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AIを使いすぎると、頭も運動不足になるのかもしれない

最近、ふと思うことがあります。

身体は、使わないと動かなくなる。

歩かない日が続くと、少し歩いただけでだるい。

運動をしなくなると、階段がしんどくなる。

久しぶりに身体を動かすと、

「こんなに重かったっけ」

と思うことがあります。

でも、何日か続けて歩いていると、少しずつ身体が慣れてくる。

身体って、

動けるから動くのではなく、動かしているから動ける部分もある。

そんな気がします。

そして最近、

これ、頭も同じなのではないかと思うようになりました。


仕事をしていると、毎日かなり頭を使っています。

何かがおかしいと感じる。

原因を考える。

情報を集める。

仮説を立てる。

優先順位を決める。

誰かの意見と比較する。

決断する。

言葉にする。

相手の反応を見て、また考え直す。

一つひとつは小さなことですが、

一日の中では、こういう処理を何十回、何百回と繰り返しています。

もちろん、これは仕事に限りません。

今日何を食べるか決める。

誰かへの返信を考える。

気になったことを調べる。

会話の中で、自分の考えを言葉にする。

日常の中でも、私たちは思っている以上に頭を動かしています。

ある意味、

毎日の生活そのものが、頭を動かす小さな運動の連続

なのかもしれません。

だから、長い休みのあとや、あまり自分で考えなくていい状態が続いたあとには、

頭が悪くなるというより、

頭の立ち上がりが遅くなる

ことがあるような気がします。

久しぶりに考えようとすると、妙に面倒くさい。

少し複雑なことになると、途中で考えるのをやめたくなる。

以前ならすぐ出てきた言葉が、なかなか出てこない。

身体でいうところの、

「ちょっと歩くのもしんどい」

に近い状態です。


ここまで考えて、少し怖くなりました。

AIを使いすぎても、似たことが起きるのではないか。

ということです。

私自身、AIはかなり使っています。

調査もする。

文章も書く。

資料も作る。

壁打ちもする。

知らない分野を理解する時にも使う。

便利です。

むしろ、もうAIがない仕事環境には戻れないと思います。

ただ、便利だからこそ、

気をつけないといけないこともある。

以前なら、

「これはどういうことだろう」

と思ったら、

まず少し自分で考えていました。

過去の経験と結びつける。

仮説を作る。

違う可能性も考える。

調べる。

それでも分からなければ、人に聞く。

ところが今は、

「これはどういうことだろう」

と思った次の瞬間には、

AIに聞けます。

そして数秒後には、

かなり筋の通った答えが返ってくる。

これは本当に便利です。

でも同時に、

本来自分の頭が動いていたはずの数分間が、なくなっている

とも言えます。


最近、自分でも少し意識することがあります。

何か気になることがあった時、

以前なら頭の中でしばらく転がしていたのに、

気づけばすぐAIに話しかけている。

AIに聞けば、自分一人では思いつかなかった視点も返ってきます。

それによって考えが深まることも、間違いなくあります。

だからAIを使うこと自体が、思考を弱くするわけではない。

むしろ使い方によっては、

自分一人で考えるより、はるかに多く考えることもできる。

ただ一方で、

「自分で一度考える」

という工程を飛ばしてしまうことも増えました。

そこは少し気になります。


しかも厄介なのは、

AIを使えば使うほど、アウトプット自体は良くなることです。

文章は整う。

論点も増える。

抜け漏れも減る。

資料も速く作れる。

知らなかったことも、かなり短時間で理解できる。

だから本人からすると、

「以前より能力が上がっている」

ように感じます。

実際、AIによってできることは確実に増えています。

でも、

外から見える成果物が良くなることと、

自分の頭そのものが以前より動くようになることは、同じではない。

ここは分けて考えた方がいいのかもしれません。

AIが整えてくれた文章や資料を見ていると、

自分まで少し賢くなったような気がすることがあります。

でも、会議や会話の中で突然、

「あなた自身は、どう思いますか」

と聞かれた時には、

AIは代わりに答えてくれません。

その瞬間に、自分の中に考えがあるか。

自分の言葉で話せるか。

そこでは、少し違う力が試されます。

AIを使って質の高い成果物を出し続けているのに、

ある日AIを閉じて、

「では、ここから一人で考えてください」

と言われた瞬間、

思ったより頭が動かない。

そんなことは、十分ありそうです。


たぶん問題は、

AIを使うことではありません。

便利なものは、使えばいい。

むしろ使わないことで失うものも大きいと思います。

問題なのは、

AIに考えてもらうことと、自分が考えなくなることの境目が、少しずつ見えにくくなること

なのではないでしょうか。

身体も同じです。

便利な移動手段はいくらでもある。

それでも、ときどき歩いておかないと、

いざ歩こうとした時にしんどくなる。

頭も、

似ているのかもしれません。


だから最近は、

全部を自力でやる必要はなくても、

自分で考える区間だけは残しておいた方がいい

と思っています。

例えば、

AIに聞く前に、自分なりの仮説を一つ作ってみる。

「自分ならどう答えるか」を少しだけ考えてから聞く。

AIの回答を見たら、一度だけ、

「本当にそうか?」

とツッコミを入れてみる。

重要な判断では、AIの回答を一度閉じて考えてみる。

たまには文章をゼロから書いてみる。

誰かとの会話の中で、その場で自分の言葉を探してみる。

筋トレというほど大げさではなく、

頭の散歩

くらいでいいのだと思います。


AIは、これからもっと便利になります。

考える。

まとめる。

比較する。

調べる。

提案する。

今まで自分の頭でやっていたことのかなりの部分を、代わりにやってくれるようになるでしょう。

それは、とてもありがたいことです。

でも便利になればなるほど、

意識しないと使わなくなる能力も出てくる。

だからこれからは、

「AIを使えるか」だけではなく、

AIを使いながら、自分の頭もちゃんと動かし続けられるか

が意外と大事になるのかもしれません。

身体は、歩かないと歩くのがしんどくなる。

頭も、考えないと考えるのがしんどくなる。

AIがどれだけ遠くまで連れていってくれるようになっても、

ときどきは、自分の頭で歩いておきたい。