見出し画像

静寂の奥座敷



京都・南禅寺界隈にひっそりと佇む別荘群をテーマにしたドキュメンタリー、「ステータス」が、NHKで放送されました。


「究極の奥座敷」とされ、まず見ることはできない庭園を見せてもらえるチャンスだと思い、早くから録画予約して、楽しみにしていました。



門の向こうに広がるのは、もはや庭園という概念を超えた、ひとつの小宇宙のよう。
四季、天候、時間によって幾通りもの表情を見せてもらえる、究極のおもてなし。


画面越しでさえ息をのむ美しさと、それを支える人々の途方もない情熱に胸が熱くなります。


​政財界、経済界の巨頭たちが造営したこれらの庭園は、東山の借景と琵琶湖疏水の豊かな水を贅沢に引き込んだ、近代日本庭園の最高峰。


しかし、私たちが目にして感動する「圧倒的な美しさ」は、決して偶然や自然のままの姿ではありません。


そこには、数百年続く造園のプロフェッショナルの方々の果てしない手仕事が存在しています。


​ある庭園では、夜のライティングで映える水面のために、庭師さんが池底に敷き詰められた何千という石を、ひとつひとつ、こびりついた泥をきれいに洗い落とす作業をされていたのです。


池の水を抜いて、泥を落とし、石を磨き上げる。一見すると狂気にも思えるほどの美への執着と職人魂。
ですが、それこそが、ただの「きれいな庭」を「人の心を揺さぶる芸術」へと昇華させている理由なのだとひしひしと感じました。


自然のままに見える景色の、その奥に、「無作為の作意」という意図が静かに息づいています。


青々と敷き詰められた苔の絨毯、水のせせらぎに調和する樹木の枝ぶり。それらはすべて、日々庭と対話し、草を抜き、落ち葉を拾い、木々の声を聞く庭師の方たちの積み重ねの結晶です。


そしてもうひとつ、この南禅寺界隈別荘群を語る上で欠かせないのが「受け継ぐ人々」と「お互い様」の精神だそうです。


​時代の移り変わりとともに、別荘の持ち主(所有者)は変わっていきます。しかし、新しくオーナーとなった人々は、決して己の所有物としてのみ庭を扱うのではないようです。


「自分は歴史のほんのひとコマを預かっているに過ぎない」という謙虚な情熱を持ち、莫大な維持費と手間を投じて、その美しさを次の世代へとそのまま伝えようと努力します。


​さらに、これらの庭園は琵琶湖疏水という一本の水を介してつながっています。


上流の庭が水をきれいに使い、下流の庭へと流す。自らの庭の美しさだけを追求するのではなく、界隈全体として美を守り、環境を分かち合う。ここには古き良き日本の「お互い様」の美徳が、目に見える形となって息づいているのです。


​美しさは、奇跡ではなく「意志」で作られる。


​南禅寺界隈の庭園を垣間見せていただき、私は、ただその圧倒的な美しさのみならず、時代を超えて美を紡いできた庭師の方々の思い、オーナーたちの覚悟、そして地域全体で育まれた美意識の歴史そのものを感じているのかもしれません。


なんともいえない静かな贅沢、満たされた時間、日本と、日本人の精神の素晴らしさを、堪能させていただきました。


​次に京都を訪れるときは、また新たな視点を持って、それらを磨き続けてきた人々の手仕事に、静かに思いを馳せてみようと思うのです。



いいなと思ったら応援しよう!