芋出し画像

顔色をうかがい続けた私が、自分の人生を取り戻すたで

䞡芪のケンカの䞭で芚えた「顔色をうかがう」生き方

私が物心぀いた時から、
䞡芪はい぀もケンカをしおいたした。

父:「俺に口答えするな」

母:「アンタのそういうずころが気に入らない」

口を開けば眵り合いが始たるような、
そんな䞡芪の間に生たれたした。

幌い頃の私は、
ただ黙っお芋おいるしかありたせんでした。

この頃にはすでに、
「他人の顔色をうかがうこず」が、
「圓たり前なこず」になっおいたした。

父芪の口ぐせは、
こうでした。

「俺の蚀うこずを聞けばいいんだ」

「口答えするな」

「じゃ勝手にしろ、俺は知らないからな」

自分の思い通りにならないず、
気がすたないし、
自分の考えが「正しい」ず、
「決め぀け」おいるような人でした。

䞀方、
母芪は、
盎接䜕かを蚀うずいうより、
「䞍機嫌」を利甚しお、
「察する」こずを求めるこずで、
蚀うこずを聞かせようずする人でした。

私がなにか蚀おうものなら、
「吊定」が倍以䞊になっお返っおくるため、
次第に「䜕も蚀わない」ようになりたした。

たずえ、
「こうしおほしい」、
「こうしたい」があったずしおも、
次第に自分から
誰かに䌝えるこずをしなくなっおいったのです。

自分の考えや気持ちを、
「受け止めお」もらえなかったから、
「諊めた」のかもしれたせん。

今思えば、
幌い頃にはすでに、
「他人の顔色をうかがう」こずず、
「自分の蚀いたいこずが蚀えない」こずの、
土台が出来䞊がっおいたのかもしれたせん。


「画家になりたい」ずいう倢を諊めた日

小孊生の頃、
私は絵画教宀に通っおいたした。

絵を描くこずが奜きで、
絵画教宀を通じお出品した䜜品が、
賞を取ったこずもありたした。

圓時は、
「画家になりたい」ずいう倢がありたした。

その倢を、
䞡芪に話したこずもありたした。

ただ、
父芪からは、
こう蚀われたした。

「画家なんか食えないからやめおおけ」

成長したずはいえ、
ただ知識も経隓も乏しく、

䞖の䞭のこずを知らない私に、
反論するだけの力はありたせんでした。

い぀しか、
誰かの「蚀われた通り」にする生き方が、
無意識のうちに染み぀いおいったのです。


「期埅に応えるこず」が自分の䟡倀になっおいった

そうしお、
母芪から蚀われるたたに、
「䞭孊受隓」をしたした。

別に私立に行きたかったわけでも、
勉匷が奜きだったわけでもありたせん。

母芪に、
「ほめられる」から、
「喜んでもらえる」から。

ただそれだけの理由で、
それほど興味もない私立受隓の勉匷を、
頑匵り続けたした。

小孊生の頃には、
「他人の期埅に応える」生き方が、
い぀の間にか身に぀いおいたのです。

ただほめられるだけの勉匷のために、
「遊び」をあたり知らずに育ちたした。

「ポケモン」は知っおいるものの、
「ドラク゚」や「FF」など、
「みんな」が遊んでいるものの「楜しさ」を、
知らないたた時間を過ごしたのです。

「遊び」や「楜しさ」を、
「犠牲」にしおたで勉匷を頑匵っおも、
「䞭孊受隓」はうたくいきたせんでした。

「倱敗」をし、
「挫折」も味わいたした。

どこにも合栌できず、
䞀番悲しんだのは母芪でした。

その姿を芋お、
自分の「倱敗」によっお、
誰かが「悲しむ」ずいう経隓をしたした。

そこから、
誰かを「悲したせない」ために、
盞手の「期埅に応えなければならない」、
ずいう考えが固たったのです。


息を殺しお過ごした小孊6幎生

そんな受隓䞀色で、
殺䌐ずした1幎を過ごしたのが、
「小孊6幎生」の時でした。

クラスは、
「私立受隓組」ず、
「地元の公立進孊組」ずで分かれおいたした。

そしお、
「私立受隓組」の生埒達が、
「地元の公立進孊組」の生埒達を、
「芋䞋す」ようなずころたでありたした。

私も䞀応「私立受隓組」でしたが、
こわくお「芋䞋す」こずなどできたせんでした。

クラスの雰囲気は、
小孊校6幎間の䞭で、
間違いなく「最悪」なものでした。

クラスの䞭の「空気」を読みながら、
ひたすら目立たないように、

誰かに目を぀けられないように、
じっず息を殺しおやり過ごす。

それに、
「たいしたこずない」、
「䜿えない」などずみなされれば、

「芋䞋される」こずのほかに、
「なにをされるかわからない」ずいう恐怖。

こうしたギスギスした雰囲気が、
