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長宗我部盛親 | 浪人になった大名が最後の戦場で示した「本物の強さ」

はじめに

長宗我部盛親という名前を聞いて、すぐに顔が浮かぶ方は多くはないかもしれません。
父・元親の「四国統一」という偉業の陰で、息子の盛親はしばしば「恵まれなかった二代目」として語られてきました。

しかし改めてその生涯を追うと、この人物が一般に語られる以上に複雑で、そして悲劇的な運命をたどっていたことがわかります。
四男でありながら強引に後継者に指名され、関ヶ原では一発の矢も放てないまま大名の地位を失い、14年間の浪人生活を経て、最後の戦場で証明してみせたもの。

この記事では、長宗我部盛親の40年の生涯を丁寧に辿ります。
歴史の通説と、近年の一次史料研究が明らかにしつつある「新たな盛親像」、その両方をお伝えします。


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四男が後継者になった理由

1575年(天正3年)、長宗我部盛親は土佐国の岡豊城で生まれました。
幼名は千熊丸。
父・元親の四男です。
母は石谷光政の娘で、明智光秀の重臣として知られる斎藤利三の異父妹にあたるとされています。

元親には嫡男・長宗我部信親がおり、盛親は当初、家督とは無縁の立場でした。
ところが1587年(天正14年12月、西暦換算では1587年1月)、九州平定の前哨戦として繰り広げられた戸次川の戦いで、信親が22歳で戦死します。
軍監・仙石秀久が豊臣秀吉の交戦禁令を破って渡河を強行し、島津家久の釣り野伏せに陥った末の悲劇でした。

信親を溺愛していた元親は、この知らせを受けて「人が変わったように」苛烈になったと伝えられます。
後継者問題が浮上し、家中の多くは次男・香川親和、あるいは三男・津野親忠の擁立を望みました。
ところが元親は1588年(天正16年)、四男の盛親を世子に指名します。

なぜ四男なのか。
上の二人の兄がすでに他家(香川氏・津野氏)を継いでいたこと、そして信親の遺女を盛親の正室に迎えることで、信親の血脈を繋ごうとした意図があったと指摘されています。

この決定に真っ向から異議を唱えたのが、一族の重臣・吉良親実と比江山親興でした。
しかし元親は両人に切腹を命じ、親実の家臣7名も連座で処断されました。家中に深刻な亀裂が生まれ、土佐には怨霊伝承まで残ることになります。

なお、この粛清には重臣・久武親直の讒言が介在したとする資料(『土佐物語』など)もありますが、その詳細については資料によって記述が異なり、確定できない部分があります。

元服に際して盛親の烏帽子親となったのは、豊臣政権の奉行・増田長盛でした。
父・元親が織田信長を烏帽子親とし「信」の字を得たのと比べると、格段に格付けが低く、長宗我部家の豊臣政権下での立場を象徴するものでした。
盛親は最後まで武家官位を授けられず、公文書でも通称「右衛門太郎」のままであったとされています。


父・元親の死と「未承認の国主」という立場

1597年(慶長2年)3月24日、元親と盛親の連名で「長宗我部元親百箇条」が発布されました。
全100条に及ぶこの分国法は、豊臣政権を「公儀」と明記して推戴するという、戦国の分国法としては異例の性格を持っていました。

知行宛行権が盛親に移されるなど、父との共同統治が進んでいきましたが、
1599年(慶長4年)5月19日に父・元親が伏見屋敷で死去すると、盛親は単独で土佐9万8千石の国主となります。

しかし、豊臣政権が盛親の家督継承を公式に承認した記録は現存していません。
大名当主として正式な承認を得られないまま、翌年に関ヶ原の戦いが始まることになるのです。
この「未承認の国主」という不安定な立場が、盛親の戦略的判断に大きな影を落としたとする見方が、現代の研究者の間で有力視されています。


関ヶ原——戦えなかった男の屈辱

1600年(慶長5年)9月15日、関ヶ原の戦いが始まりました。
盛親は西軍に加わり、約6,000の兵を率いて布陣しました。
布陣地は美濃南宮山の山麓。毛利秀元・吉川広家・長束正家・安国寺恵瓊らとともに、家康本陣の後方を脅かす位置に陣を構えました。

しかし、前方に布陣していた吉川広家が、すでに東軍と内通しており動きませんでした。
後方を塞がれた毛利・長宗我部・長束らの各隊は、南宮山の急峻な地形もあいまって下山できず、一度も戦闘に参加しないまま西軍の総崩壊を見届けることになります。

これが「宰相殿の空弁当」という逸話とともに語り継がれる南宮山の不戦です。

盛親は池田輝政・浅野幸長の追撃をかわしながら、多羅尾・伊賀・和泉を経由して土佐へ撤退しました。
6,000の兵を持ちながら戦えなかった——その屈辱は、以後の盛親の生涯に深く刻み込まれることになります。


改易の真相——兄殺しか、一揆か

土佐へ帰還した盛親は、徳川家康への謝罪を試みました。
井伊直政を仲介に立て、恭順の意を伝えようとします。

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