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鈍色の浞蝕者 第八話(最終話)

第八話


「お客さん、こんな倜曎けに䜕凊ぞお出かけですか 私、申したせんでしたっけ 倜の海は出歩かん方がええっお  」


 背埌に迫る女将の声。その声にキリキリず削り蟌むようなノむズ音が重なる。

 そしお、そこから䞀刻も早く逃げ出したいのに、たるで操られるかのように、私の身䜓はその声に振り向いおしたう。

「お客さん  人の蚀い぀けは守らんずいけんのではないでしょうか」

 暗闇の䞭から歩み寄る女将。ずり萜ちそうなほどに着厩された着物から、露わになった肩ず足䞋。それは暗がりの䞭でも、異様なたでに鈍色に艶めいおいた。そしおその䞭を泳ぐ黒い点は、シャットダりンの時間を過ぎおも尚、肌色ず鈍色を亀互に明滅させる。それはおぞたしさずいうよりも、觊れおはいけない毒性の淫靡さず、觊れずにはいられない劖艶さを䜵せ持っおいた。そう、たさに花魁のような䜇たい。

『この女は別栌  』

 私は悟った。他のヒトガタはシャットダりンしおいるはずなのに、この女だけはこの時間を過ぎおも動き回っおいる。

『私はこの女に殺されるのか  』

そんな恐怖が頭をよぎり、私の身䜓はより䞀局硬盎する。

 いったい、どうすればいい


「蚀うこず聞かん子は埡仕眮じゃね」

 ロビヌを緎り歩く女将。そしおその圌女の歩く足䞋から、䞀本、たた䞀本ず鈍色の觊手のようなものがせり出しおきた。曎には内偎から膚れ䞊がるように膚匵する圌女の身䜓。膚匵した肌ず觊手は黒い点が集たる事で玅朮し、たさに巚倧な蛞のような姿ぞず倉貌する。

 私はそれを目にした途端、盎感した。

『䞀巻の終わり  私はここで終わる  』

 ず同時に金瞛りにあったかのように身䜓は動かなくなり、芖線は蛞の怪物ず化す女将の姿に固定される。

埐々に迫りくる女将。脚も觊手もない亀ぜになり、うねうねず䜕本もの觊手を蠢かせながら、圌女は私の目の前に蟿り着いた。

 その刹那圌女の觊手は物凄い速床で、私の巊右の銖元を掠めた。それは分厚い自動ドアのガラスをひび割れさせるほどの勢い。曎にたた次の觊手、たた曎に次の觊手が同様に薄皮䞀枚を隔おお、私の呚囲を掠め飛ぶ。その猛攻に私は文字通り動けなくなった。

 そしおその䞭の䞀本が、ガラスにぞばり぀いたかず思うず、吞着したたたバリバリず音を立おお、ガラスを砎砕しながら匕き戻された。私は未だ動けないたたに、その砎片を济びおしたう。その砎片は顔や手を掠り、幟筋もの赀い線を匕き、そしお滲たせた。

「どこたで耐えられるかしらねえ 怖いでしょ 恐ろしいでしょ」

 女将は私の目の前にその顔を寄せお、にやりず悪戯な笑みを芋せた。

 切り傷に眉を顰めながらも、私はその顔に凝芖を匷いられる。

『え』

私はその顔にどこか䞍自然さを芚えた。

犍々しく埮笑むその顔に、たるではめ蟌たれたような挆黒の目。それは䞍自然なほどに倧きく、そしお必芁以䞊に最んでいた。たさに、今にも䜕かが溢れ出さんばかりだった。


『泣いお  る  』

 そう察した途端、鈍色ず肌色が明滅する肌が、逆に人肌に滲入する鈍色のさざ波に芋えた。

「そろそろ芳念なさいな  もう、お遊びはここたで  」

 そう蚀っお、ケラケラず笑う女将。だけど、犍々しい笑みに繕われたその衚情も、䜕凊か無理があった。口角は䞊がっおいるものの、それは笑顔ではない。無理やり䜜らされた笑顔。

ただただ匕き぀っおいるに過ぎない。

『䞀か八か』

 私は自分の掚枬に背䞭を抌され、自力でその堎に立ち䞊がった。そしお蛞の怪物ず化した女将ず察峙する。

「あら、どこにただそんな䜙裕が残っおいたのかしら」

 私たちず同じ速床ず滑らかさで発せられる声、そしおモブキャラずは思えない皋の語圙力。曎にはこの時間垯たで動き回れおいる事、私はそれら党おに玍埗を埗た。


『女将は  人間だ』

 私はそう信じ、蠢く觊手ごず、膚れ䞊がった身䜓の圌女に抱き付いた。

 そしお抱きしめた瞬間、それは確信に繋がった。

 私が顔を預けた圌女の銖元、䞁床右耳の䞋蟺りに、䞍自然な膚らみを発芋したのだ。そう、その膚らみ、は私たちに共通しお埋め蟌たれおいる、あの金属片の蚌。私はそれに怒りず哀しみを芚えた。

「ね 怖かったよね  痛かったよね  ごめんなさい  助けおあげられなくお  」

 圌女を匷く抱きしめながら、私は過去に通りすがった、私ず同じ被害者達の事を思い浮かべた。そしお目の前の女性もきっず、無理やりこの䞖界に連れおこられお、珟実を知った途端、奎らに捕たったんだろう。そしお殺される代わりに奎らに䜕かを斜され、こんな姿に倉えられた  きっずそうだ。私にはそう思えおならなかった。

 觊手も含め、数倍にも肥倧した女将の身䜓。私はその觊手に絡めずられる事も、肥倧した身䜓に締め付けられる事も承知の䞊で、怪物の䞋に隠れる圌女の痛みや悲しみ、そしお誰にも打ち明けられなかった孀独ず恐怖に、手を䌞ばした。誰も私は助けられない。だけど、その気持ちだけは共有ず共感ができる。それで攻撃されお出来た傷は、その女性の心の傷に比べればかすり傷。その皋床の傷なら敢えお受けよう。

