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情報09_正しいことをしたければ偉くなれ

『踊る大捜査線』を振り返ると、和久さんのこの言葉が胸に残ります。正しいと思うことがあっても、自分一人の気持ちだけでは通らない。組織の中でそれを実現するには、決める立場に立つことも必要になる。短い言葉の中に、働くことの理想と現実が詰まっているように感じます。[出典:和久の言葉と登場回を振り返る記事

私は『踊る大捜査線』を、テレビドラマの初期から見ていました。

見ていて感じたのは、警察も縦社会で、普通のサラリーマンと同じような苦労があるんだな、ということでした。上司の判断があり、立場の違いがあり、現場で必要だと思ったことがすんなり通るとは限らない。事件を追う刑事たちの姿に、会社で働く人の姿が重なったのです。

もちろん、これはドラマを通じて私が抱いた印象です。それでも、正義感だけで走り切れない青島や、組織の中で判断を迫られる室井さんには、仕事をする人なら身に覚えのあるもどかしさがありました。だからこそ、「偉くなれ」という和久さんの言葉も、出世を勧めるだけの言葉には聞こえません。立場を得たとき、その力を何のために使うのか。そこまで問いかけられているように思うのです。

映画が大ヒットしたあとに知った作品ではなく、テレビの中に青島がいて、室井さんがいて、すみれさんがいて、和久さんがいた。その頃から知っているシリーズです。

中でも印象に残っているのが、いかりや長介さんの演じた和久平八郎でした。

人情に厚く、いい役だった。

和久さんを思い出すと、そう言いたくなります。

けれど、何がそんなによかったのかと考えると、「優しいおじさんだった」だけでは足りない気がします。青島を見守るだけの人でも、立派なことを言うために登場する人でもなかった。長く働いてきた人の疲れや不器用さがあって、それでも若い人を放っておけない。和久さんには、そういう体温がありました。

新作の話題をきっかけに、今回、テレビ版から過去の映画、制作陣や出演者の発言を調べ直しました。すると、懐かしさの中にあった輪郭が、少しずつはっきりしてきました。

私にとって『踊る大捜査線』は、事件を解決する人たちの物語であると同時に、理不尽な場所で、それでも人を大切にしようとする人たちの物語だったのだと思います。

その真ん中に、和久さんがいました。

※以下、テレビ版と過去の劇場版の設定・一部の展開に触れます。2026年の新作の結末は扱いません。放送・公開情報や発言は出典を付し、人物の魅力を語る部分は私なりの回顧と考察として書いています。


1.大ヒット映画の前に、全11話のテレビドラマがあった

『踊る大捜査線』の出発点は、1997年1月7日から3月18日まで放送された、全11回の連続テレビドラマです。放送ライブラリーの記録でも確認できます。放送ライブラリー「踊る大捜査線〔1〕」

ここは、振り返るときに大切にしたいところです。

映画の大きな事件や有名な台詞が強く残っているシリーズですが、最初から巨大な事件だけを追いかけていたわけではありません。視聴者は、青島が新しい職場に入っていくところから、この世界を知っていきました。

脱サラして刑事になった青島俊作。ところが、理想の刑事生活を始めたつもりの彼を待っていたのは、組織の決まりと、思いどおりには進まない仕事でした。

この設定が、うまいと思います。最初から警察組織に詳しい人物が主人公なら、当然として受け入れてしまうことに、青島は立ち止まれる。なぜ自分たちは捜査に参加できないのか。なぜ目の前の人より上の事情が優先されるのか。その疑問を通じて、見る側も湾岸署の内側に入っていけます。

ただ、これは警察制度を正確に学ぶための教材ではありません。組織で働く人間を描くために作られたドラマです。現実の警察と細部まで同じだと受け取るより、誰にでも覚えのある仕事のもどかしさを、警察署という舞台に集めた作品として見ると、その面白さがよく分かります。

犯人が捕まるかどうかと同じくらい、明日もこの人たちのいる場所を見たい。そう思わせる連続ドラマだったのではないでしょうか。

初期から見ていた私にとって、映画の湾岸署にも、その前から続く時間があります。大きなスクリーンに映ったから急に大切になった人たちではなく、すでに知っている人たちが、より大きな事件に巻き込まれていった。その順番を、今も忘れたくありません。

2.警察を「職場」として描いたから、刑事たちが近くなった

制作の出発点を調べると、完成した作品が最初からそのまま考えられていたわけではないことも分かります。

WOWOWが公開した本広克行監督と亀山千広プロデューサーの対談によれば、企画初期には映画『セブン』を意識した若手とベテランの組み合わせがあり、そこから警察を企業のような組織として捉える方向へ変わっていきました。いかりやさんの配役は、織田さんの次に決まったと説明されています。WOWOW・制作陣対談

