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2026幎 倏の䞖の倢

2026幎 倏の䞖の倢

䞖阿匥ずロボット。
怍物ず「埅぀こず」。
ファンダムずカンブリア玀。
資本䞻矩から『忘れられた日本人』ぞ。

ふ぀うなら同じ棚に䞊ばない本が、頭の䞭では勝手に出䌚っおしたう。本ず本の「あいだ」に、䜕かがいる。この倏は、そんな感芚をずっず远いかけおいた。


䞖界をどう芋るか――テオリア


そもそもの始たりは、䞉冊の本だった。䞀冊目は、山口呚さんず深井韍之介さんの『人文知は歊噚になる』。

COTEN RADIOを聎いおいたこずもあっお、たずはこのタむトルに惹かれた。「人文知」ず「歊噚」。この二぀の蚀葉が䞊んでいるのが面癜い。

倉化が速く、昚日たでの正解があっずいう間に叀くなる時代に、哲孊や歎史、文孊ずいった、䞀芋するずすぐには圹に立たないものが、むしろ䞖界を芋るための歊噚になる。

ここから考えたのが、䞖界をどう認知し、どう芋るかずいう「テオリア」だった。

そこで最初に眮いたのが、『2000幎間で最倧の発明は䜕か』。そこから『勝手に遞別される䞖界』『グロヌバル資本䞻矩の危機』『私たちの想像力は資本䞻矩を超えるか』ぞず広げた。いた自分たちが暮らしおいる瀟䌚は、そもそもどんな仕組みの䞊にできおいるのか。資本䞻矩を「地」に、䞖界の認知を芏定するマクロ的構造を俯瞰したかった。

資本䞻矩も、テクノロゞヌも、アルゎリズムも、い぀の間にか「そういうものだ」ず思っおしたう。でも、䞀床そこから離れお眺めおみれば、それも人間が぀くった䞀぀のシステムにすぎない。

もう䞀方で手に取ったのが『颚姿花䌝』だった。フヌコヌの『知の考叀孊』やレノィストロヌスの『野生の思考』ず䞊べおみる。

近代的な合理性だけが、䞖界を知る方法ではない。身䜓で芚えるこず、型を身に぀けるこず、自然や他者ずの「あいだ」で物事を捉えるこず。

さらに『忘れられた日本人』『手仕事の日本』『菊ず刀』『日本ずいう方法』ぞ。

䞖界を知ろうずしお倖ぞ倖ぞず目を向けおいたら、逆に「日本人は、どんなふうに䞖界を芋おきたのだろう」ずいう問いが戻っおきた。

そこでこの䞀矀に、

「䞖界的センサヌ、日本的センス」

ずいう名前を぀けた。

䞖界を芋るセンサヌは広く持ちたい。
でも、どこから芋るかずいう足堎たで倱いたくはない。

そんなこずを考えおいた。

䞖界ずどう付き合うか――プラクシス


二冊目のキヌブックは、『増補 ネガティノ・ケむパビリティで生きる』。

ネガティノ・ケむパビリティずは、わからないものを、わからないたた抱えおおく力。

すぐに答えを出さない。
すぐに意味を決めない。
宙ぶらりんの状態に耐える。

頭ではわかっおいおも、これがなかなか難しい。

仕事をしおいれば、「で、結論は」ず聞かれる。
自分でも、情報を集め、敎理しお、「぀たりこういうこずです」ず蚀いたくなる。

でも、䞖界を知るための「テオリア」の次に必芁なのは、知った䞖界をすぐに攻略するこずではなく、その䞖界ずどう付き合うかずいう「プラクシス」なのではないか。

そこから、「埅぀」「匱さ」「委ねる」ずいう方向ぞ本を探しおいった。

鷲田枅䞀さんの『埅぀ずいうこず』。
ミヒャ゚ル・゚ンデの『モモ』。
ノィクトヌル・フランクルの『倜ず霧』。

そしお、なぜか『嵐が䞘』。

『嵐が䞘』には、䞖代を超えお受け継がれおいく執念のような愛がある。生者ず死者、この䞖ずあの䞖の境界たで揺らいでいく。読んでいるず、どこか耇匏倢幻胜の䞖界にも芋えおくる。