クラスの䞭にありたした。

私はこの時初めお、
「死にたい」ず考えるようになりたした。

ただ、
芪が悲しむず考えお、
死を遞ぶこずはしたせんでした。


やりたくないこずでも、断れなかった䞭孊時代

䞭孊に入っおからも、
「期埅に応える」生き方が続きたした。

äž­å­Š2幎になり、
ある教垫からこう蚀われたした。

「生埒䌚圹員になっおくれないか」

私は正盎、
「やりたくない」ず思いたした。

ただ、
䜕床も説埗され、
぀いにやるこずにしたした。

誰かの「期埅に応える」こずによっお、
盞手に「喜んでもらえる」こずに、
疑いを持っおいなかったからです。

ただ、
いざ生埒䌚圹員になっおから、
うたくいかないこずがたくさんありたした。

資料をうたく䜜れないだけで、
銬鹿にされ、芋䞋される。

うたくいかなかったこずを話題にされ、
「吊し䞊げ」られるようなこずもありたした。

蚀い返したいこずはあっおも、
䜕も蚀い返すこずができたせんでした。

どうせ無駄なこずだず、
諊めおいたのかもしれたせん。

そんな、
「理䞍尜」や「䞍条理」を感じながらも、
なんずか生埒䌚の圹目を務め終えたした。

自分の䞭では、
「やりきった」こずで、
「自信」になりたした。

ただ、
それは、
「他人の期埅に応える」こずを、
補匷するための「自信」に過ぎなかったのです。

そうやっお、
誰かの「顔色をうかがい」ながら、
「自分の蚀いたいこず」を蚀えず、

「他人の期埅に応える」こずを続けおきたため、
「自信」が育぀こずがなかったのです。


瀟䌚に出おも、自分の本音は抌し殺したたただった

公務員詊隓がうたくいかず、
民間の就職に切り替えお掻動を始めたものの、
ここでもうたくは行きたせんでした。

元々自信がなかったのに、
曞類を送っおも通過せず、
面接でも次に進めないこずが続き、
より自信がなくなっおいきたした。

ようやくなんずか、
実家にも近い䞭小䌁業に就職が決たりたした。

照明噚具の、
販売代理店の䌚瀟に、
営業ずしお採甚されたした。

「やりたいこず」だったわけでもなく、
「入りたい」䌚瀟でもなく、
「内定が最初にもらえた」から。

ただそれだけの理由で入瀟したした。

入瀟しおからも、
䞀向に結果を出せず、
ずっず䜎空飛行が続いおいたした。

わからないこずを教えおもらおうずしおも、
返っおきたのはこんな蚀葉でした。

「自分で考えろ」

「それくらい自分でできるだろ」

「そんなこずもできねぇのかよ」

わからないから聞いおいるのに、
なにも蚀わない、なにも教えない、
「攟眮」が続きたした。

それならず、
自分で考えお、
自分なりにやっおみおも、
うたくいかずに「倱敗」をするず、
こうも蚀われたした。

「なんでもっず早く聞かないの」

「なんで自分1人でやろうずするの」

「1人で勝手にやるなよ」

内心、
こんな「怒り」が湧きたした。

こっちから聞いおも、
教えおくれなかったのはアンタの方じゃないか

たずもに取り合っおくれなかったくせに、
郜合が悪くなったらこっちのせいにしやがっお。

なんでこっちが「悪い」、
みたいに蚀われなきゃならないんだよ

ただ、
こうした「本音」を、
自分で必死に抑え蟌もうずしたした。

こんなこずを蚀っおしたったら、
倧倉なこずになるず考えお、

自分で自分の「本音」を、
抌し殺そうずしたのです。

そんな自分のこずが、
「嫌い」でした。

蚀いたいこずがあるのに、
たずもに蚀えない、蚀い返せない自分。

自分は悪くないはずなのに、
盞手の態床を芋お、
自分を抑え぀けようずする自分。

なにもできない、
なにも圹に立おない、
なにも自信が持おない自分。

そんな、
「䟡倀のない」自分のこずが、
「嫌い」で仕方ありたせんでした。

この頃から、
「生きる意味」がわからなくなりたした。


「このたたでは無理だ」ず糞が切れた日

それから数幎しお、
ようやくお客さんから、
匕き合いをいただけるようになったり、

メヌカヌの担圓者ずも仲良くなったり、
少しず぀軌道に乗り始めたした。

ただ、
「コロナ犍」をきっかけに、
今たでのこずを振り返るこずになりたした。

ちょうど30歳になる時に、
「これから」のこずを考えたした。

毎日21時、22時たで残業しおも、
終わるこずのない仕事。

トップダりンで、
朝什暮改が圓たり前の職堎。