つまり、和久さんに当たるベテランの存在は、あとから付け足された飾りではなかったのです。

そして、職場の物語になったことで、登場人物の魅力が事件のない時間にも広がりました。

上司に説明する。別の部署と調整する。自分の仕事ではないような作業を引き受ける。相手の立場も分かるけれど、今それを言われても困る。こうした場面があると、刑事たちは特殊な能力を持つ遠い人から、今日も仕事をしている人に近づきます。

青島が正しいと思うことを口にしても、その場ですべてが動くとは限りません。だから歯がゆい。けれど、だからこそ、誰かが一歩だけ味方に回る場面に意味が生まれます。

大きな正論を一度叫ぶことと、翌日も同じ組織で働くことは、別の難しさです。『踊る』はその間に、笑いや会話を置いていたのだと思います。

職場の面倒くささを笑う一方で、そこで働く人を丸ごと見捨てない。あのバランスが、このシリーズを親しみやすくしていました。理不尽ばかりなら見るのがつらくなり、仲良しだけなら嘘っぽくなる。そのどちらにも振り切らず、仕事をする場所には厄介さも愛着もある、と見せてくれるのです。

3.和久さんは、青島に「現実」を教える最初の人だった

テレビ第1話の番組記録には、現場に駆けつけた青島に、和久が初動捜査の役割分担を教える場面が紹介されています。放送ライブラリー・第1話の記録

とても地味な教えです。けれど、ここから始まっていることに、和久さんらしさを感じます。

経験のない人に必要なのは、立派な心構えだけではありません。まず今ここで、何をしてよくて、何を知らないのか。それを教えてくれる人が必要です。

和久さんは、青島の熱意を見て、最初から何でも任せてしまうわけではない。経験から見える現実を、彼の前に置きます。若い側からすれば、ときには拍子抜けするようなこともあるでしょう。

でも、若い人のやる気を褒めることと、仕事を教えることは同じではありません。危険を知らないまま勢いだけで進ませれば、本人も周囲も傷つくかもしれない。そう考えると、和久さんの現実的な言葉は、冷や水であると同時に、支えでもあります。

ここからは私の読みですが、和久さんが魅力的なのは、現実を教えても、青島の疑問まで消そうとはしていないところです。

組織はそういうものだと説明する人はいても、それで終わりにしない人は少ない。青島がなぜ納得できないのかを、和久さんは分かっているように見える。分かっているからこそ、若い人の熱を、長く使えるものにしてほしいと感じさせるのです。

大人になるとは、何も感じなくなることではない。感じたことを、どう仕事につなげるかを覚えることでもある。和久さんと青島の関係には、そんな成長の入口がありました。

4.人情に厚い、とは「危ないときに止めてくれる」ことでもある

私が和久さんを思い出すときの「人情に厚い」という感覚は、ただ穏やかだという意味ではありません。

大事な人が危ないときには、止める。耳に痛いことも言う。自分の経験を、若い人が同じ失敗をしないために使おうとする。そういう情の深さです。

テレビ版を振り返ったふたまん+の記事では、和久が後輩の殉職を悔やんでいることと、逮捕時の危険を青島に繰り返し教える場面が取り上げられています。これは今回、批評記事で確認した場面情報です。ふたまん+・和久平八郎の場面解説

この背景を踏まえると、和久さんの注意は、経験豊富な人が知識を披露するための言葉ではなくなります。

自分には、教え切れなかったことがある。守れなかった人がいる。次の若い人には、同じことを起こしたくない。そう読めるから、言葉に重さがあるのです。

英雄的な刑事の物語では、無茶をした結果の成功が見せ場になりがちです。その中で、まず無事でいてほしいと願う視線があると、仕事の手柄より人の命が先に戻ってきます。

和久さんのよさを、何でも許してくれる包容力だけで語ると、この厳しさが抜けてしまいます。優しさは、いつも相手が喜ぶ形で出てくるとは限らない。進もうとする人に、待て、と言うこともある。

しかも、その言葉が本人の傷や後悔とつながっている。だから私は、和久さんを完成した聖人としてよりも、痛みを抱えたまま後輩を見ている人として捉えるほうが、しっくりきます。

人情とは、自分の失敗を勲章にして語ることではなく、次の人のために役立てることでもある。和久さんを通して考えたいのは、そんな温かさです。

5.第2話の爆弾付きの椅子に、『踊る』の魅力が詰まっていた

テレビ第2話「愛と復讐の宅配便」では、和久に届いた健康チェアに爆弾が仕掛けられ、立ち上がれなくなります。配信サービスの作品紹介でも、この設定が確認できます。Apple TV・第2話の紹介

腰の悪いベテランへの贈り物という、職場にありそうな出来事が、そのまま危機につながる。遠い場所に怪事件が起きるのではなく、いつもの部屋が急に事件現場になる。この組み合わせに、テレビ版の持ち味があります。

