甲賀忍者は町役人になれない――政争と専門職の距離感
有能な人材が、なぜか理不尽な異動を受けることがある。
現場から見ると不可解である。
なぜあの人を飛ばすのか。
なぜ一番分かっている人を外すのか。
なぜ成果を出している人ほど、妙な部署に送られるのか。
しかし、組織の上層部は、必ずしも「成果」だけを見ているわけではない。
ときに彼らが見ているのは、能力ではなく、制御可能性である。
1993年、ロシアで起きた十月政変の際、特殊部隊ヴィンペルは議会突入を拒否したとされる。アルファ部隊と同じく、彼らは国家最高レベルの特殊部隊だった。対テロ、潜入、破壊工作、人質救出。普通の警察部隊ではなく、国家の奥の院に属する刃物のような存在である。
だが、その刃物が、政権の命令に従わなかった。
すると政権側から見える景色は変わる。
有能な特殊部隊ではない。
有能だが、命令に従うとは限らない武装集団である。
これは怖い。
敵から見ても怖いが、味方から見ても怖い。
結果としてヴィンペルは内務省の管轄に移され、ヴェガ部隊と改称された。KGB系の軍人としての身分から、民警、つまり警察官に近い立場へ移される。数百人いた隊員のうち、残ったのは一部だけだったという。多くはそれを侮辱と受け取り、部隊を去った。
これは、開発でバリバリやっていた技術者に、突然「来月からライン作業者ね」と言うようなものだ。
ライン作業が悪いのではない。
警察官が悪いのでもない。
問題は、そこである。
本人たちは、その仕事のために訓練され、経験を積み、専門性を磨いてきたわけではない。防振設計で苦労し、疲労限度を調べ、実験を組み、外部の専門家と議論し、現場で通用する知識を積み上げてきた人間に、ある日突然「ネジ締め担当」と言う。
それは配置転換ではなく、専門性への否定として響く。
甲賀の忍者に、「今日から町奉行所の見回り役をやれ」と命じるようなものだ。
もちろん町の見回りも必要な仕事である。
しかし忍者はそのために育てられたわけではない。
では、なぜそんな人事をするのか。
答えは単純で、恐ろしい。
組織には、成果を出すための人事と、権力を安定させるための人事がある。
現場の人間は、たいてい前者の世界で考える。
あの人は詳しい。
あの人がいれば問題が解ける。
あの人は技術を知っている。
だから重要な場所に置くべきだ。
しかし上層部は、別のものを見ることがある。
あの人は影響力が強い。
あの人のところに人が集まる。
あの人はおかしいことをおかしいと言う。
あの人は命令に従う前に、妥当性を考える。
現場から見れば頼もしい。
権力から見れば扱いにくい。
だから飛ばされる。
有能だから残されるのではない。
有能だからこそ、遠ざけられることがある。
これは会社でも起きる。
開発部門に、やたら詳しく、他部署からも相談され、現場から信頼されている技術者がいる。普通に考えれば、その人を大切にするべきである。しかし、その人が上司の方針に簡単には従わず、「それはおかしい」「その設計は危ない」「その計画では量産で詰む」と言うタイプだった場合、評価は割れる。
現場からは救世主。
上司からは不穏分子。
そしてある日、妙な異動が出る。
周囲は言う。
なぜあの人が。
しかし本人は、だいたい分かっている。
これは仕事の評価ではない。
影響力の処理である。
政争からは距離を置きたい。
だが、理不尽なダメージは受けたくない。
専門職の多くは、たぶんこの感覚で生きている。
派閥争いに興味があるわけではない。
出世レースを戦いたいわけでもない。
誰が部長になり、誰が本部長になるかなど、本当はどうでもいい。
ただ、良い設計をしたい。
良い製品を作りたい。
変な事故を防ぎたい。
現場で困らない構造にしたい。
しかし組織の政治は、こちらの無関心を許してくれないことがある。
「私は設計だけやりたいです」は、政治の世界では中立にならない。
味方しない者は、敵かもしれない。
そう見られる瞬間がある。
ヴィンペルも、議会派になりたかったわけではないのかもしれない。
ただ、特殊部隊を国内の政争に使うな、という感覚だったのかもしれない。
だが政権側から見れば違う。
命令を拒否した。
非常時に従わなかった。
信用できない。
ここで、専門職の倫理と権力の論理が衝突する。
専門職は「何が正しいか」を見る。
権力は「誰が従うか」を見る。
この二つは、ときどき決定的に食い違う。
では、専門職はどうすればいいのか。
政争に深入りしない。
これは基本である。
だが、ただ距離を置くだけでは弱い。
政治に参加しないことと、政治的ダメージを受けないことは別である。
必要なのは、防御力である。
自分の専門性を高める。
上司一人だけに価値を握られない。
他部署にも理解者を作る。
社外にも知識のルートを持つ。
「あいつを外すと困る人」が複数いる状態にしておく。
これは出世工作ではない。
専門職が専門職として生き残るための、最低限の防御である。
甲賀忍者なら、大名の跡目争いには口を出さない。
しかし、追放したら情報網が半分消えるくらいの存在ではありたい。
開発者なら、派閥争いには乗らない。
しかし、いなくなれば設計判断の根拠が失われるくらいの仕事はしておきたい。
それでも無傷では済まないことがある。
組織とは、合理性だけで動くものではない。
成果を出すための場所であると同時に、権力を維持するための場所でもある。
だから有能な人が理不尽に飛ばされる。
だから専門家が雑に扱われる。
だから甲賀忍者が町役人にされる。
そして、しばらくして組織は気づく。
あの人がいないと困る。
あの部隊がないと困る。
あの知識が消えると、現場が回らない。
しかしそのとき、忍者はもう山に帰っている。
専門性を軽んじる組織は、短期的には権力を安定させるかもしれない。
だが長期的には、自分の刃を失う。
そして専門職の側もまた、学ばなければならない。
ただ腕がいいだけでは足りない。
ただ正しいだけでも足りない。
政治から距離を置きつつ、政治に壊されない構造を作る必要がある。
政争には加わらない。
しかし、切り捨てるには高すぎる存在になる。
それが、現代の甲賀忍者としての生存戦略なのだと思う。
