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いなむらまち歩きの会(2026年7月号) 

広川町にも歴史あり 
=歴史・文化を広川町の日常から発信します= 
  ―有田地方と広川町のむかし再版プロジェクト・源流― 


安楽寺で美術家「西田美穂」氏の個展開かれる 

“The Wandering Soul of Words” ―言魂の雲散― 

=インスタレーションとドローイングの展示= 令和8年6月、美術家「西田 美穂」氏の個展が開かれました。このような催し物が安楽寺で開催されるのは写真展に続き2回目です。 

広川町 安楽寺

「The Wandering Soul of Words」、詩のタイトルのような美しい言葉。あるいはエッセイのテーマ「言葉というさまよう魂と、私たちの心の居場所」として、安楽寺の玄関を開けると物語は始まりました。

作品1

=言魂の雲散= 筆者の言葉から 
「ある時、骨董屋で古い反故紙に目が止まり、手に入れました。その紙は裏表とも文字で埋め尽くされ、判読できない文字の重なりの中に、かつてそこに言葉を書いた人の時間や気配のようなものを感じたのです。2021年以降、古文書を使ったインスタレーションの制作を続けています。」 

「私にとって古い紙に残された文字は、単なる情報ではなく人の魂そのものであり、時間の中で変化し、やがて失われていく存在そのものです。本作では、古文書を用いての型を作っています。文字が少しずつ読めなくなり、意味が薄れていく過程と、雲が形を変えながら霧や空気へと溶け込んでいく姿を重ね合わせたのです。」

続けて、筆者は「雲は絶えず姿を変えながら存在しています。そこには「在ること」と「消えていくこと」がはっきりと分けられない曖昧さがあります。形が失われることは、完全に無くなる事ではなく、別の状態へ移り変わっていく過程なのかもしれません。 

この作品では、「消える」と言うことを、単なる喪失ではなく、連続する変化の一部として捉え、雲が霧となって空へ広がっていくように、言葉や記憶もまた、形を変えながらどこかに漂い続けているように感じていただければと思います。」 
さらに、「今回、お寺という場所で展示することによって、制作過程で自然と仏教的な感覚も重なりました。形あるものが移ろい続けること、そして固定された実体を持たないという感覚は仏教の無常観とも静かに響き合っているように感じます。 

「形あるものはなぜ変わり、どこへ行くのか。」本作は、その普遍的な問いに向かい合おうとする。一つの試みです。」 


作品2
作品3
作品4

この個展がお寺で開催される意味。また、ここ安楽寺で開かれたことが、作品がさらに深みを増して我々に迫ってきます。

(注釈)
 反故紙:ほこがみ、書き損じや不要になった紙
インスタレーション(installation art):空間の内部または特定の場所に、物体、映像、音、光、建築的要素、日用品、テキスト、身体的行為などを配置し、鑑賞者がその場を移動しながら体験することを重視する現代美術の表現形式である。作品は、個々の絵画や彫刻を独立して鑑賞する 」としている。 
ドローイング(drawing):物体の形体、明暗などを平面に描画する美術の制作技法、過程、あるいは作品のこと。


1.いなむらまち歩きの会
活動報告 
(令和8年度 第4回)

2026年6月17日、2回目の「広川町の文化財」取り組み報告がいなむらの杜で開催された。 画政策課・平井課長は、「今回は、文化財に興味をお持ちの皆さんに、行政(広川町)がどのように捉え、活用しようとしているのかという視点を知っていただき、皆さんの活動に活かしていただければと思い、『広川町歴史的風致維持向上計画(歴まち計画)』についてお話しさしていただきます。」 と切り出されました。さらに、「広川町の文化遺産を活かしたまちづくりをどのように進めれば、行政として予算を確保し、保護と活用を両立できるかを考え、そこで注目したのが2008年に施行された『地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)』です。2014年頃から策定を始め、2016年10月に第1期の認定を受け、現在2期目(お手元の資料)の計画を進めています」、と説明された。 

歴史まつづくり法の概要図

次に、歴史まちづくり法、広川町歴史的風致維持向上 計画(第二期)、広川町の5つの歴史的風致の説明。 

  1. 稲むらの火の伝承と復興にみる歴史的風致 

  2. 広八幡神社の祭礼にみる歴史的風致 

  3. 吉宗の出世大黒天にみる歴史的風致 

  4. 熊野古道にみる歴史的風致 

  5. 名草八幡神社と周辺の祭礼にみる歴史的風致 

今後の計画としては、広村堤防周辺の追加指定と土地整備、熊野古道整備(県との連携)、耐久社の調査(国との連携)、歴史的建造物の修理支援、重要文化財「濱口家住宅」の整備支援、稲むらの火の館の改修(将来)を国と検討していきたい。 