面白いのは、動けなくなることで、人間関係が見えてくることです。大きなアクションを続けなくても、誰がそばに残るのか、何を言うのかで、その人の姿が浮かび上がります。

和久さんは常に若い人を助けるだけの存在ではありません。彼自身が助けを必要とする側にもなる。そのとき青島との関係は、教える人と教わる人という一方向のものから、互いを見捨てない関係へと深まって見えます。

人を守る仕事をするからといって、自分が誰にも守られなくていいわけではない。この当たり前のことを、ベテランの危機で見せるのがいいのです。

2012年の舞台挨拶を伝えた記事では、織田さん自身も、この第2話の撮影でチームワークが生まれる感覚があったと振り返っています。cinemacafe配信・舞台挨拶記事

視聴者が人物同士のつながりを感じた場面が、演じる人たちにとっても一つの出発点だった。そう知ると、早い段階から和久さんが印象的だったという私の気持ちにも、作品の内側から光が当たる気がします。

6.「正しいことをしたければ偉くなれ」は、誰に何を託す言葉なのか

和久さんを語るとき、外せない言葉があります。

正しいことをしたければ偉くなれ

第7話で扱われるこの言葉については、前掲の場面解説が、青島と室井の関係につながるものとして整理しています。ふたまん+・第7話と最終話の解説

一度だけ聞くと、出世を勧める現実主義の言葉にも聞こえます。でも、和久さんが言うと、単純な成功の勧めには収まりません。

自分が正しいと思っているだけでは、相手の仕事の条件まで変えられない。自分一人が頑張っても、後ろから来る人は同じ壁にぶつかる。だから、決められる立場に届く人には、そこまで行ってほしい。

私は、そういう託し方として読みたいと思います。

もちろん、偉くなれば自動的に正しいことができるわけではありません。権限を持つほど、別の都合や責任も増えます。地位そのものが答えだと受け取ると、かえって『踊る』の中で描かれる難しさを見失います。

大事なのは、何のために上へ行くのかを忘れないこと。そして、上にいる人を信じて現場で働く人との関係を切らないことです。

青島と室井の関係が魅力的なのは、二人が同じ場所に立たなくても、同じ方向を向けるかを問うているからだと思います。現場にいる人と、決裁する人。その間が完全に切れたら、どちらかの熱意だけでは届かない。

和久さんの言葉は、その二人をつなぐ問いになっています。

私たちの身近な職場に置き換えても、全員が管理職を目指す必要はありません。ただ、現場の声を聞ける人が、決める場所にもいてほしい。その願いなら、役職に関係なく分かる気がします。

だからこの言葉は、出世したい人だけのものではないのでしょう。出世する人を見送る側にも、託す相手を探している側にも、届く言葉なのです。

7.青島と室井だけでは、あの温度にはならなかった

シリーズの骨格として目立つのは、青島と室井です。けれど、そこに和久さんがいることで、二人の対立が少し違って見えます。

青島がいま感じている悔しさには、以前にもそれを感じた人がいる。室井が変えようとしているものにも、長い時間が積み重なっている。和久さんは、そうした時間を人物として持ち込んでいるように感じます。

映画第1作では、和久と吉田副総監の古い関係が描かれます。所轄に残った和久と上層部へ進んだ吉田のつながりは、青島と室井を思わせるものです。映画スクエア・和久平八郎の人物解説

ここにあるのは、同じ構図を繰り返す面白さだけではありません。

若い人の挑戦を、最初から無駄だと笑わない。でも、その難しさも知っている。理想を持つ人に出会うたび、昔の自分や昔の仲間を思い出す。そんな世代の重なりとして見ると、和久さんの存在がさらに深くなります。

青島は、その場で初めて組織の壁に怒っているかもしれない。けれど和久さんの側には、それを何年も見てきた時間がある。それでも青島に関わり続けることに、私は希望を感じます。

経験がある人が若い人を見限るのは、ある意味では簡単です。自分も昔そうだった、と距離を置けばいい。そうしないで、まだ何かを託そうとする。その姿は、大げさな励ましより心に残ります。

この三人を並べると、『踊る』のよさは、若さと老いのどちらかを勝たせることではないと分かります。若さが問いを持ち込み、経験が危険を教え、権限を持つ人が道を開こうとする。誰か一人で完結しないところに、この物語の厚みがあります。

8.いかりや長介さんだから、和久さんは「役割」以上の人になった

役柄の設定だけを並べれば、和久さんは経験豊富なベテラン刑事です。でも、その説明だけで、あの人を思い出せるわけではありません。

低い声、重みのある顔つき、肩の力が抜けたような雰囲気。私の印象に残っているのは、台詞の意味と一緒に伝わってくる、いかりや長介さんの存在そのものです。

ここは演技への私なりの評価ですが、いかりやさんには、場面を必要以上に飾らずに、その人物が長く生きてきたことを感じさせる力があったと思います。説明されていない年月まで、そこにあるように見えるのです。