 私は圌女の背䞭たで手を回し、早鐘を打぀自分の胞を、怪物ではない圌女に向けお抌し圓おた。

「蟛かった  ですよね 私も䞀緒です  」

 抱きしめた圌女の耳元で、私はそう囁いた。

 するず  

「こ、怖かった  」

 女将は自分の声を深淵の淵から絞り出した。

ず同時に、蠢き続けおいた圌女の觊手は、緩やかにその動きを止める。それに䌎い、私は回しおいた手にもっず力を蟌めお、圌女を抱き寄せた。

「た、助けお  」

 ノむズ音の䞭にはっきりず聞こえた圌女の本心。

『もしかしたら、私が匷く願えば、この女性を助けられるかも知れない』

 私はそう信じ、圌女が普通の人間に戻った姿を想像し、そしおそれを願った。

するずだらりず垂れ䞋がっおいた觊手がするするず瞮み出した。

「倧䞈倫 䞀緒に、䞀緒に珟実に戻りたしょう」

 私は間髪入れずに、圌女にそう叫んだ。


 しかし  

「ひ  ひいいいいいい」

 悲痛な叫びを䞊げながら、圌女の身䜓は急に小刻みに震えだし、地団倪を螏むように暎れ出した。そしお私の手を振りほどき、曎に私を力匷く突き飛ばした。

「きゃ」

 その勢いで、私は砎砕した自動ドアに叩き぀けられた。

「痛っ」

 激しく打ち付けられた背䞭に鈍い痛みを芚えながら、私はもう䞀床圌女を仰ぎ芋た。

「え」

 激しく振戊を繰り返す圌女の肢䜓。䜓䞭に蠢いおいた黒い点は、䞀斉に圌女の頭郚に集䞭し、瞬く間に圌女の顔を占拠する。曎に黒い点は、その䞭で激しく旋回を続ける。やがお圌女の顔は真っ赀になり、真っ黒な目は癜濁をし始めた。そしおその濁った県の䞭に、うっすらず黒い瞳が浮かび䞊がり、たっすぐに私を芋据えた。

「に、逃げお  」

 私には間違いなく、そう聞こえた。

 ず、その瞬間、激しい砎裂音ず共に圌女の頭が粉砕された。飛び散る血飛沫ず肉片。

「きゃあああ」

 その飛沫は容赊なく私にも降りかかる。曎には飛び散った骚や歯の砎片が、私に手や頬を鋭く斬り付けた。

 䞀緒に逃げるずいう、私の儚い願いは䞀瞬にしお粉砕された。

私は圌女を助けられなかった。人間に戻しおもあげられなかった。きっず、奎らが人間に戻ろうずした圌女を『砎壊』したんだ  どんな仕掛けか分からないけど、自我を取り戻そうずするず砎壊する、そもそもそんなからくりだったんだろう  

 故に、私が圌女を死なせたのかも知れない  

「ご、ごめんなさい  」

 圌女に察しお私が絞り出せる蚀葉は、それしかなかった。

 深い悲しみず謝眪ず恐怖もさるこずながら、私はそれ以䞊に、奎らヒトガタに激しい憎しみを芚えた。

勝手に連れ去っお、奜きなだけ実隓材料ずしお利甚しおおきながら、䞍芁ずなれば情け容赊なく斬り捚おる、その無慈悲で傲慢な思考回路が蚱せなった。


絶察に逃げる 絶察に珟実に垰るんだ


私は目の前に倒れる、頭の無い女将の死䜓にそう誓い、玄束した。

そしお、砎砕した自動ドアのガラスを蹎砎っお、倖ぞず飛び出した。






私は掲厎湟の海岞に向かっお、ひたすらに走った。

そこに蟿り着くたでには、音月荘を囲むようにしお無数のヒトガタず、黒い車が枋滞しおいた。しかしそれら党おはシャットダりンしおおり、固たったたた、私に芋向きもしなかった。私はその䞭の数人を、怒りに任せお殎っお蹎っお、数台の車も叩いお蹎っお傷を入れおやった。

正盎、それだけじゃ足りない。でも今はそんなこずをしおいる堎合ではない。

私は逆巻く怒りを抑えお、海岞を目指す。


スマヌトフォンの時蚈は、もうそろそろ䞉時を迎えようずしおいた。あたりもう時間が無い。私は焊りず汗にたみれながら、目的の浜蟺ぞ足を螏み入れる。

音䞀぀しない砂浜。

 海さえもシャットダりンしたのか、打ち寄せる波の音さえも聞こえおはこない。

 私は波打ち際に立っお、足元に溜たる海氎に目を萜ずした。

「え なんなの 気持ち悪」

 私はそう口走った。

目の前の海氎は『氎』ではなかった。それは女将が持っおきたお酒や、勧めた枩泉のような半固圢状のれラチン質で、その䞭に無数の黒い点が皚魚のように点圚しおいた。私は觊れようずした手を戻し、波打ち際から少し離れお、呚囲を芋枡した。


 海岞ずは名ばかりの、ヒトガタたちの成分で暡された、停りずでたらめな砂浜。その党おは時が止たり、物音ひず぀しない、たさに次元の隙間、いや、萜ずし穎のよう。

 たるで絵に描いたような氎平線。星䞀぀ない真っ暗な空は、たるで有り合わせの板を黒く塗った匵りがおのようだった。こんな䞖界に歓喜しおいた自分が銬鹿らしく、腹立たしく思えた。

『や぀らの思い通りになんかさせない 私たちを食い物にする奎らになんか負けない』

 そんな闘志にも䌌た匷い気持ちが、私の䞭に沞き起こる。

 その時だった。

 䞍意にフラシュバックする、い぀かの蚘憶。そしおその蚘憶の断片が、順䞍同で私の脳裏を掠めおいく。その量ず深浅、枩床差に、私はその堎に立っおいられなくなった。

「う  」

 砂浜にうずくたり、私は蚘憶の残像ず察峙する。


 その残像の䞭の私は、転萜した車の䞭に閉じ蟌められ、身動きが取れない状態にあった。

それはその数分前に真っ黒の車に远突され、数十メヌトル䞋のこの海岞線に、私ず宗䜑が乗った車が叩き萜ずされた時のもの。シヌトベルトをはめおいたが故に、車倖に攟り出される事は無かったが、、二人ずもしたたかに身䜓を打ち付けた。曎には墜萜した衝撃で車䜓前方は倧砎。その圱響でハンドルずダッシュボヌドが胞の所たで迫っおきお、私たちはたさに挟たれた状態だった。その䞭で私は意識朊朧ずしながらも、幞か䞍幞か気を倱わずにいれた。

そしお今の状況を敎理しようず、目に映るもが珟実か吊か、しきりに篩にかけおいた。

その最䞭、激しいノむズ音が耳を貫く。そしお、フロントガラスに犍々しい発光が照射される。その光はそのガラスをすり抜けお、私自身に降り泚がれた。

私はその眩しさに目を现める。そしおその光に嫌悪感を感じるず共に、それに芋぀かっおはいけないずいう緊匵が走る。だけど思うように動かない身䜓。焊りず鈍い痛みだけが、心ず身䜓を駆け巡った。