広川町歴史的風致維持向上計画(第二期)の表紙(全211頁)

(注釈) 
地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(平成20年5月23日法律第40号):歴史的建造物や伝統的祭礼行事など、地域の歴史や伝統を残しながら形成された環境、すなわち歴史的風致の維持・向上を図ること 
歴史的風致:「歴史・伝統を反映した人々の活動」と 「歴史上価値の高い建造物+周辺市街地」が一体の環境。単なる建物群ではなく、祭礼・産業・生活などの営みを含む。 
そこで50年以上続く「人々の活動(祭りや伝承)」が一体となった良好な環境。 


2.広川町の お話 其の七 

広川町 森 勲 

鹿ヶ瀬峠(痔の地蔵、縛られ地蔵・法華の壇)

鹿ヶ瀬峠 痔の地蔵(縛られ地蔵とも言われる)

河瀬王子から頂上まで約3㎞、標高354mで有田~日高の最短路で千年余の昔より、幹線道路として長く利用された歴史とロマンの道である。 
頂上に近くの左側、小高い所に椎の大木を背にお地蔵さんがある。これが何時からともなく「痔の地蔵さん」と呼ばれ、初氷と米を供え、お詣りをして、帰ってから粥にして食べると痔が治ると伝わっているそうです。又、この地蔵さんは、「縛られ地蔵」とも言われ、行方不明の人や、家出人を捜すのに霊験があるといわれ、荒縄で地蔵さんをぐるぐる巻きに縛っておいて、祈祷をしてもらって、見つかったら荒縄を解いてあげたそうである。今までに、生きて或いは不帰の人となって十人以上の人が見つかっているという。又、「今昔物語」にある説話に、父娘の親子連れ武士の言い伝えがあります。 

この付近に「若山より八里の塚なり、此辺に郡さかひのしるしあり。…… 
一町上れば大峠(鹿ヶ瀬)なり」の林信章の紀行文から、一里塚と、有田・日高の郡境があったと思われます。更に登って左に入った所に「法華の壇」いう台地があり、ここに元亨釈書に書かれた、円善上人と壱叡上人の髑髏の奇譚の伝承も残されている。宗祖日蓮上人の孫弟子で、壱叡の師の日像上人が、且つて配流されたこの地に、弟子の京都妙顕寺の妙実上人が弟子の朗妙を伴い、ここに草庵を結ばせて円善上人を供養させたと伝えられている。広養源寺の源流とされ郡内に法華宗が宣流された記念の地である。八代将軍吉宗公ゆかりの養源寺の縁起になっていて、円善上人を開基、壱叡上人を初祖としています。ここに養源寺の寺領として石塔を建て、毎年「円善まつり」と呼ばれる法要が今でも行われている。江戸期から明治20年までは、Ⅰ日に千人以上の人の往来があったが、明治21年に沿岸航路が開設されて半分近くになった。

珍しいのは、船の欠航したとき、サーカスの一団がここを通り、象も峠を越えたという。吉宗(幼名源六)も新之助の時か、ここを通り法華の壇にお参りをしたとの事。 

鹿ヶ瀬峠 法華の壇   

3.外江素雄ワールド 
『有田地方と広川町のむかし』⑭
平安時代 (約千二百年〜八百年前) 

 外江素雄 

 鹿ヶ瀬峠(ししがせとうげ)の「がい骨伝説」

挿絵(「有田地方と広川町のむかし」より)

 今から八三〇年も昔のことです。
 壱叡(いえい)という若いお坊さんが、熊野へお参りに行くとちゅう、鹿ケ瀬(しかがせ)峠の山中にある古ぼけた小屋に泊りました。 ま夜中のことです。壱叡(いえい)はなんとはなく目がさめてしまい、しばらくうつらうつらしていました。ふと・・・・・・・・さきほどからだれか人の声がしているような気がしました。何をいっているんだろう、とよく耳をすまして聞いていると、それはお経をよむ声だったのです。 
その声は、少しのササのゆれる音にも消されるくらいずい分低いかすかな声でした。 壱叡(いえい)は、だれか私と同じような旅のお坊さんが先にこの小屋にきているんだな、と思って、静かにそのかすかに流れるお経を聞いていました。そのお経は、いつも壱叡(いえい)がよんでいるのと同じお経でした。