若い人が勢いよく話す場面の中に、少し違う速さで応答する人がいる。その違いだけでも、画面の中に世代が生まれます。全員が同じ熱量で叫んでいたら、誰の熱さも似てしまう。和久さんがいることで、青島の若さも、その周囲の慌ただしさも際立ちます。

いかりやさんは、ザ・ドリフターズのリーダーとして知られ、俳優としても活動していました。フジテレビの追悼番組案内は、その両方の仕事を振り返り、『踊る』の和久役も取り上げています。フジテレビ・いかりや長介追悼番組案内

ただ、笑いの仕事をしていたから演技がうまかった、と一つの理由に還元するのは乱暴でしょう。私が魅力を感じるのは、笑いと厳しさを、別々の人のように切り替えないところです。

親しみがあるから、厳しい言葉にも耳を傾けたくなる。厳しさを知っているから、少し力の抜けた場面がうれしくなる。どちらも同じ和久さんとしてつながっている。そのため、立派な教訓を話す場面だけを抜き出すより、何気ない場面も含めて見たい俳優なのだと思います。

9.最優秀助演男優賞は、「和久さんがよかった」に重なる確かな記録

いかりや長介さんは、『踊る大捜査線 THE MOVIE』で、第22回日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞しています。1999年の受賞で、協会の部門別記録にも名前が掲載されています。日本アカデミー賞・助演男優賞記録映画.com・受賞歴

同じ第22回では、柳葉敏郎さんも『踊る大捜査線』で優秀助演男優賞を受けています。支える人物たちの演技が、作品の魅力として評価されたことが分かります。

賞を取ったから好きになったわけではありません。和久さんがよかったという感覚は、それとは別に、自分の中にありました。

でも、こうして記録を確かめると、好きだった人物の確かさに、あとから別の光が当たります。自分の懐かしさだけではなく、当時の映画の評価としても残っているのだと分かるからです。

主演が前へ進む力を持ち、助演がその人を取り巻く世界を成立させる。『踊る』は、その関係がよく見える作品だと思います。

和久さんは青島の出番を奪うためにいるのではなく、青島が誰に支えられ、何を受け取った人なのかを見せてくれます。室井さんは、青島の正しさにただ同意するためではなく、その願いが組織を通るときの重さを引き受けます。

だから、主役の魅力を語ろうとすると、どうしても周りの人の話になる。周りの人を語ると、また青島が好きになる。その循環が、『踊る』を人物の物語として強くしているのだと思います。

10.映画第1作は、湾岸署への愛着を大きな事件へ連れていった

1998年の『THE MOVIE』では、署内の窃盗、猟奇殺人、要人誘拐などが重なり、湾岸署が混乱していきます。公式の作品紹介も、複数の事件が同時に進む構成を示しています。フジテレビ・映画第1作

規模の違う出来事が並ぶところに、テレビ版から続く味があります。

外から見れば大事件でも、職場には小さな問題が残る。緊急事態だからといって、そこにいる人の性格まで急に格好よく整うわけではない。その雑多さを残したまま映画になることで、湾岸署が別の場所に見えずに済んだのだと思います。

ここで、私たちが心配するのは事件の解決だけではありません。あの人は大丈夫なのか、いつもの関係は壊れないか、またあの部屋に戻れるか。テレビで人物を知っていると、事件が生活の外側から入ってくる怖さが増します。

和久さんも、安全な場所から若者に助言するだけではありません。事件に関わり、危機の中に入る。だから、彼の重みは解説役としてのものにとどまりません。

私は、ここに映画化の強みがあったと考えます。テレビから映画になると、単純に大きな爆発や派手な展開を加えたくなる。けれど、知っている人が危ないという感情は、映像の大きさとは別のところから生まれます。

湾岸署の日常を知っていたから、その日常が壊れそうになることが怖かった。映画第1作を振り返るときには、その前にあった全11話の時間も、作品の一部として思い出したくなります。

11.『THE MOVIE2』を、興行記録だけで語りたくない

2003年の『THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』は、興行収入173.5億円を記録しました。現在の公式紹介にも残る、大きな実績です。シリーズ公式サイト

テレビから始まった人物たちの物語が、これほど大きな興行になった。それ自体、シリーズの広がりを感じさせる出来事です。

私がこの映画の振り返りで大切にしたいのは、数字より、広くなった街と、そこで働く人の関係です。

公式のあらすじでは、お台場は観光地として発展し、湾岸署員は観光案内や交通整理などに追われています。そこへ事件が起こり、沖田管理官を本部長とする捜査体制が置かれます。フジテレビ・シリーズ作品紹介