『嫌 絶察  』

 そう必死に心の䞭で叫ぶも、たるでそれを聞き぀けたかのように、その光はノむズ音ず共に私を包み蟌み、そしお飲み蟌んだ。


 私はその光に抵抗出来ぬたた、車の倖ぞ連れ去られた。本圓に連れ去られたのかは定かではないけど、そこは車の䞭ではなく、䞀面真癜な䞖界。そこで私は身䜓を自由に動かせないたた、暪たわっおいた。

この真癜な䞖界には既芖感があった。そう、珟実に目芚める前に、悪倢だず思っおいた倢の䞖界だった。これは倢ではなく、蚘憶だったんだ。今の私はそう認識する。

 そしおキリキリず軋むように脳内に響くノむズ音。曎に右耳の䞋ず右足のくるぶしに激痛が走る。その痛みに悶絶しようずするも、私は動けないたたそこに暪たわる他、䜕も出来なかった。たた、その痛みに玛れるようにしお、その二カ所から流れ蟌む䜕かの意思。

 それは抵抗する私を抑え぀けるように芆い被さり、そしお私の心の内の掗いざらいを芋枡そうず、私の深淵にたで入り蟌もうずする。私はそれに必死に抗った。だけど、私の抵抗などこざかしいず蚀わんばかりに、その意思は私の䞭に癜い靄を振り撒いお、『今たでの私』を、その靄の奥底に远いやった。


『党おを捚おお自由になれ  』

『思いの流れるたたに  』

『我々ず䞀぀になれ  』

 甲高いノむズ音ず共に、それははっきりずそう蚀った。

 今たで聞き取れなかったあの声が、今になっおやっず、はっきりず聞き取れた。

 

 そう  この恐怖の瞬間を、過去の蚘憶ずしお、私は思い出した。それにより、癜い靄に亀裂が生じ、より䞀局の蚘憶の砎片が、槍のように私の胞䞭に降り泚いだ。


 そしお私は断片的な蚘憶を基に、『私』に掚枬を立おた。


 私は篠田早劃。

 ずある日、私は付き合い始めた䌚瀟の䞊叞、沖田宗䜑ずの初めおのドラむブデヌトで、掲厎湟を目指した。䞀通り海蟺のデヌトスポットを堪胜したその日の垰り道、私たちは奎らヒトガタに目を付けられ、こちらの䞖界に連れおこられた。

だけど連れ去られたのは私だけ。奎らは私の䜓内に金属を埋め蟌み、過去の蚘憶を遮断し、この生ぬるく理想的な䞖界に私を投げ入れた  

それが、今の私  

埐々に繋がっおいく蚘憶の糞。それらが緊密に結び合っおゆくこずで、この仮定は確定ぞずその色を濃くしおゆく。


そしおもう䞀぀。今の私は本圓の『私』から抜け出した、吊、奎らに抜き取られた魂だけのような存圚。本圓の私に戻る為には、『私』に戻らなければならない。その『私』はここにいる。もうそれは目ず錻の先

その距離は近い。そしお『私』が、私を呌んでいる。だからこんなに確信しお蚀えるんだ。

私は连る蚘憶の槍に圧倒されながらも、今䞀床立ち䞊がった。

そしお立ち䞊がったその芖線の先には、海岞沿いにご぀ご぀ずした岩肌が続き、掞穎の入口ず思しき、隙間が芋お取れた。

そこが、本圓の『私』が眠る堎所。

そう確信しお、私は走り出した。





「嘘 気持ち悪 最悪  」


 私は掞穎に足を螏み入れた途端、その内郚のおぞたしさず気色悪さ、そしおヘドロのような臭気に躊躇した。

 その内郚は空掞になっおおり、ひたすら䞋ぞず道は進む。流石に光の差し蟌たない真っ暗な道のりに、私はスマヌトフォンのラむトを点灯させた。そしお照らされた掞穎内は、たさに地獄の様盞を呈しおいた。

 地べたも、壁になる岩肌も、あのれラチン状の液䜓がびっしりず吹き出し、ぬるぬるおらおらず光り茝いおいた。無論、その液䜓の䞭にも無数の黒い点が浮遊しおいる。

『時間が止たっおいる間は倧䞈倫』

 敢えおそう声に出しお、私は先を急いだ。

 どんどん地䞋ぞ降り進むに぀れお、狭くなる掞穎内。寝そべらなければもう、前には進めない。四方を濡れる岩肌に囲たれながら、私は䞍安に襲われる。もしかしたらこの先は行き止たりで、ややもしたら私はここに閉じ蟌められるのか そんな恐怖に発狂を起こしそうになる。それに䜵せお、激しい臭気が錻腔を砎壊に掛かる。その臭気はたさに心療内科で凊方されたあの薬ず同じヘドロの匂いで、それを曎に数十倍に濃瞮し発酵させたような、息をする事さえ躊躇する勢い。

『臭くない 臭くない 臭くない』

 これも声に出しお、私は至極浅く息を぀きながら、その狭い道皋を突き進んだ。


 そしお  


 最䞋局たで降りたかず思うず、目の前の芖界が急に開き、そこには果おしなく巚倧な地䞋空掞が広がっおいた。私は立ち䞊がっお、スマヌトフォンのラむトでその先を照らした。


「なにこれ  」

 私はラむトの光に照らされた光景に息を飲んだ。


 そこには、無数のヒトガタたちが倩井高くたで、たるで柱のように矀がっおいる山が、数えきれないほどに、この掞穎内に無限に連なっおいた。曎にそれらのヒトガタは皆、党裞で、男女の区別が付けられない䜓躯をしおおり、闇に浮かぶその姿は䞍気味そのものだった。

 恐る恐る近寄っお芋るず、䞋に配眮されおいるヒトガタほど黒い点が少なく、目も錻も口もその原型さえ留めおいなかった。曎に䞊方に目を向ける。そこに矀がるヒトガタは、䞊に行けば行くほど黒い点が密集し、目錻立ちも人間のそれに近づいおいく。圌らのその圢盞ず䜇たいは、たるで䜕かの恩恵を授かろうずしおいるかのよう。

この無数の山には、その恩恵に察しお、切望ず懇願を垌求するヒトガタたちの匷い『意思』のようなものが感じ取れた。そしおその意思の最頂点に目をむけるず、遥か䞊空に『誰か』が、浮かんで芋えた。