「助け合う」がない空気。

このたた定幎たで、
䜕十幎ず続ける未来を、
私は描くこずができたせんでした。

そしお、
その矢先に、
原因䞍明の高熱が出たした。

時期も時期で、
「コロナ」を疑われたしたが、
「陰性」でした。

この時に、
たるで「腫れ物」扱いされ、
䜓調が悪い䞭でも、
働き続けなければならない状況を、
「おかしい」ず感じおもいたした。

そしおある時、
「糞が切れる」音がした埌に、
急に我に返ったのです。

「具合が悪いのに、
どうしおこんなに必死にならないずいけないの
」

「なんで誰も気にかけおくれないの」

「なんで自分ばっかり身を削り続けなきゃならないの」

次は決たっおいたせんでしたが、
「蟞めたい」こずは明確にわかりたした。


30歳を過ぎお、初めお手にした静かな暮らし

幞いすぐに次の職堎が芋぀かり、
それに合わせお䞀人暮らしも始めたした。

よくホヌムシックになる、
ず蚀われおいたしたが、
私の堎合は逆でした。

䞡芪のグチやケンカを聞かずにすむし、
いきなり話しかけられるこずもない。

自分のペヌスを乱されるこずなく、
静かな時間を過ごすこずができる。

そんな「快適」な暮らしを、
30歳を過ぎおようやく味わうこずができたした。


たた居堎所を倱い、身䜓が動かなくなった

転職しおも、
職堎の雰囲気自䜓は、
倚少はマシくらいで、
あたり倉わりたせんでした。

むしろ、
「疎倖感」を感じる堎面もありたした。

2瀟目は、
「地元」の人達が9割近くで、
話題はい぀も「地元あるある」でした。

「よそ者」の私は、
぀いおいけなかったり、
知らなかったりするため、
「取り残される」ような感芚がありたした。

それに、
次から次ぞず人が入れ替わり、
途䞭から入っおきた人のこずを、

芚えるのをやめたくらい、
激しいものでした。

ある時から、
あたり思うように成瞟が振るわなかった私は、
同じ郚眲の責任者に目を぀けられたした。

「指導」のもずに、
「吊定」をされ続け、
「認められる」こずはありたせんでした。

誰も文句が蚀えず、
むしろ私が圌からの「吊定」を受け止め続ける、
「スケヌプゎヌト」状態になっおいたした。

元々自信がなかった私が、
「吊定」によっお自信を削られ、
さらに自信をなくしおいきたした。

ある朝、
身䜓が動かなくなりたした。

党身が鉛のように重くなり、
どうにもならないだるさを感じたした。

なんずか䌚瀟に䌑みをもらい、
ネットで症状に぀いお調べた埌、
心療内科に行きたした。

そしお、
「適応障害」ず蚺断されたした。

ただ、
䞍思議ず、
あたり驚きたせんでした。

「やっぱりか」

やけに冷静なずころもあり぀぀、
ホッずしたこずを芚えおいたす。

翌日蚺断曞を持っお䌚瀟に行き、
ほどなく「䌑職」になりたした。

これで、
しばらく䌚瀟に行かずにすむこずに぀いおは、
安心したこずを芚えおいたす。


「適応障害」ず、「婚玄砎棄」ずいう倧きな別れ

ただ、
それ以䞊に、
぀らい「別れ」がありたした。

「適応障害」になる前に、
「婚掻」をしたこずがありたした。

「マッチングアプリ」や、
「婚掻パヌティヌ」を経お、
「結婚盞談所」で「パヌトナヌ探し」を
したのです。

幞いご瞁があり、
「結婚」の玄束をした盞手でもありたした。

ただ、
「運呜」は、
私達2人を䞀緒にするこずはなかったのです。

「適応障害」をきっかけに、
「婚玄砎棄」ずなりたした。

圌女から、
電話口で泣きながら、
「別れ」を告げられるこずになり、

圓時の私は、
受け入れるしかありたせんでした。

埌になっお、
「どうしお䞀緒にいおくれなかったんだろう」、
ず考えるこずもありたした。

ただ、
それは圌女なりの、
「最埌の優しさ」だったず、
今では思っおいたす。

「わだかたり」はなく、
「感謝」しおいたす。


初めお「自分」ず向き合った自己理解プログラム

そんな圓時は、
「自己理解プログラム」を
始めた時でもありたした。

たた転職しようず考える䞭で、
自分が「やりたい」こずはなんだろう、
ず考えたからです。

1瀟目に勀めおいた時から、
八朚仁平さんのこずは知っおいたした。

YouTubeも芋おいたし、
転職したいず思っおいたので、
受講するこずにしたした。

・䟡倀芳(倧事なこず)

・埗意(埗意なこず)

・奜き(奜きなこず)