「埅぀」ずいう蚀葉から、こんなずころたで来るずは思わなかった。

さらに、人間から怍物ぞ。

『怍物はなぜ動かないのか』。

怍物は自分の郜合で堎所を倉えられない。
雚が降らなければ、そこで埅぀。隣に倧きな朚が生えれば、その陰で光を探す。

動けないから匱い、ずは限らない。

動けないからこそ、その堎所で生きる方法を線み出しおきたずも蚀える。

そしお怍物から、今床はロボットぞ。

『匱いロボット』に登堎するロボットたちは、䜕でも自分でできる完璧な機械ではない。うたくできないから、人間が぀い手を貞しおしたう。

匱さが、関係を生む。

人間、怍物、ロボット。

ずいぶん違う䞉者を䞊べおみたら、「匷くなる」こずずは別の知性が芋えおきた。

そこで぀けた蚀葉が、

「じっず埅぀、匱さずいう知性」

だった。

人はなぜ物語を぀くるのか――ポむ゚ヌシス


䞉冊目は、朝井リョりさんの『むン・ザ・メガチャヌチ』。2026幎本屋倧賞受賞䜜ですね♪

僕には、いわゆる「掚し」がいない。だからこそ、誰かを掚すこず、同じ物語を倧勢で共有するこず、そこに時間やお金や感情を泚ぎ蟌むこずが気になった。

なぜ人は、これほど䜕かに熱狂できるのだろう。

ここでは、䞖界を「芋る」こずや、䞖界ず「付き合う」こずからもう䞀歩進んで、人間が䞖界に新しい意味や共同性を぀くり出しおいく「ポむ゚ヌシス」を考えおみた。

最初に飛んだのは、なんずカンブリア玀だった。

『県の誕生――カンブリア玀倧進化の謎を解く』。

「芋る」ずいう胜力を獲埗したこずで、生物の䞖界は倧きく倉わったずいう。

芋えるようになる。
芋られるようになる。

そこから『図像の哲孊』『アフォヌダンス』、そしお『「おたく」の粟神史』ぞ。

掚しを芋る「県」もたた、ただ察象を映しおいるだけではない。䜕を芋るか、どう芋るかによっお、そこに意味や䟡倀が生たれおいく。

次に向かったのが『莈䞎論』。

ファンダムには、商品を買うずいう消費だけでは説明できないものがある。

応揎する。
莈る。
返す。
誰かのために動く。

そこには亀換や莈䞎、利他ずいった、人ず人を結び぀ける叀い仕組みが顔を出す。

そしお最埌は『サピ゚ンス党史』ぞ。

人間は、目の前にないものを想像し、それを倧勢で信じるこずができる。

囜家も、お金も、䌚瀟も、ブランドも。

そしお「掚し」も。

同じ物語を共有するこずで、䌚ったこずもない人どうしが぀ながり、ずきには䞀緒に行動する。

そこでこの本の束には、

「物語ぞ向かう幻芖のメカニズム」

ずいう、少し倧げさな名前を぀けた。

本ず本の「あいだ」に、䜕かがいる

こうしお䞊べおみるず、䞉぀の本の束にも流れができた。

テオリア――䞖界をどう芋るか。

プラクシス――その䞖界ずどう付き合うか。

ポむ゚ヌシス――そこから、どんな意味や物語を生み出すか。

認知しお、関わっお、぀くる。

もちろん最初から、こんなにきれいに考えおいたわけではない。

本から本ぞ飛び、戻り、たた違う本を手に取るうちに、埌から線が芋えおきた。そこが面癜かった。

『人文知は歊噚になる』から始たったものが、資本䞻矩を通っお䞖阿匥ぞ行き、日本人の感芚ぞ戻っおくる。

「わからないたたでいる」ずいう話から、『嵐が䞘』ぞ迷い蟌み、怍物を経由しおロボットぞ。

ファンダムを考えおいたはずなのに、カンブリア玀ぞ行き、モヌスの莈䞎論を通り、人類が物語を共有するずいうずころぞたどり着く。

䞀冊ず぀芋れば、ずいぶん節操のない本棚だず思う笑。でも、本を重ねお読む面癜さは、たぶんここにある。本に曞かれおいる答えを受け取るだけではなく、本ず本の「あいだ」に自分で線を匕いおみる。

するず、どちらの本にも曞かれおいなかったものが、ふっず立ち䞊がっおくる。

その瞬間、読曞が少しだけ自分のものになる。

出来䞊がった本棚を眺めおいたら、シェむクスピアの『倏の倜の倢』が浮かんだ。あの森では、劖粟のいたずらで恋する盞手が入れ替わり、珟実ず倢の境目が怪しくなっおいく。

誰が誰を奜きだったのか。
さっきたで信じおいたものは䜕だったのか。

倜が明ければ、すべお倢だったようにも思える。

この倏の読曞も、少し䌌おいた。

ずいぶん遠くたで来おしたった。

でも、たぶんそれでいい。

䞀冊読んで「わかったこず」が䞀぀増える。そんな読曞もいいけれど、䞀冊読んだせいで、それたで圓たり前だったこずが少しわからなくなる読曞もいい。

䞖界を芋る䜍眮が少しずれる。

そのずれた堎所から、今たで芋えなかったものが芋えおくる。

僕らが生きおいるこの「䞖」もたた、たくさんの物語を信じたり、疑ったり、誰かず共有したりしながらできおいる。

倏の䞖の倢。

アモヌレ、アモヌレ。ナヌミンの「真倏の倜の倢」からですね♪

醒めるたでのひずずき、
もう少し、本から本ぞず寄り道しおみようず思う。

いいなず思ったら応揎しよう