街が大きくなっても、現場が扱うのは一つずつの困りごとです。組織から見れば優先順位の低い仕事でも、当事者にはそれが今日の一番大きな問題かもしれない。

この視点で見ると、『踊る』の所轄への愛着が分かります。大きな事件を担当することだけが、仕事の価値を決めるわけではない。普段の小さな対応が積み重なって、その場所の暮らしを支えているのです。

また、指揮する側と動く側の食い違いを、単に「上司は嫌な人だ」で終わらせたくありません。重要なのは、何を見て判断しているかです。報告の数字だけを見ているのか、その向こうにいる人まで想像しているのか。

この映画で、その思いが表に出るのが、すみれが撃たれたあと、和久が沖田に怒りをぶつけ、若い捜査員をこれ以上傷つけないでほしいと訴える場面です。映画の人物解説でも取り上げられています。ciatr・和久平八郎の人物解説

ここには、命令系統の話をしているだけでは届かない感情があります。誰の判断が正しかったかを整理する前に、現に仲間が傷ついている。そのことを見てくれ、と訴えているように私は受け取ります。

和久さんの怒りは、自分の権威を守るためのものとしては見えません。年長者である自分を敬えという怒りより、若い人を大事にしてくれという切実さが前に出る。私が「人情に厚い」と感じる理由を、一つの場面で言うなら、ここは外せないと思います。

現場の人間を交換可能な駒にしない。それは、大きな組織を否定することとは違います。組織が大きくなるほど、一人の痛みが遠くなる。その距離を、誰かが埋めなければならないのです。

映画の規模が大きくなっても、私が忘れたくないのは、その一人を見る感覚です。

12.すみれさん、雪乃さん、真下。違う入り口があるから湾岸署は生きている

和久さんを中心に書いてきましたが、『踊る』のよさは一人に集め切れるものではありません。

すみれさんには、青島とは違う形で現場に踏みとどまる強さがあります。青島の熱さを受け止める相手というだけでなく、自分の仕事として事件に向き合う人物です。すみれさんを恋愛の相手という枠だけで見ると、その魅力を狭くしてしまうと思います。

雪乃さんは、テレビ第1話では父を亡くした被害者の家族として登場します。放送ライブラリーの第1話紹介にも、彼女の置かれた状況が記録されています。放送ライブラリー・第1話

彼女がいることで、警察署の外にいる人から、この職場を見る視線が入ります。刑事の仕事が面白いだけでは足りない。その仕事の先に、傷ついた人がいる。この始まり方を押さえると、シリーズの人情は署内の仲間意識だけではないと分かります。

真下には真下の、室井には室井の役割がある。全員が青島と同じ性格になる必要はないし、全員が和久さんのように助言する必要もありません。

群像劇の楽しさは、いろいろな「格好よさ」が同じ場所に置かれることです。走る人もいれば、交渉する人もいる。黙って責任を受け止める人も、経験から一言だけ助ける人もいる。

見る側も、そのときの自分に近い人を選べます。若さに心が向くときもあれば、疲れている人の表情が気になるときもある。だから、時間を置いて戻る意味があるのです。

私の中で和久さんが強く残っていることも、この多様な人たちの中で、彼の役割が際立っていたからなのでしょう。

13.特別編を挟むと、事件と事件の間にも人生があると分かる

シリーズには、映画だけでなく、テレビの特別編があります。

『歳末特別警戒スペシャル』では、忙しい湾岸署に、退職後の和久まで呼び出されると公式に紹介されています。また『秋の犯罪撲滅スペシャル』では、護送中の逃走事件からすみれに疑いが向き、青島と和久が動く筋立てになっています。フジテレビ・歳末特別警戒スペシャル秋の犯罪撲滅スペシャル

特別編の価値は、大事件を追加することだけではないと思います。

連続ドラマが終わっても、この人たちの職場は続いている。年末が来れば忙しくなり、誰かが辞めても連絡は来る。テレビの最終回と、人物の人生の終わりは同じではない。そう感じさせてくれます。

『湾岸署婦警物語 初夏の交通安全スペシャル』のように、視点を変える作品もあります。映画だけを追うと見落としやすい枝ですが、別の人を中心にしても同じ世界が成り立つことは、舞台に厚みがある証拠です。フジテレビ・テレビ特別編を含む作品紹介

退職した和久さんが呼ばれるという設定にも、少し複雑な温かさがあります。役職や勤務先が変わっても、経験や関係まで消えるわけではない。ただし、いつまでもベテランに頼ればよいという話でもないでしょう。

頼れる人がいるうちに、何を受け取るのか。その人がいなくなったあと、自分たちはどう動くのか。後の作品を知った今は、そんな問いも、特別編の何気ない設定に重なってきます。