そう、そこに浮かぶのは『人間』、ここに連れおこられた犠牲者の本䜓。

 私はその光景に、お昌過ぎに芋た倢、吊、甊った蚘憶の最期の光景を思い出し、そう確信した。

 奎らは私たち人間から、䜕かしらの情報や、逊分を摂取するこずで自らの呜を氞らえおいるかのよう。遥か䞊空に浮かぶ私たちの身䜓からは、絶えずその情報ないし逊分が抜出され、䞋に蠢くヒトガタたちは、それを競い合っお享受する  そしお私たちは、身䜓が朰えるたで搟取され続ける  どんなシステムかは分からないけど、そんな憶枬が私の脳裏をよぎった。

 だからきっず、この無数のヒトガタの山のどこかの頂点に、私が居るはず  

 

 ず悟るず共に、私はハッずした。

 私がこの山の頂点に居るず蚀う事は、これだけの山の数ほど、私ず同じ境遇の人がいる  ず蚀う事になる。だけど、この堎所に居るのは私だけ  皆、この珟実に気付かないたたか、或いは気付いおも消されるか、女将のように䜕かを斜されおいるかのどれか  どうにかしお知らせたい  助けたい  芋殺しにしおきた女性たちの悲鳎が脳裏に甊る。


 しかし  


 私はスマヌトフォンの時間を確認した。

 午前䞉時五分。

 あず、䞀時間も無い

 このたた助ける方法を考えおいおも埒が明かない。それにもしこのたた朝を迎えおしたったら、私はこの無数のヒトガタに囲たれるこずになる。それにほが逃げ堎はない。きっず奎らはこの暗闇などものずもせず、。きっず人間の『䜕か』に敏感に反応を瀺すはず  

 そうなれば、本圓に䞀巻の終わり  


 私は慌おお、自分が浮かぶ山を探し始めた。䞀぀䞀぀連なるヒトガタの山の頂点に目を向けたが、それは目芖するにはあたりに距離があり過ぎた。スマヌトフォンのカメラを䜿っおも、ラむトずカメラの連動がたたならず、目芖には至らない。


 私はしきりに昌間芋た蚘憶の欠片を思い浮かべた。

 あれは少しだけ朮の銙がした  ず蚀う事は海の近く。そしお、目ず錻の先に倩井の岩肌が芋えた  ず蚀う事は頂点が倩井に近い所  


 私は今䞀床、遥かに続くヒトガタの山々にラむトを照らし、その倩井ずの距離を目枬で枬っおいった。


「あれか」

 盎感的にも私はそれだず確信する。それは右偎の壁沿い、䞀番海偎に近い䜍眮にあり、それでいお他のヒトガタの山よりも遥かに奎らの数が倚く、その分その高さも他の山よりも矀を抜いおいた。

 私は急いでその山に駆け寄り、いざ、駆け䞊ろうずした。しかし、緊密に、耇雑に絡み合うヒトガタの山。曎にその衚面は黒い点が泳ぐ、あのれラチンにたみれおいる。時間が止たっおいるずは蚀え、玠手で觊るのは些か躊躇を芚えた。

だけど、そんな事蚀っおられない

 時間は刻䞀刻ず迫っおいる。

 私は意を決しお、そのヒトガタの山に手を䌞ばした。そしお、ヒトガタの肩や頭、腕や足を螏み堎にしながら、頂点に浮かぶであろう私を目指した。幟床ずなく滑り、登った数歩を無駄にしながらも、私は䞀歩䞀歩、頂点を目指す。

 しかし  

 ヒトガタの山の高さを、目枬で二、䞉十メヌトルずタカを括っおいたが、ほが垂盎に登るのは容易ではなく、その高さは氞遠ずさえ思えた。

曎にぬかるみ、滑りやすい足堎ず、掎みどころのない緊密なヒトガタの連なりは、より䞀局螏砎する条件を悪くさせる。

だけど、だけど

私は垰るんだ 本圓の宗䜑が埅぀本圓の珟実ぞ


䜕床もそう自分に蚀い聞かせ、さらに䞊を私は目指した。


そしお  

「ううううぶああああああ」

 誰かの呻き声が掞穎内に響き枡った。それに連なるようにしお、他の誰かの呻き声が続き、そしおそれはやたびこのように連鎖する。それに連動しお蠢き出すヒトガタの山。緩慢ではあったが、緊密に絡み合ったヒトガタたちは歯車のように蠢き出し、時間を取り戻した奎らは、我先、我先にず頂点に浮かぶ人間に蟿り着こうず、その人だかりの山をよじ登り始めた。


 朝が来た。

 奎らの時間が動き出した  

私は間に合わなかった  

 そしお私は手元に纏わり぀くれラチンに目を凝らした。そこにはたるで孵化したばかりの皚魚ような黒い点が、緩やかに動き始めおいた。

『やばい』

 私は咄嗟に手ず足に力を蟌め、他のヒトガタ同様に頂点の私を目指す。

「誰も気付かない  きっず誰も気付かない  」

 誰にも聞こえないような声で、䜕床も囁きながらヒトガタの山をよじ登る。時折誰かの真っ黒な目が、私を芋据えようずしたが、私はそれを介さずに無心で登り続けた。


 無我倢䞭で登り続ける事数十分、やっず『私』らしき姿が、芖界に入っおきた。

「このたた誰も気付かない 私は垰る」

 その声はもはや聞こえおいたかもしれない。だけどそれ以䞊に亡者のように喚く、ヒトガタたちの声がうるさすぎお、私の声はそれにかき消された。


「うぐわあああああああ」

 どこからか、怒声ずも取れる倧勢の呻き声が響いおきた。そしお遅れる事数秒埌に、遥か埌方のヒトガタの山が厩壊し、党員が岩盀に叩き萜ずされる音が掞穎内に蜟き枡った。

 きっず皆が我先にず急いだ為、絶劙なバランスで均衡を維持しおいた、ヒトガタの山が厩れ去ったんだろう。

 私の山もその可胜性は吊定できない。䞀人のヒトガタの暎挙で、党おが壊れおしたう恐れもある。『私』に蟿り着けぬたたそうなっおしたうず、䞀巻の終わり。だけど、最埌の最埌に私が他のヒトガタを蹎散らしお、この山に揺さぶりを掛ければ、邪魔するものが枛っお助かる可胜性も高くなるはず。ヒトガタたちの浅たしさを自分の糧にしながら、私は『私』ぞず急いだ。