この3぀の芁玠を組み合わせお、
自分の「本圓にやりたいこず」を芋぀ける、
3ヶ月間のコヌチングサヌビスです。

このプログラムを通じお、
自分の「内面」ず向き合うこずになりたした。

自分がやりたいこず。

自分が奜きなこず。

自分がどうしたいか。

いわゆる、
「自分軞」ず呌ばれるものを、
「育おる」機䌚ずなりたした。

たた、
担圓しおいただいたコヌチに、
私の考えや思ったこずを「受け止め」お、
「肯定」しおいただいたこずも、
私にずっおは初めおの経隓でした。

䞡芪や教垫、
䌚瀟の人間関係では、
「受け止め」おもらうこずも、
「肯定」しおもらうこずも、
ほがなかったからです。

将来の倢や進路、
仕事のやり方など、

「自分」を出すこずが認められず、
「誰か」が決めたこずに沿っお、

蚀われた通りにするこずが、
「いいこず」だず教えられおきたからです。

だから、
コヌチからの、
「いいですね」、
ずいう蚀葉が、
ずおも新鮮に思えたのです。

誰かから、
自分のこずを受け止めおもらい、
肯定しおもらえたこずで、
ようやく自分のこずを、
自分で認められるようになったのです。

これが、
私の「自己受容」の始たりでした。


私がカりンセラヌになろうず決めた理由

そしお、
3ヶ月の「自己理解プログラム」を終え、
私は「カりンセラヌ」になろうず決めたした。

それは、
か぀おの私のように、
「自分」のこずを受け止めおもらえずに、
「自信」を持おずにいる人の気持ちを、
「受け止める」存圚になりたい、
ず思ったからです。

他人の顔色をうかがい、
蚀いたいこずを蚀えずに、
誰かの期埅に応えるこずが、
「圓たり前」になっおいたこずで、

「自分」を衚に出すこずができず、
「自分」を抌さえ蟌み、
「自分」のこずが、
わからなくなっおいたからです。

「自分」よりも「他人」を優先しお、
「自分」のこずがわからなくなったからです。

そうやっお、
「他人」に振り回され続け、
「他人」に合わせ続けおきたからです。

だから、
「自分」の䞭に、
「自信」が育぀こずがなかった。

それどころか、
「自分」で自分のこずを「吊定」しお、

そんな「自分」のこずが「嫌い」になる。

私自身が、
そういう「経隓」をしおきたからこそ、
「悩み」を持っおきたからこそ、

䌌た経隓や悩みを持぀人のために、
「力になりたい」ずも思ったのです。


「ここに自分の居堎所はない」ず思い、逃げるこずを遞んだ

「自己理解プログラム」の修了ずずもに、
「䌑職」も終わりを迎えたした。

䌚瀟偎から、
埩職先の説明がありたしたが、
あくたで「䌚瀟郜合」の内容でした。

その時思いたした。

「ここに自分の居堎所はない。」

それ以前に、
「もうここにいたくない」、
ずいう気持ちもありたした。

それは、
「逃げたい」でもありたした。

だから、
「逃げ」たした。

転職先は決たっおいないけど、
「進路」は決たっおいたので、
埩職はせず、「退職」をしたした。


悩むこずを肯定しおくれる堎所で、カりンセリングを孊んだ

それから、
カりンセラヌになるために、
カりンセリングを孊べる堎所を探したした。

芋孊に行ったり、
説明を聞きに行ったりする䞭で、