一巻、二巻、三巻と、お経の声はいつ終わるともなく続きました。 
「こんな真夜中にもお経をいっしょうけんめいあげるとは、なんて熱心なお坊さんなんだろう。」 
壱叡は半分あきれ、半分感心して聞いていました。 
その声は、遠くの山の尾根が少し白み始めた夜明け前、やみました。 
明るい朝日が小屋にさしこんできました。 
しかし、小屋の中にいたのはやはり壱叡(いえい)ひとりでした。ふしぎに思った壱叡は、夜中に声のした方をさがしてみましたが、別に何も見つかりません。壱叡(いえい)は確かに声のしたと思われる方角のヤブの中をのぞいてみました。 

するとどうでしょう。深いササヤブに守られて横たわっているかのように、一体のがい骨が見つかったのです。その骨は五体が全部つながったままで、よほど古くからここにあったのでしょう。まきついたツタの下には緑のコケがびっしりはりついていて、まるで衣服をつけているように見えました。そして、おどろいたことに、がい骨の口の中にはまっ赤な舌があるではありませんか。 その舌は、まるで何かをうったえている かのように口の中でじっとしていました。 

壱叡(いえい)は、これは何か事情があるにちがいない、お経をよむわけを知りたいものだ、と思って、もう一晩この峠の小屋に泊まることにしました。 
その夜も、やはりあの低いかすかなお経をよむ声が聞えてきました。がい骨の口の中の赤い舌は一筋の月光に照らされて静かにうねっていました。

挿絵(「有田地方と広川町のむかし」より)

 夜明け前、壱叡(いえい)はそのがい骨に手をつき、ひれふして言いました。 
「夜ごと、このように死んだのちもお経をよんでおられるのはきっと何かの深いわけがあるのにちがいないと思っておうかがい申し上げます。どうか、そのわけをお聞かせ下さい。心残りなことがこの世にございましたら、かならず私がうまくとりはからいいたします」 
すると、がい骨は、あのかすかな声でこう答えていいました。 
「わたくしは円善(えんぜん)という、比叡山の僧であったが、百年前熊野まいりのとちゅう峠まできて病気になって死んでしまった。わたくしは、生きている時、六万部といわれるお経を全部最後までよんでしまおうとちかいをたてていた。しかし、半分もいかないうちにここで死んでしまったのだ。かたくかたく心にちかっていたのに、と思うと残念でたまらず、それで、わたくしは死んでからもここにとどまって残りのお経をこうしてよんでいるのだ。だが、それももう終わりに近い。ここにいるのもそう長くはない。ここを去って、わたくしは菩薩のいる浄土へ旅立つ日も遠くないだろう。」 

それを聞くと、壱叡はがい骨に深く頭を下げ、静かにそこを去りました。 
次の年、壱叡(いえい)はふたたび熊野詣のとちゅう鹿ヶ瀬峠を通りましたが、もうがい骨はどこにもありませんでした。 
その一〇〇年前、比叡山の円善(えんぜん)というお坊さんかこの峠で病気になって死んだということです。 

挿絵(「有田地方と広川町のむかし」より)

4.7月催し案内 

=広川町内の≪認知症予防+郷土史研究≫関係イベント情報= 

1)第4回 いなむらまち歩きの会 

日時:7月15日(水曜日)10:00~11:00 
場所:いなむらの杜 
内容:広川町の文化財について-その3 
講師:広川町企画政策課:平井課長 

いなむらまち歩きの会・源流プロジェクト 
日時:7月17日(金)15:00~16:00 
場所:いなむらの杜 

事務局会議・作業委員会 
日時:7月22日(水)13:30~16:00 
場所:事務局 

(2)カフェ・ふれあい ミニ勉強

日時:7月30日(金)13:30~15:00                                      場所:いなむらの杜 
内容:高齢期のための法的備えセミナー 
講師:御坊公設役場 坂口英男(公証人) 


編集後記

 災害を事前に考える「まちづくりレクチャー + ミニワークショップ2026」第1回が2026年6月21日開かれ、専門家による避難生活の現実や過去の災害教訓に関する講義が行われ、参加した住民は被災後の居住場所の確保や生活再建について具体的な意見交換を行いました。

議論では、親族を頼る縁故避難の有効性や、避難所運営におけるリーダーシップの重要性など、公助に頼り切らない共助の視点が数多く示されています。町はこの対話を通じて住民の意識を把握し、令和8年度の完成を目指す計画に反映させる方針です。全3回の連続講座のうち、第1回として被災直後のリアルな生存戦略を共有する貴重な機会となりました。

第2回:7月25日、第3回:8月29日、共に14:00~16:00、広川町役場 3階大会議室です。参加しましよう。(役場総務課へ事前申し込みが必要です)


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