14.真下と室井の映画で、「正しい仕事」の形が増えていった

2005年には『交渉人 真下正義』と『容疑者 室井慎次』が公開されました。シリーズを振り返るなら、この二本も外せません。

『交渉人 真下正義』は、地下鉄の車両が乗っ取られる事件で、真下が交渉に当たる物語です。フジテレビ・交渉人 真下正義

ここでは、青島のように前へ走る力だけでは測れない能力が主役になります。相手の情報を受け取り、状況を読み、言葉を選ぶ。キャラクターの得意なことに合わせて、映画の緊張の作り方も変わるのです。

一方、『容疑者 室井慎次』は、捜査の責任を問われた室井自身が逮捕されるところから始まります。フジテレビ・容疑者 室井慎次の紹介

こちらは、責任を取る側の人間が、組織の中でどれほど孤立しうるかを考える入口になります。現場を守ってほしいと願うのは簡単でも、守る側に回った人の負担を、私たちはどこまで見ているでしょうか。

二本を並べると、シリーズの可能性は「青島がいないと成り立たないか」だけでは測れません。青島の周囲にいた人物が、それぞれの場所で何を引き受けるのか。それを見せることで、本編での関係まで立体的になります。

和久さんの人情に惹かれる私から見れば、ここでも大事なのは、人の価値を一つの能力や肩書きに閉じ込めないことです。後輩全員を自分のコピーにしない。違う強みを持つ人を、その人の働き方で信じる。そんな先輩像にも、自然につながっていく気がします。

15.和久さんがいなくなったあと、シリーズは何を受け継いだのか

いかりや長介さんは、2004年3月20日に亡くなりました。フジテレビの追悼番組案内にも、その日付が記されています。フジテレビ・追悼番組案内

ここで、俳優の死と、物語上の人物の扱いは分けて考えたいと思います。しかし、このシリーズでは、作り手の言葉の中でも、その喪失は深く重なっています。

2010年の織田裕二さんへのインタビューでは、和久さんの不在による大きな穴を感じ、続編へ進むには時間とアイデアが必要だったことが語られています。シネマトゥデイ・織田裕二インタビュー

新しい登場人物を入れれば、同じ人数に戻せる。けれど、関係まで元どおりにできるわけではありません。それを主演の人も感じていたのだと知ると、和久さんがいない寂しさは、単なる懐古ではなかったのだと思えます。

2010年の『THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』には、和久さんの甥である和久伸次郎が登場し、伊藤淳史さんが演じます。青島は係長となり、新しい部下を持つ立場になっています。フジテレビ・THE MOVIE3

さらに、伸次郎が形見の「和久ノート」を持ち歩くという設定は、公開前のキャスト発表でも説明されていました。ORICON NEWS・2010年のキャスト発表

ノートは、本人がいなくなったあとも言葉を残せるものです。でも、書いてあることを読むだけでは、その場に本人がいるのと同じにはなりません。だからこそ、残された人がどう解釈し、どう行動するかに意味が生まれます。

この変化を、単に旧メンバーから新メンバーへの交代として見るのは、少しもったいない。

教わる側だった青島が、教える側に回る。かつては上に向かって怒ればよかった人が、今度は自分の下にいる人の動きも考える。そのとき、和久さんならどうしただろうという問いが、見る側にも生まれます。

ただし、受け継ぐとは同じ台詞を同じ声で言うことではないはずです。目の前にいる部下は、昔の青島とは違う。職場も変わっている。だから、教えの中にあった大切なものを、自分の判断に変えていかなければならない。

誰かがいなくなったあとに、その人の言葉が本当に働き始めることがあります。困ったときに思い出し、自分の行動を決める。『踊る』の長さは、そうした継承を描ける長さでもあったのだと思います。

16.2012年の「最後」と、2024年の室井。事件のあとにも人は生きる

2012年には『THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件』と、『THE FINAL 新たなる希望』がありました。

テレビ特別編では、王刑事の結婚式に向けて湾岸署が動きます。映画の公式あらすじでは、警察が押収した拳銃に関わる事件が描かれます。フジテレビ・THE LAST TVフジテレビ・映画シリーズ案内

祝い事の準備と、深刻な事件。その距離が近いのも、このシリーズらしいところです。刑事にも生活があり、仲間の人生の節目がある。仕事だけで登場人物ができているわけではないと感じられます。

そして2024年には、『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』が公開されました。公式の紹介では、警察を辞めた室井が、事件の被害者家族や加害者家族を支えたいと考え、少年たちと暮らしています。フジテレビ・室井慎次 敗れざる者東宝・二部作の公式予告案内