1぀のスクヌルを遞びたした。

「成長したい、ず願っおいるからこそ悩む」

こういう趣旚のこずを蚀われおいる先生がいる。

「悩む」こずを、
「受け止め」お、
「肯定」する人がいる。

私はここで孊がうず決めたした。

半幎以䞊通っお孊び、
カりンセラヌ資栌取埗のために、
詊隓を受けたした。

詊隓に合栌し、
資栌を取埗するたでは、
比范的順調に進みたした。


独立を遞んだものの、焊りず䞍安で動けなくなった

ただ、
これからどうするかで、
迷いたした。

どこかのカりンセリングルヌムに勀めるか。

アルバむトをしながらカりンセリングをするか。

それずも、
「独立」しおやっおいくか。

安党で確実なのは、
どこかに勀める道です。

ただ、
私の堎合は、
党く食指が動きたせんでした。

採甚されるためには、
履歎曞や職務経歎曞を曞くこずが、
必芁だずわかっおいおも、
曞く気力が起きたせんでした。

ただ、
「自分でやる」こずに぀いおは、
「やる気」が起きたのです。

それは、
「組織」での働き方に、
「限界」を感じおいたからかもしれたせん。

さんざん、
誰かの顔色をうかがい続け、
誰かに合わせ続け、
誰かの期埅に応えようずし続けおきたこずで、
「自分」が「疲匊」したからかもしれたせん。

「組織」に戻るくらいなら、
「独立」を遞ぶ方がただマシ。

そう考えお、
「集客」や「マヌケティング」、
「ビゞネス」などに぀いお、
自分で孊び始めたした。

単玔に、
今たで知らなかったこずを知るこずができるし、新しい知識や孊びが埗られるこずで、
孊ぶこず自䜓は楜しかったです。

ただ、
「焊り」や「䞍安」がありたした。

「やらなきゃ」いけないこずだけが増えおいき、
「どれ」から手を぀けおいいのかわからない。

わからないから、
ただただ足りないず考えお、
さらに孊びだけを増やそうずする。

そしお、
孊びは増える䞀方で、
こう考えお動きはどんどん鈍っおいきたした。

「もっず自信を぀けるために孊ばなきゃ」

「自信が぀いたらやろう」

「できるようになっおから始めよう」

本圓は、
「行動」が必芁なのにもかかわらず、
「䞍安」や「恐怖」から逃れるために、
「孊び」を「蚀い蚳」にしおいたのです。

「孊び」が増えるのに、
「焊り」も䞀緒に増えおいく。

倉わりたいのに倉われない。

倉わっおいるようで、
なにも倉わっおいない。

そんな「焊り」が、
私の䞭に垞にありたした。


noteで発信を始めたこずで、出䌚いが生たれた

それでも、
「カりンセラヌ」になり、
誰かの力になるためには、
たず自分のこずを知っおもらう必芁がある。

そう考えお、
最初はnoteで発信を始めたした。

「カりンセラヌ」を名乗り、
「カりンセリング」をしおいきたい。

ひねりもなにもない、
ストレヌトな想いだけで始めたした。

そうしお発信をしおいるうちに、
ある方からメッセヌゞをいただきたした。

私がこれから、
どんな颚にやっおいきたいのかなどを聞かれ、
これからどうしたらいいかわからないこずも
䌝えたした。

今思えば、
䞍思議なくらい、
玠盎に話をしおいたした。

私はこの時、
行き詰たっおいたした。

自分1人だけの力で、
自分1人だけで、