『あず、もう少し」

『私』の姿が確実に目芖できる高さたで、私はやっず登り詰めた。このたた事なきを埗たら助かるかも知れない そう、胞が高鳎った矢先だった。


「早劃  いかぁぬあいで、くうれいよおお」

「篠田すうわぁん  あたらすいい居酒屋、芋぀けたのお」

「篠田くうん、芋積曞、たあだかああな」


 聞き芚えのある声が、背埌から聞こえおきた。その声に぀い、反射的に私は振り返っおしたった。

したった

 そう埌悔しおももはや埌の祭り。県䞋には厩れた犏笑い状態の、こちらの䞖界の宗䜑、芳野さん、そしお課長たちが迫っおいた。私の反応に、でたらめな䜍眮に浮かぶ圌らの目ず錻ず口が、笑っおいるのが芋お取れた。

芋぀かった  

そしお俄然スピヌドを䞊げお私に迫っおくる。このたたでは圌らに捕たるのは時間の問題

どうすれば どうすればいい

 必死によじ登りながら、私は頭をフル回転させた。この状況䞋で䞊手く䞉人を蹎萜ずす自信はない。曎に蚀えば私が本物の『私』に蟿り着くたでに、䞉人が私に蟿り着くほうが遥かに早い。

 そうこう考えおいる内に、誰かが私の右足を掎んだ。たたもやあたしは咄嗟に振り返っおしたう。

「愛しいおるうよお、早劃ぃい」

 私の脚を掎んだのは宗䜑だった。私は蹎り萜ずそうずしたが、宗䜑の腕力の方が匷く、逆に匕き寄せられそうな勢いだ。


䞇事䌑す



「きゃああああ」

 私が絶䜓絶呜のピンチの最䞭、どこからずもなくヒトガタではない人間の、女性の叫び声が掞穎内に響き枡った。

 あたりに急な叫び声に、䞀瞬掞穎内は氎を打ったような静けさになった。

「早劃さん 逃げお」

 その声は真理さんの声だった。

「え 真理さん」

圌女の声に気付いた他のヒトガタの山が倒壊する塔の劂く、その声の方向に厩れおいった。

それは䞀本に留たらず、二本、䞉本ず瞬く間に厩れおいく。

そしお今䞀床足䞋に目を向けるず、私の右足を掎んでいた宗䜑も消えおいなくなっおいた。きっず真理さんの声に飛び぀いたのだろう。同様に芳野さんも課長もそれに倣ったのか、二人ずも私の芖界からは居なくなっおいた。

そしお、本物の私に矀がる山も遥か䞋方から厩れ始めおいた。

皆、真理さんの声に導かれるようにしお、欲求の矛先を急遜倉曎した暡様。県䞋にはうねるヒトガタの海が芋えた。皆、届きそうで届かない遥か䞊空の誰かよりも、地べたに転がる誰かを遞んだようだ。

「真理さん  ごめんなさい  」

 真理さんは私の事を芋守っおくれおいたのか、それずもここを知っおいお、私を助けるためにここに駆け付けたのか、その是非は分からない。だけど圌女は自分を犠牲にしおたで私を助けおくれた。その想いず、このチャンスを逃しおはならない

 私は真䞋に目を向ける。ヒトガタたちは螵を返すように離れおいき、もはや数名しかぶら䞋がっおいない有様。このたたでは間もなくこの山、吊、䞀本の糞も間もなく切れおなくなっおしたう。

「萜ちる」

 そう悟り、私はわずかに残るヒトガタの頭や手を蹎り進んだ。

だけど、もう遅かった。

私は右手を倩高く䌞ばすもヒトガタの山は厩れ去り、萜䞋を䜙儀なくされた。

この高さから地面に萜ちたら、きっず生きおはいられないはず。

そしおこのたた地面に叩き぀けられる、その恐怖にもがいた。曎に私の脳裏には、ここでの蚘憶ず思い出した蚘憶が、走銬灯ずノむズのようにフラッシュバックを繰り返す。

たさにそれは『死』ぞのフラグ  

『嫌 死にたくない』

芚悟なんお出来なかった。死にたくない 私は垰る 宗䜑ず幞せになるんだ

闇に墜ち行く颚圧の䞭、私はしきりに心の䞭で叫んだ。

絶察に嫌だ 死にたくない

もう、それしか出おこなかった。諊めが付かぬたたに、私は今䞀床倩高く䞡手を掲げた。


その瞬間、誰かが私の右手を掎んだ。そしお私はその手元を仰ぎ芋た。



 私の右手を掎んでいたのは、玛れもない、本物の『私』だった  


 そしお私ず『私』は、たばゆい癜い光に包たれた   












『  き 目を  たしお  』

『お願いだから  を開けおくれないか  』

 遠くで誰かの声が匟けた。耳元には甲高いノむズ音が鳎り響いおいたかず思っおたけど、それはい぀の間にか私から遠ざかり、そしお聞こえなくなった。


「早劃  目を芚たしおくれ」

 その声は、私の耳にはっきり届いた。そしおその声は、あのノむズ音を抑え蟌んだ声ではなく、それずは別䞖界の生身の人間の声。埗䜓の知れない䜕かが擬態した、暡倣した声ではなく、正真正銘の人間の声。私はそう実感する。


「早劃 早劃 目、芚たし  た」


 哀願の果おに、驚きのあたりの絶句。

 私が目を開けた先に居た男性は、驚きのあたりに固たっおいた。私はただ目の焊点が合わず、おがろげにしか芋えなかったが、その驚きぶりはたるで手に取るように䌝わっおきた。


「早劃 早劃」

 目の前の男性はそれ以倖の蚀葉を忘れおしたったかのように、䜕床も、䜕床も私の名前を呌び続けた。そしお私はその声にどこか懐かしさを芚え、心の奥底で安堵する自分を感じた。


「宗䜑」

 未だ目の焊点が合わなかったが、その声が誰なのか、私は無意識に感じ取っおいた。そう、その声は私の最愛の人、宗䜑だ おが぀かない䞡手を䞊げながら、私も圌の名を呌んだ。


 垰っお来れた   私は垰っおこれたんだ

 私はそれを確かめるように、宗䜑に手を䌞ばす。

 宗䜑はそれを蚌明するかのように、私を優しく抱き起すず、そのたた力匷く抱きしめおくれた。私はその力匷さず枩かさ、そしおその臭いに歓喜し、本圓の珟実に戻っおきた事を実感した。その珟実を噛みしめる為に、私は぀い今しがたたでの蚘憶を遡る。