この設定は、昔の和久さんの言葉を思い返すと、簡単には片づけられません。

偉くなることで実現しようとしたことがある。では、その組織を離れたあとには何が残るのか。役職がなくなったら、人を助けたいという願いまでなくなるのでしょうか。

もちろん、この二部作を一つの答えに要約するつもりはありません。ただ、公式に示された出発点だけでも、『踊る』の関心が、犯人を捕まえたあとに残る人生へと広がっていることが分かります。

事件は区切りをつけられても、関わった人の生活は続きます。その後を気にかけるという意味で、私はここにも、人情の物語としてのつながりを感じます。

仕事で何を成し遂げたかだけでなく、目の前の人にどう接するか。その問いは、制服や肩書きを離れても続いていく。長いシリーズだからこそ、人物の人生をそこまで追えるのだと思います。

17.好きだからこそ、思い出の中ですべてを完璧にしない

ここまでよさを中心に書いてきましたが、『踊る大捜査線』を、何もかも正しい作品として保存したいわけではありません。

人情に厚い人物にも、頑固さや危うさがあります。若い人を思うことと、自分の経験を絶対に正しいと思い込むことは、隣り合ってしまうことがある。私たちが和久さんから何かを受け取るなら、個々の振る舞いを無条件にまねるより、その奥にある、人を気にかける姿勢を考えたいと思います。

同じように、現場の判断が常に正しく、本部の判断が常に間違いだと受け取ってしまうと、物語が単純になります。現場には見えない全体の問題があり、全体を見ている人には見えにくい一人の痛みがある。だから、つなぐ人が必要なのです。

また、仲間の絆が強いことと、外の人にも開かれていることは別です。湾岸署が好きだからこそ、そこに属していない被害者や家族が置き去りになっていないかという視線も持っていたい。雪乃さんの登場から始まるシリーズを振り返ると、その視点には意味があると思います。

昔のドラマを今見る面白さは、当時とまったく同じ感想になることだけではありません。好きなところは変わらなくても、引っかかるところが増えることはあります。それは作品を裏切ることではなく、自分が別の時間を生きた結果でしょう。

懐かしさを大切にすることと、懐かしさだけで評価することは違います。

私は、人情に厚く、いい役だったという和久さんへの思いを、完璧な人だったという話に変えたくありません。不器用さも疲れもありながら、若い人を見ている。その人間らしさごと好きだった、と書くほうが、和久さんに近づける気がするのです。

18.2026年、青島が和久さんに近い年齢で帰ってくる

2026年9月18日公開予定の新作『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』では、青島は警視庁刑事部捜査第一課にいます。新作公式サイト

前の記事では、この所属変更を中心に書きました。けれど過去を調べ直すと、もう一つ、見逃したくない時間の変化があります。

9月6日の完成報告会を伝えた記事によると、織田さんは、青島がかつての和久さんと同じくらいの年齢になって戻ってきたことに言及しています。めざましmedia・完成報告会

俳優本人の年齢と、登場人物の年齢を混同して細かな数字を並べる必要はないでしょう。大切なのは、教わっていた青島が、教えていた人の時間に近づいたということです。

これは、昔から見ている側にも響く変化です。

最初は年上に見えた人物が、いつの間にか近い世代に感じられる。若い主人公を見ていたつもりが、その主人公も長い時間を生きている。連続して作られる物語には、そうした現実との交差があります。

新作で青島が和久さんと同じ役割を担うかどうかは、まだ分かりません。そうなるはずだと決めつけるのも違います。青島は青島であって、和久さんの代わりになる必要はないのです。

ただ、誰かが迷ったとき、昔の自分を思い出して立ち止まれる人になっているだろうか。若い人の熱意を、勢いだけで消費しないだろうか。組織の内側へ進んだとき、目の前の人を見る感覚を保てるだろうか。

私は、そんなところを見たいと思います。

青島がどれだけ走れるかに加えて、誰のために走り、走れない人にどう接するのか。その変化を見られるなら、長く待った時間にも意味がある気がします。

19.「もう一度、和久さんと芝居がしたい」という言葉

今回のリサーチで、最後まで心に残った情報があります。

9月18日放送予定の特番を案内するフジテレビの発表には、織田さんの言葉として、次の一節が紹介されています。

もう一度“和久さん”と芝居がしたい

フジテレビ・『この世界は1ダフル 踊る大捜査線スペシャル』告知

これは放送前の番組告知で確認した言葉です。私は番組を見たものとして語っているわけではありません。

それでも、この短い言葉は、ここまで調べてきたこととまっすぐにつながります。

役柄として大切だった。芝居の相手として大切だった。そして、もう一度会いたい人だった。

長いシリーズの復活には、会える喜びと、もう会えない人を思い出す寂しさがあります。新しい作品が始まっても、その寂しさまで更新して消すことはできません。

けれど、いなくなった人が残したものを、次の作品や次の人が持っていくことはできます。以前と同じ顔ぶれにならなくても、あの人がいたから今がある、と感じられる形で続くことはある。