「なんずかしよう」ずしおいたした。

ただ、
「どうにもならなかった」のです。

ちょうどそんな時に、
声をかけおいただいたのです。

その方ずお話をするこずになり、
今の状況や、
これからやりたいこずなどを話したした。

䞀通り話し終わった埌、
盞手の方からこんな提案がありたした。

「私も先生から教えおいただいたので、
Hiroshiさんも教わっおみおはどうですか
」

正盎、
寝耳に氎でした。

「え、先生に教わる」

「ビゞネスっお、教えおもらえるものなの」

「そもそも、教えおくれる人がいるの」

こんな疑問がわき぀぀、
意倖な答えが返っおきたため、
すぐに返答ができたせんでした。

ただ、
圓時の私は、
「遞択」をしたした。

1人だけではなく、
誰かに教わるずいう遞択です。

そこから、
先生をご玹介いただき、
お話を聞く䞭で、
お䞖話になる「決断」をしたした。

そしお、
今に至りたす。


出䌚いによっお、私の䞖界は倉わった

今の私があるのは、
「出䌚い」のおかげです。

出䌚いをきっかけに、
「䞖界」が倉わりたした。

出䌚う人々も、
自分が身を眮く環境も、
出䌚いの前ずは異なりたす。

人々や環境が倉わったこずで、
自分の考え方や行動も倉わりたした。

今たでは、
悩んでしたい、
なかなか動けないこずがほずんどでした。

ただ、
今では、
もちろん悩みや迷いはあるものの、
比范的すぐに行動に移せるようになりたした。

それは、
教えおくださる先生や、
䞀緒に歩む仲間がいるからです。

新しい孊びが埗られるだけでなく、
焊りや迷いも受け止めおもらえる。

そんな「安心」があるからこそ、
「行動」に移すこずができるのだ、
ず今では思えるようになりたした。

小さな䞀぀の出䌚いが、
倧きな「倉化」をもたらすずいうこずを、
身を持っお感じたした。

今たで、
自分に自信が持おずに、
自分のこずを吊定しお、
自分のこずが嫌いだった私。

そんな私が、
今は「カりンセラヌ」を名乗り、
掻動ができおいる。

それは、
出䌚いによる、
環境の倉化を通じお、
自分の考え方や、
物事の捉え方が倉わったから。

ネガティブ䞀色だった私の䞖界が、
ポゞティブな色も含めた、
圩りの䞖界になったからだずも思っおいたす。


今は、「自由」がある

今は、
「自由」がありたす。

自分が関わりたいず思う人を遞ぶ自由。

自分がやりたいず思うこずをやれる自由。

途䞭で少し䌑みたいず立ち止たれる自由。

こうした、
様々な「自由」があるおかげで、
私は今、自分を倧切にした、
「自分らしい」暮らしができおいたす。


私がダメだったのではなく、ただ知らなかっただけ

か぀お、
他人の顔色をうかがい、
蚀いたいこずを蚀えずに、
誰かの期埅に応えるこずが、
「圓たり前」だったこずが、
「圓たり前」ではなくなりたした。

それは、
私がダメだったからでも、
おかしかったわけでも、

たしお、
悪かったわけでもありたせん。

ただ、
「知らなかった」だけだったのです。

他人の顔色をうかがい過ぎず、
蚀いたいこずも蚀える機䌚があり、
誰かの期埅に過床に応えなくおも、
生きられる䞖界があるこずを、
ただ知らなかっただけのこずなのです。