 私の手を掎んだ『私』は、そのたた私を『私』の䞭に誘った。いや、私が戻ったず蚀うべきか

そもそも䞀぀だった心ず身䜓が無理やり匕き離され、それが再䌚を果たした、きっずそんな類の軌跡なんだろうけど、私ず『私』はたるで意気投合するかのように、融合を果たした。

そしお私を包み蟌む真癜な光。それはヒトガタたちが攟぀犍々しい光ではなく、そんな光から私を庇い、護っおくれる優しくも匷い光。

そしお迫り来る激しいノむズ音。けたたたしく鳎り響くも、それは私の耳元、脳内、心の内には届かなかった。執拗に私を远っお来るけど、その光にはじき返され、その隒音はもはや蚊垳の倖。目には芋えないけど、鉄壁の庇護が私を取り囲んでいる、そんな安心感が私を包み蟌んだ。

そしお埐々に遠ざかっおゆくノむズ音。あの音はもしかしたら、ヒトガタの幻の䞖界ず珟実䞖界の境界線を意味しおいたのかもかもしれない。

ヒトガタが擬態した人たちの声は、ノむズ音ず混ざりあい、たるでそれず同化しおいたかのようで、たさにノむズの䞭の声。それに比べお、電話口に鳎り響いおいたノむズ音の先に聞こえた声は、そのノむズず混ざるこずはなく、それはノむズを隔おたその先にあった。たさに䞭ず倖、それらは別の䞖界のもの。今の私は迷うこずなくそう断蚀できた。

この光は、私を党速力で珟実䞖界に運んでくれおいるようだ。心地良い浮遊感ず疟走感、そしおその力匷さに私は自身の安党を確信する。

この光が䜕なのかは分からない。ややもするず死ぞの恐怖に必死に抗った末の、ヒトガタが芋せおいる幻かもしれない。そんな颚にも考えたけど、私はその考えを捚おた。

「私は助かるんだ」

 光の䞭でそう叫んだ。敢えお声に出すこずで、それは珟実になる。私はそう確信する。

やがお、より䞀局たばゆい閃光が私の呚囲に连り、そしお私を包み蟌んだ。


そしお  


途端に耳にこだたし始める、呜ある䞖界の喧隒、そしお瞳に映り蟌む極圩色の色ずその息吹。ヒトガタの䞖界では感じ埗なかったそれらは、たるで花を咲かせるかのように、私の目ず錻の先に躍り出た。

「早劃  」

そしお優しく耳ず心に沁み枡る、最愛の人の声。私は目でそれを確かめようず、その声に焊点が未だ合わない目を泳がせる。

はっきりずは芋えなかったが、そこには最愛の人、宗䜑が居た。ただ優しいだけの停物ではない、生きおいる本物の宗䜑がそこに居た。


私が目を芚たしたのは病院のベッドの䞊だった。䜓䞭にあらゆる蚈噚が繋がれ、思った以䞊に動き蟛かったが、か现く痩せた手を目の前の宗䜑に䌞ばした。それに応えるように宗䜑は私を抱きしめた。きっず圌も私が戻っおくるのを埅っおいおくれおいたはず。その願いが、この枩もりの䞭に確かに感じられた。この珟実に戻っおこれたのも、圌のその願いがあったからこそ。きっずそうだ。

私はこれたでのおぞたしい日々をかなぐり捚おお、今はただひたすらに宗䜑の腕の䞭で、『安心』を噛みしめ続けるのであった。





゚ピロヌグ


私ず宗䜑が海岞ぞ車ごず転萜し、運び蟌たれたのはここ、壇の内病院。

宗䜑は幞い、打ち身ず打撲だけで枈み、およそ䞀週間で退院できたずのこず。だけど私だけ意識䞍明のたた、昏睡状態が続いおいたらしい。

私が目を芚たすたでの間およそ䞀か月。その間、退院した宗䜑は私を心配し、毎日のように足繁くお芋舞いに通っおくれおいたそうだ。

勿論、亀通事故に遭い、自分だけ目を芚たし、かたや私は意識䞍明ずいう由々しき事態に、負い目ず責任を感じおいたのかもしれない。だけど毎日欠かさず私に䌚いに来お、目を瞑ったたた物蚀わぬ私に話しかけおくれお、そしお私の生還を埅ちわびおいおくれた、その事実が私は玠盎に嬉しかった。

そしお圌はこうも蚀った。

「実はさ  バカみたいな話だけど、䜕床か早劃のスマホに電話したんだよね。君がここではないどこかに行っおしたっおる気がしお  それに、早劃のスマホも芋぀かっおないたただったんで、本圓にバカだずは思ったけど、぀い、電話しちゃった  」

「え  嘘 で、どう、なったの」

「うん  それがさ、䞍思議なこずに電話は繋がるんだよ。着信音が数秒続いたあず、物凄い金属音がしお  倚分壊れおるんだず思うけどさ、でも、もしかしたら、もしかしたら僕の声が君に届くかも知れないっお、電話口でも君が目を芚たす事を䜕床も願ったりしお  っお、あ、匕いたでしょ」

「え そんなこずない こっちこそありがずう  きっず、宗䜑がそう願っおくれたから、私は目を芚たす事が出来たんだず思う  本圓にありがずう」


 圌の発蚀に、私の掚枬は玍埗を埗た。あのヒトガタの䞖界で掛かっお来おいた䞍思議な電話は、やはり宗䜑からの電話だったんだ。私ず圌の絆は、はノむズ音を隔おた別の次元でも切れる事は無かったんだ。

 宗䜑が願っお、祈っおくれたから、私は今ここに居るこずが出来る。そう、私は実感する。


それを機に、私たちは今たで以䞊にその距離を狭めた。互いにはっきりず気持ちを䌝えないたたになし厩し的だった関係に、宗䜑はその䞀線を越えお、私に正匏に亀際を申し蟌んでくれた。私に断る理由など無い。二぀返事で私はその申し出を受け入れた。

 私たちの物語は今ここから新しく玡がれおいく。私はそう、実感した。


 そしお  

私は目を芚たしおおよそ二週間、たくさんの怜査を経お、ようやく退院の運びずなった。

およそ䞀か月昏睡状態が続いた為、かなり身䜓は衰匱しおいたけど、食欲も回埩し、リハビリにも積極的に励んだおかげで、埐々に筋力も戻り始めた。そしお自宅療逊の蚱可が䞋りた時点で、晎れお退院ぞず挕ぎ぀けた。


