【短編小説】星を見る 霜夜の祈り [シロクマ文芸部]
星を見る 霜夜の祈り
星を見る。
冬の霜夜、晴れていれば、男の足は、自ずと露台へと向かい、目は、星空を見つめていた。亡き妻の面影を求めて。
妻は、凍てつく空に煌々と輝く星のような女性だった。
吐く息が、白く凍る。
星の輝く天空は、厳寒のこの地上よりも、さらに冷えるのだろうか。
その冷たい空間を遥かに越えて、星の光は、届く。そうして、幾星霜も、輝き続ける。
冷ややかな孤独のうちに、星々は、全てを抱え続けるのか。それとも、長き歳月のうちに、過ぎ去った過去は、やがて忘却の淵へと消えるのか。
冷たい夜気が、厚い毛織のガウンをも透過し、いまだ胸に開いたままの空ろな穴に、しみていく。胸の奥が、しんと凍え、痛んだ。
苦しかった。けれども、この痛みは、愛した記憶。生ある限り、抱き続ける。幾年月が、過ぎようとも。
あるいは、星のごとく長い時を経たならば、この胸の痛みも、和らぐことがあるのだろうか。
ふいに、視界を、尾を引き流れる光が過ぎった。流星だ。
緩く頭を振る。
人の生は、流星のようなものだ。永劫とも思える間、輝き続ける星のように、長くはない。儚く過ぎていく。
ならば、この思い、記憶もまた、儚いものなのだろうか。愛し合った、その記憶さえも。
身内を、寂寥たる風が吹き抜けたかのように、身体に微かな震えが走った。
そのとき、小さな、まだ舌足らずの声が耳朶を打った。閉ざされた扉を、優しく叩くように。
「父上」
今、この世の中で最もいとおしい声。
従者に伴われて、五、六歳くらいの男の子が、館の中から露台へと出て、男に近付いてくる。
「どうしたんだい。ここは、寒い。風邪をひいてしまうよ」
従者が、申し訳なさそうに頭を下げた。男の子は、言った。
「フィルはわるくない。目がさめたら、父上がいなかったから、父上のところにきたかったの」
自然に、男の顔が綻んだ。
「そうか。ごめんよ」
まだ小さな手を取る。細くて、強く握ったならば、折れてしまいそうだ。けれども、温かい。確かに燃える、命のぬくもり。
星明かりに浮かび上がったその姿は、妻に生き写しだった。星の光をごく細く紡いだような、青みがかった銀の髪。夜空を映す、深い青の瞳。中性的な、整った、愛らしい顔立ち。妻の面影は、天空にあるばかりではない。ここに、己の眼前に、この上もない姿で、遺されている。
幼い息子と、男は、寝室へと戻った。再びともに寝台に横たわると、息子が言った。
「ねえ、父上。父上は、母上がいなくて、さびしい?」
この子に、妻のこと、この子の母親のことは、まだあまり話していない。しかし、幼心にも、父が星空に亡き妻、己の母の面影を見ていることを、感じ取っていたのだろう。
「寂しくないよ。お前がいるから」
「じゃあ、おれ、ずっと父上のそばにいる」
胸の空ろな穴に、小さな、けれども温かな火が点ったかのようだ。息子は、続けた。
「だから、父上。父上も、ずっとそばにいて」
小さな手が、そっと伸ばされた。その手を、しっかりと取る。決して離さぬように。
「もちろんだよ。ずっと一緒にいるよ」
そんな素振りは見せなかったが、本当は、この子にも、母親がいない寂しさが、あったのかもしれない。
亡くなったこの子の母親、最愛の妻。短く、儚かったその命。
しかし、妻は、この子を遺した。
人には、星のように長い時は、与えられない。流星のように、流れ去る。
けれども人は、新しい命を生み、世代を継いでいく。命をつないでいく。思いも、また。受け継がれ、遥かな時を、越えていくだろう。
この子は、妻が遺した、天からの授かりもの。地上に降りた、新たな星。
この子が大人になり、自分の人生を歩んでいけるようになるまで、亡き妻の分も、見守り、支えよう。
自分のそばで、安心したように寝息を立て始めた息子に、天空の星、亡き妻の面影が重なる。静かな、規則正しい呼吸音は、星空の瞬きの奏でる清澄な音色のようだ。
その音に耳を傾けるうちに、いつしか、穏やかな夜の闇が、男の意識を包み込んでいった。
了
今回、シロクマ文芸部さんのお題に参加させていただきました。
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