ひずりで抱え蟌たなくおいいず知った

そういう䞖界は、
どこかに存圚する。

自分が䜏みやすい䞖界に身を眮くためには、
埅っおいるだけだず、
芋぀かる可胜性は少ないのです。

少しず぀でもいいから、
自分からも芋぀けおいく必芁がありたす。

そんな䞭で、
「出䌚い」があるはずです。

その出䌚いの䞭から、
自分の䜏みやすい䞖界ぞ、
導いおくれる人が珟れるかもしれたせん。

導いおくれる誘いを、
受け止められるかどうか。

ここが1぀の分かれ目になるず、
振り返っおみお思いたす。

それに、
出䌚う前の私は、
「孀立」しおいたこずがわかりたした。

「぀ながり」もなく、
「仲間」もいない。

ただ1人だけで、
黙々ず取り組み続けおいたした。

1人だけで、
なんでも党郚こなさなきゃいけない。

むしろ、
1人でこなせないず䞀人前になれない。

そうやっお、
1人で党郚抱え蟌んで、
1人で党郚背負い蟌んで、
぀ぶれかけおいたのです。

あの時、
出䌚いがなければ、
遞択をしなければ、
決断をしなければ、
たた「぀ぶれおいた」はずです。

サラリヌマンの頃のように、
「぀ぶれお」したっお、
たた身動きが取れなくなるずころだったのです。

そう考えるず、
怖くなりたした。

だからこそ、
出䌚いに「感謝」するこずができたした。

あの時、
誘いを受けお、
遞択し、決断をした自分を、
「肯定」するこずも、
今ではできるようになりたした。

それは、
自分の䞭で、
自信が育っおきたからです。

自分のこずを、
「受け止めお」もらえ、
「肯定」しおもらえた経隓を少しず぀重ねお、

自分でも、
自分のこずが受け止められるようになり、
肯定もできるようになっおきたからです。

自信を育おるこずにしおも、
カりンセラヌずしお掻動するにしおも、
1人だけでは難しいのです。

怍物が、
氎や日の光、
肥料が必芁なように、

私達人間もたた、
自分がどこに身を眮くかの「環境」ず、
自分が誰ず䞀緒にいるかの「仲間」が
必芁なのです。

どんなに前半生が、
䞍遇で芜の出ない、
冬のような時だったずしおも、

春がやっおくるこずで、
雪解けを迎え、暖かさを受けながら、
少しず぀芜を出し始める。

そうしお、
やがお成長し、
倧朚ずなっおいくこずで、
自立しながらも、
誰かを支える拠り所にもなる。

そういう生き方ができるこずを、
私は今実感しおいたす。


小さな光でも、発するこずで芋぀けおもらえる

だからこそ、
「諊めなくおよかった」、
ず心底思いたす。

今たで䜕床も、
「死」を遞びそうになりたした。

それでもなんずか螏みずどたり、
ここたで生きおきたした。

決しおきれいでも、
順颚満垆でもありたせんでした。

むしろ、
䞋ばかり芋続けお、
地べたを這い぀くばりながら、
遠回りをし続けおきた人生でした。

それでも、
ようやく少しず぀、
前に進み始めおきた感芚がありたす。

それは、
私が「才胜」があるからではありたせん。

「倩才」だからでもありたせん。

「特別」なわけでもありたせん。

ただ、
「出䌚い」があったからです。

出䌚いがあったのは、
noteで発信をしおいたからです。

だから、
「芋぀けおもらえた」のです。

灯台も、
光を発さなければ、
暗闇の䞭ではわかりたせん。

どんなに埮かな光でも、
どんなに小さな光でもいいから、
自分から発するこずが必芁なのです。

そうすれば、
必ず芋぀けおくれる人がいる。

光のある方ぞ、
導いおくれる人がいる。

それは、
遞ばれた人だけの「特暩」ではありたせん。

誰にでも、
等しく持っおいる「暩利」なのです。

あずはその暩利を、
䜿うかどうかを遞び、決めるだけです。

なによりも、
自分の「やりたいこず」や、
「自分らしく」いられる人生を、
実珟するために。


これから䞀歩螏み出したいあなたぞ

ここたで読んでくださり、
本圓にありがずうございたす。

私のこれたでのこずを曞いおきたしたが、
「特別」なこずはありたせん。

むしろ、
「普通」なこずばかりです。

そんな「普通」な私でも、
今は自分らしく、自由に、
過ごしやすい毎日を送るこずができおいたす。

私がなにより求めおいたものは、
「自由」でした。

だからこそ、
今の環境が私には合っおいたす。

それは、
誰しも求めおいいものだし、
誰しも手にするこずができるはずのものだ
ずも思っおいたす。

もしあなたが、
「自分らしく」や、
「自由」を求めおいるなら、
チャンスは必ずありたす。

あずは、
そのチャンスを぀かむこずを遞び、
チャンスを掻かすず決めるだけです。

そのための「勇気」が必芁なら、
私が力になれるはずです。

なぜなら、
私もか぀お、
「小さな勇気」を持っお、
䞀歩を螏み出したからです。

これから䞀歩螏み出したい。

それでもやりたいこずがある。

このたた終わるのは嫌だ。

そんな「本音」から出る、
あなたの「勇気」を、
私は「応揎」したす。

あなたが、
「勇気」を持っお前に進めるための、
お手䌝いをしたす。

自分らしく、
自由に生きるための第䞀歩を螏み出したいず思ったら、こちらから぀ながっおいただけるずうれしいです。

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