見出し画像

『「アイス食べる?」って言いたかったのに、「愛してる?」って言ってしまった夜』

夏の夜だった。東京・荒川区のシェアハウスで暮らしていた頃のこと。
リビングでは、パティシエの彼女がソファに足を伸ばして動画を観ていて、ぼくは共用のキッチンで冷蔵庫を開けていた。

男女混合のこの家は、夜になると少し静かになる。昼間は誰かが料理してたり、音楽が流れてたり、にぎやかなんだけど。でも夜のほうが、なんとなく好きだった。

ハーゲンダッツの抹茶が、ひとつだけ残っていた。なんとなく手が伸びた。



一時期、毎日のようにハーゲンダッツばかり食べてた頃があって、それくらい、アイスのくせに習慣みたいになってた。“ハーゲン”ってあだ名までつけられてたくらい。

彼女も抹茶派だったのを思い出して、何気なく声をかけた。

「アイス食べる?」
――そう言うつもりだった。ただ、それだけのはずだったのに。

口から出たのは、ぜんぜん違う言葉だった。

「……愛してる?」

一瞬、空気が止まった。自分の声が、自分でも他人のものみたいに聞こえた。何言ってんだ、オレ。って顔をしたと思う。
慌てて言いなおそうとしたとき、彼女は、ちょっと驚いたあとで、ふふっと笑った。

茶化すでもなく、照れるでもなく。ほんの少し、年上みたいな顔で。

「……うん」
そう言った。

ちがう、って言おうとして、うまく言葉が出てこなかった。

「ごめん、違う。アイス食べる?って言いたかったんだよ。冷凍庫にハーゲンダッツあってさ。ほら、抹茶のやつ。愛してるとかじゃなくて……いや、その……」

焦るぼくを見ながら、彼女はもう笑ってた。
「うん、どっちも、もらっとく」
そう言って、ハーゲンダッツを手に取った。
蓋を開けて一口食べ、「やっぱ抹茶最強」と呟く。その横顔が、少しだけ大人びて見えた。

だから彼女は、笑ったんだろう。一回り年下のくせに、たまにこっちの気持ちを先回りする。

すべって出た言葉だったけど、たぶん、ずっと言いたかった言葉。
スプーンがカップの底をかすめる音は、告白の続きを代わりにすくいあげてくれた――言葉では届かない感情まで。


夏の夜の湿った風が、まだ言えなかった言葉を運んでいった。

いいなと思ったら応援しよう!

気ままな船乗り|分岐点にいる人の灯台 お問い合わせ、質問、応援などはこちらからもお気軽にどうぞ。

この記事が参加している募集