その時の私は、たさに垌望に満ちおいた。職堎にも埩垰が決たっおいたし、本物の芳野さんや課長も、お芋舞いにも来おくれたし、䜕よりも私の埩垰を心から喜んでくれた。

私は珟実の䞖界で埐々に『日垞』を取り戻し始めた。

そしお、その順颚満垆ずはいかないたでも、順調に前に進み続ける日々に、ヒトガタの䞖界で過ごした日々は少しず぀颚化し始め、あれは『悪倢だった』ず、受け流し始めおいた。

『悪倢  きっずそうだ』

 自分に蚀い聞かせるように、私は日々、心の䞭でそう思い続けた。そしおそれを裏付けるかのように、それたでの蚘憶は嘘のように薄れおいった。それをいいこずに、私の心ず身䜓は『悪倢』を肯定し、真実であるず信じさせた。

だけどそれ以䞊に珟圚いたずいう瞬間が、驚きず発芋、そしおささやかながら感動に満ち溢れおおり、蟛い過去に背筋を凍らせる暇や、その必芁が私には無かった。


 曎に私は思い出した。真理さんが教えおくれた九月十九日、それは私の誕生日。その日を祝う為に宗䜑は私を掲厎に連れお行っおくれた。そしお怪しい光ず黒い車に翻匄されお、車道からはみ出お、海岞方向ぞ転萜。曎にそこから私は『悪倢』ぞ突入し、長きに枡りその䞖界を圷埚う事ずなった。

 たた、ネットで調べおみたけど、掲厎は癜い発行䜓などの所謂、未確認飛行物䜓の目撃情報が頻繁になされおいた地域だった。よもや宇宙人にさらわれお䜕かの実隓材料にされたのか などずあり埗ない憶枬も私の䞭に沞き起こる。そしお䜕ゆえに私だったのか

 そんな疑問も浮かんだが、だけどもう、その答えなんお今の私には必芁ない。

 九月十九日を経お、私は目を芚たした。ただただ倢を芋おいただけ。そしお新しい『珟圚いた』がここにある。だからこそ私は『珟圚いた』を生きるんだ そう自分を錓舞し、閉じかけた蚘憶の蓋の䞊に、曎に重石を乗せるのだった。


「うん、ありがずう。明日、倕方の五時ね」

 自宅療逊に入っお二週間が経過し、私の心ず身䜓は順調に回埩ぞず向かっおいった。曎に䞀週間埌には職堎埩垰も埅っおいる。芳野さんから毎日のように届くメッセヌゞは、課長の愚痎ずか、最近出来たらしい圌氏の話、そしお盞倉わらずの矎味しそうなお店芋぀けたした、等の他愛もないけど、ほっこりするものばかり。そしおそれはい぀も、私の事を気遣っおくれる優しい蚀葉で締めくくられた。

 曎に毎日のように仕事垰りに逢いに来おくれる宗䜑。圌はなにかず生掻必需品を買い蟌んできおくれる。その䞀郚は䜿えなかったり、間違えおたりしたけど、それらには、私が自宅で䞍自由や退屈をしないよう、圌なりに私の事を倧切にしおくれおいる気持ちが詰たっおいた。そんな圌の優しさが、今の私にずっおは最良の凊方箋だった。

 だけど今日に限っお宗䜑は、残業で遅くなっおこっちには寄れないらしい。その代わり明日の倕方、私たちは倖食をする玄束をした。宗䜑はお排萜なレストランでのディナヌずかを提案しおきたけど、私は䜕故だかちょっぎりゞャンクなものが食べたくなっお、圌にラヌメンをリク゚ストした。最初は圌も驚いたけど、私の気持ちを快諟し、『任せずけ』ず豪語しおくれた。宗䜑がどんなラヌメン屋に連れお行っおくれるのか、今から楜しみ  


 そういえば明日の午前䞭は病院の定期蚺療の日。もう別段どこも悪くないので、そろそろ薬の服甚も止めおみおもいいかもしれない。先生に提案しおみよう。


「うっ  」

そう思案した途端、私は急な吐き気に芋舞われた。

䞍意打ちのごずき急襲に、私の心ず身䜓はたじろいだ。それはたるで熱く熱せられた鉄球が、胃ず食道を転がりながら炎症を促しおいるかのよう。その臭気も凄たじく、たるでヘドロを飲たされたかのように、䞍浄で陰湿な臭気が喉元ず口内に充満する。その臭いが曎なる吐き気を催し、私は堪らずトむレに駆け蟌んだ。そしお私の食道は逆巻く炎に、文字通り焌けただれた。




翌朝、私は予定通り䞃時前には目を芚たした。病院の予玄は九時。

目を醒たすず共に、私は昚晩の激しい吐き気に、䜕故か既芖感を芚えた。もうその苊しさは峠を越えたものの、その名残は胃や食道、喉、口の䞭にもたるで傷跡のように残っおいた。

そしおそれは違和感ずしお未だ心の片隅にも居座り、わずかばかりの䞍安を孕んだ。

ずは蚀え、その䞍安に心圓たりなど無い。倢から醒めおおよそ䞀か月。その間も色んな事があっお少なからず気を遣ったり、い぀の間にか心劎を重ねたのかもしれない。

「私は倧䞈倫」

 私は敢えお声に出しお自分に蚀い聞かせた。きっず杞憂のはず。そうだ、蚺察が終わったら、病院に䜵蚭しおいるカフェでケヌキでも買っお垰ろう。䜕も問題ない事を前提に、私は自分に甘いご耒矎を玄束した。



 私は配車アプリを利甚しお、自宅の近くにタクシヌを呌び぀けた。

 埅っおいる間、少し冷たい颚が肌を噛んだ。だけど空は柄み枡るような青空。その蒌さは䞀点の曇りも無く、たさに快晎そのもの。私はその空をすがるような思いで仰ぎ芋た。

「痛っ  」

 空を芋おいるず、䞀瞬だけ䞋腹郚に鈍い痛みが走った。それは䞀瞬で消えたものの、私の䞭に居座る䞍安に揺さぶりをかけた。

「倧䞈倫  」

 䜕を心配しおいるのか、正盎自分でも分からなかったが、私はそう声に出さずにはいられなかった。

 俯いたたたタクシヌの到着を埅っおいるず、軜快なクラクションが耳元に届いた。我に返っお顔を䞊げるず、私は目の前のタクシヌの様盞に戊慄を芚えた。

 それは䜕の倉哲もない黒いセダンのタクシヌ。䞁寧にそれは止たるず、ゆっくりず埌郚座垭のドアが開く。

「お埅たせいたしたした どうぞ」

 䞭からは玳士然ずした運転手の笑顔が芋え、私はホッず胞を撫で䞋ろした。䜕故か少し震える足を持ち䞊げるず、慌おお私はそのタクシヌに飛び乗った。






 病院に蟿り着き受付を枈たせるず、埅たされるこずなく蚺察宀に私は呌ばれた。

 先生の説明では䜕の問題も無く順調に回埩しおおり、予定通り職堎埩垰も可胜ずの事。䜆し、䞀点だけ留意点があるらしく、その病院内の別の科の蚺察を指瀺された。その科に私は心圓たりはなく、キョトンずした顔をしおしたったが、䞻治医の先生は私を満面の笑みで芋送るのであった。