和久さんは、そのことを考えさせる人物です。

彼の名前が出ると、単に過去のキャラクターを思い出すだけでなく、その人がいた頃の湾岸署を思い出す。そして、今の青島を見る目が少し変わる。そんな残り方をする役は、やはり特別だと思います。

20.振り返るなら、和久さんから始めてみたい

シリーズを一度に全部見直すのは、なかなか大変です。派生作品まで含めれば、映画の本数だけでは数え切れません。

そこで今回は、公開順を完全に網羅する一覧ではなく、この文章の軸に沿って、主要な流れを整理します。以下は今回扱った作品の年表で、短編・舞台・すべての派生作を含む完全版ではありません。

年 主な作品 今回の回顧で注目したこと 1997 テレビシリーズ、歳末特別警戒スペシャル 青島が和久から学び、湾岸署が居場所になっていく出発点 1998 初夏の交通安全スペシャル、秋の犯罪撲滅スペシャル、THE MOVIE 視点と舞台を広げながら、人間関係を引き継ぐ 2003 THE MOVIE2 大きくなった街と、現場で働く人の距離 2005 交渉人 真下正義、容疑者 室井慎次 走る、交渉する、責任を引き受けるという違う仕事 2010 THE MOVIE3 和久の不在と、部下を持つ青島 2012 THE LAST TV、THE FINAL 湾岸署の日常と、一つの区切り 2024 室井慎次 敗れざる者/生き続ける者 組織を離れたあとも続く、人を支える願い 2026 N.E.W.〈9月18日公開予定〉 年齢と所属が変わった青島に何が残るか

年・作品名は、本文中の放送局資料、作品紹介、公開時の取材記事、公式予告を参照しています。右列は本記事の考察です。

私なら、今回の気持ちのままに振り返る入口は、テレビ第1話と第2話にしたいと思います。

青島が職場の現実を知るところと、和久さんの危機を通じて人間関係が深まるところ。そこから二人の言葉に関心が向けば、第7話や最終話へ進む。映画第1作を見るなら、事件の結末だけでなく、和久さんが青島のそばにいる意味を意識してみる。

『THE MOVIE3』へ進んだら、今度は不在を見る。以前いた人がいない場所で、誰が何を引き受けているのかを考える。そうすると、作品を年代順に消化するのとは少し違う、一本の道ができます。

これは唯一の正しい順番ではありません。好きだった一本から戻ってもいい。ただ、最新作の予習という目的だけにすると、昔の作品が新作のための資料になってしまいます。

過去作には、それぞれを楽しむ時間があっていい。和久さんにもう一度会いたいからテレビ版を見る。それだけでも、十分な理由です。

21.やっぱり私は、和久さんが好きだった

私は『踊る大捜査線』を、テレビドラマの初期から見ていました。

その記憶を出発点にして調べ直しても、最後に戻ってくるのは、とても素朴な気持ちです。

和久さんは、人情に厚く、いい役だった。

最初と同じ言葉ですが、今はその中に、いくつもの理由があります。

若い人の勢いを知っていて、危険も教える。組織の現実を知っていて、それでも何かを託そうとする。自分自身にも傷や弱さがあり、ときには助けられる。いなくなったあとにも、あの人ならどうしただろう、と考えさせる。

そういう人がいたから、湾岸署は単なるドラマの舞台ではなく、人のいる場所になっていたのだと思います。

長く残る作品の魅力は、筋を全部覚えていることとは少し違います。事件の細部を忘れても、この人が好きだったという感情は残る。そして調べ直すと、その好きだった理由が、今の言葉でまた書けるようになる。

今回、私が引き出したかったのは、その感情でした。

大ヒットしたから名作、とだけ言うのではなく、どんな人がそこにいて、なぜ会いたくなるのか。『踊る大捜査線』を自分の記憶から語るなら、そこまで戻りたかったのです。

新しい青島が走るとき、その姿には、かつて青島を見ていた和久さんの時間も重なります。

同じ人は帰ってこなくても、その人から受け取ったものは、次の人の中に残る。

そういう物語だから、私は今も『踊る大捜査線』が気になるのだと思います。


情報確認日:2026年9月9日。

本記事は、筆者の「テレビドラマ初期から見ていた」「和久平八郎が印象的で、人情に厚い役だと感じている」という回顧を出発点に、公式作品資料・受賞記録・出演者への取材などで作品史を確認したものです。人物評価は筆者の考察です。過去作を今回すべて再視聴した鑑賞記録ではなく、出典付きの回顧・評論として構成しています。

台詞の長い書き起こしは避け、場面の説明には公式あらすじと記名媒体の解説を用いました。新作の評価や未公開の展開は含みません。放送・公開予定は変更される場合があります。

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