお聞きしおみたいずありたした。

私もこの本がただただ読みこなせたずは思っおおらず、おそらく読むたびに発芋があり、自分に察する課題がみ぀かるのだず思っおいたす。

しかし興味は尜きず、この本を出発点ずしおたすたす考えおみたい気持ちを募らせおおりたす。

同時に、自分はどう思うのか、どう倉わっおいこうずしおいるのか
垞にそのこずを問われおいるのだずいう「気配」を忘れおはいけないず思っおいるのです。

いいなず思ったら応揎しよう