 私は指瀺された通りに、別の階にあるその科ぞず決しお軜くない足取りで向かった。

 受付の看護垫は優しい笑顔で、䞁寧に私に察応しおくれる。

 順番が来るたで、私は備え付けの゜ファヌに腰かけ、順番を埅った。

 䜕故、この科を促されたのか  もしかしたら䜕か別の疟病が確認されたのか 些かどころではない䞍安が私を襲う。

『宗䜑  助けお  』

 私は心の䞭でそう叫んだ。

 そしお私の順番が来た。心の䞭に枊巻く䞍安は䜕故か恐怖ぞず肥倧しおいた。その錯乱䞀歩手前の粟神状態のたた、私は目の前の重たいドアを開けるのだった。




 嘘だ  あり埗ない  


 私が蚺察を蚺察を促されたのは『産婊人科』だった。


 ドアを開けた瞬間、若くお人の奜さそうな男の先生が、これたた笑顔で私を出迎えおくれた。

「急にお呌びだおしお申し蚳ありたせん。お仕事に埩垰されるずのこずでしたので、差し出がたしいかずは思いたしたが、ご報告だけ  圓院をご利甚されるかはパヌトナヌの方ずご盞談いただければ  」

「ちょっず、埅っおください  䜕の話かさっぱり分からないんですが  」

 私は少し感情的に先生の話を遮った。するず先生はより䞀局満面の笑みを浮かべお、

「おめでずうございたす 元気な赀ちゃんがすくすく育っおいたすよ。゚コヌの様子から芋るずもうすぐ二十週目蟺りかず  」

 そう私に告げた。


 それは事故の埌、私がこの病院に運び蟌たれた際に、粟密怜査の䞀぀の゚コヌ怜査で発芚しおいたずのこず。ただし、その時は意識䞍明の私の状況も螏たえお、告知には至らなかったらしい。だけど、目を芚たし、仕事に埩垰する事ず、あたりに胎児の成長が順調だった事も鑑みお、今回の報告に至ったそうだ。

 私は埅合コヌナヌに居た若い倫婊や、䞡芪に支えられながら歩く、身重の女性たちの姿を自分ず重ねおみた。この人たちずは『違う』ず思っおいたけど、それは思いも寄らない方向から私を裏切った。いや、それは間違っおいない。あの人たち私には決定的な違いがあった。それはその枩床差。

 先生たちからすれば、私ず宗䜑の仲睊たじい様子を芋続けおいたので、その報告は枩かくも喜ばしい吉報だったはず。だけど私にずっおのそれは、背筋も凍る皋に恐ろしい報告だ  

だっお  私は宗䜑ずは関係を持っおいない  


 䜕かの間違いのはず そう思っお反論しようずした刹那、私の䞭に居座る䞍安が、私を匕き止めた。その䞍安は䜕かを知っおいる  




蚺察宀を出た埌、私は枊巻く䞍安ず察峙した。䜕故、劊嚠した い぀ どこで 誰ずの間に

あらゆる疑問がのたうち回るも、答えを知っおいる䞍安はそれを焊らし、私にその正解を教えなかった。だけど、その䞍安には癜い靄がかかっおおり、曎には小さな小さな黒い点が、ぜ぀、ぜ぀、ず珟れ始めた。

私は気もそぞろに䌚蚈を枈たせるず、逃げるようにしお病院を跳び出した。その自動ドアを出た瞬間、私の䞭の䞍安は癜い靄を吹き飛ばし、閉ざされた蚘憶の蓋を重石諞共こじ開けた。

そしお詳らかになるヒトガタの䞖界での蚘憶。

曎にあちら偎の宗䜑ず過ごした掲厎での䞀倜の事出来事が、鮮明に私の頭ず心にその息を吹き返した。

私は敢えおそれを蚀葉にはしない  


䜕故か涙は出なかった。ただ、その代わりかどうかは分からないが、芖界の隅に蠢く小さな黒い点に私は気が付いた。それは目で远うず、逃げるようにしお芖界の隅に隠れおしたうが、少しでも油断するず回遊ず増殖の限りを尜くし、私の芖界を四隅から埋めおいく、そんな錯芚 さえも感じさせるほどに、その黒い点は傲慢で、たさに邪悪そのものだった。



私は倢遊病のように、病院の前のロヌタリヌに止たっおいたタクシヌに飛び乗った。もう、ケヌキなどどうでもよかった。

ただ、ただ、劊嚠しおいるずいう事実から逃げたかった。このお腹の䞭にあの化け物が居るずいう事実から逃げ出したかった。




タクシヌは倧通りに出るず、䞉車線の真ん䞭の車線を走りだした。

私はそのタクシヌの䞭で、声もあげられない皋に怯えおいた。

そしお逃げたかった。

そう思っおいた矢先だった。

埌方から激しい走行音が、容赊ない嚁圧感を孕みながら迫っおきた。そしおその爆走音はすぐ埌ろたで来るず、巊右に分かれおその爆音のたたタクシヌず䞊走する。

咄嗟に私は、巊右のドアガラスに目を走らせた。

そしお私は絶句する。

その巊右には真っ黒に塗装されたSUV車が、接觊しそうな至近距離で走っおいる。勿論フロントもリダもサむドも党おのガラスにはスモヌクが焚かれ、運転手の顔など芋える筈もない。

今の私にはそう芋えた。そしおそれに远い打ちを掛けるようにしお、芖界の四隅から浮䞊しおくる黒い点。さらに䞋腹郚に走る鈍い痛み。


それらの光景ず珟象は私の背筋を凍らせ、息を詰たらせる  

そしお私は悟った  


逃げられない  ず  



                                     了

いいなず思ったら応揎しよう