CGコードやSSBJ(サステナビリティ開示基準)を廃止すべき理由
最近、企業を取り巻く「開示」の要求が、ずいぶん増えています。
コーポレートガバナンス。
人的資本。
多様性。
気候変動。
CO₂排出量。
サステナビリティ。
どれも、言葉だけを見れば反対しづらいものばかりです。
企業は適切に統治されるべきですし、環境への配慮も必要です。
従業員を大切にすることも、多様な人が働ける環境をつくることも大切だと思います。
私は、そうした考え方そのものを否定したいわけではありません。
それでも、企業の内部からこうした制度対応を見ていると、
コーポレートガバナンス・コード(CGコード)やサステナビリティ開示基準(SSBJ)によって、外から企業に「あるべき姿」を求め続けることに、本当に意味があるのだろうか。
と思うことがあります。
むしろ最近は、
サステナビリティとは、本来これほど強制されるものなのだろうか。
という疑問のほうが大きくなっています。
CGコードとSSBJとは
コーポレートガバナンス・コード、いわゆるCGコードは、上場企業の企業統治について基本的な原則を示したものです。
法律のように、すべてを一律に強制する仕組みではありません。
ただし、原則を実施しない場合には、その理由を説明する「コンプライ・オア・エクスプレイン」という考え方が採られています。
CGコードは2026年7月にも改訂され、金融庁と東京証券取引所から改訂版が公表されています。
一方、SSBJは、日本のサステナビリティ開示基準です。
現在はプライム市場上場企業のうち、時価総額の大きい企業から段階的に適用義務化が進められており、3兆円以上は2027年3月期、1兆円以上3兆円未満は2028年3月期からの適用となっています。
そして、ここで一つ確認しておきたいことがあります。
SSBJの一般開示基準は、その目的を、
「財務報告書の主要な利用者が、企業に資源を提供するかどうかを判断するために有用な情報を提供すること」
としています。
その主要な利用者とは、現在および潜在的な投資者、融資者、その他の債権者です。
つまり、サステナビリティという言葉から受ける印象とは少し違って、
制度としてはかなり明確に、資本を提供する側が企業を評価するための情報開示という性格を持っています。
もちろん、投資家に適切な情報を提供すること自体は必要です。
問題は、そのために企業へ求めるものが、どこまで広がっていくのかということです。
サステナビリティは、自生するものではないか
私は、サステナビリティとは本来、
企業の内側から自生するもの
だと考えています。
会社を長く存続させたい。
従業員が辞めない会社にしたい。
地域との関係を大切にしたい。
エネルギー価格が上がっているから、省エネを進めたい。
資源を無駄にすればコストも増えるから、廃棄物を減らしたい。
そうした必要性を感じた企業は、「サステナビリティ」という言葉が一般化する以前から、似たような取り組みをしてきたはずです。
逆に、必要性を感じない企業はやらない。
その結果として、
人材から選ばれなくなるかもしれない。
顧客から支持されなくなるかもしれない。
資本市場から評価されなくなるかもしれない。
それも含めて、企業自身の経営判断ではないでしょうか。
私は、それでいいと思っています。
自分たちの会社に何が必要なのかを考え、自分たちで意思決定をして、その結果について責任を負う。
それが経営だと思うからです。
ところが外部から細かな基準を設定すると、
「この会社をどう持続させるのか」
ではなく、
「この基準にどう適合するのか」
へと思考が変わっていきます。
本来なら、
経営 → 取り組み → 開示
だったはずのものが、
開示基準 → 取り組み → 経営
になってしまう。
私は、この順番の逆転に違和感があります。
CO₂排出量を精緻に計算すれば、本当にエコなのか
その象徴の一つが、CO₂をはじめとする温室効果ガス排出量の算定です。
SSBJでは、Scope1(燃焼等による自社の直接排出)、Scope2(電気使用等による自社の間接排出)だけでなく、バリューチェーン上のScope3についても温室効果ガス排出量の測定・開示が求められます。
もちろん、CO₂排出量を把握することには意味があります。
ただ私は、
CO₂排出量という数字を精緻にすることと、本当に環境に優しいことは同じなのだろうか
と思うことがあります。
たとえば、水素です。
環境負荷の小さいエネルギーとして、「グリーン水素」が注目されています。
再生可能エネルギーなどで作った電気を使い、水を電気分解して水素を作る。
その水素を使用する段階だけを見れば、CO₂をほとんど排出しないという利点があります。
でも、一度エネルギーの流れそのものを見てみます。
まず、電気があります。
その電気を使って水を電気分解する。
そこで水素を作る。
しかし、投入した電気エネルギーが、そのまま100%水素のエネルギーになるわけではありません。
エネルギー効率は100%ではなく、変換過程で損失が発生します。
さらに、その水素を燃料電池で再び電気に戻す場合には、そこでも変換損失が生じます。燃料電池も高効率ではありますが、電気への変換効率が100%になるわけではありません。
つまり、
電気 → 水素 → 電気
と変換すればするほど、最初に投入したエネルギーの一部は失われていきます。
それなら、最初から電気を直接使える用途については、
わざわざ一度水素へ変換する必要があるのだろうか。
という疑問が出てきます。
もちろん、水素そのものが不要だと言いたいわけではありません。
電気をそのまま使うことが難しい産業や輸送、エネルギー貯蔵など、水素だからこそ担える領域もあります。IEAも、直接電化が容易ではない分野で低排出燃料が必要になるとしています。
私が問題にしたいのは、
「CO₂排出量が少ない」という一つの指標だけをもって、「環境に良い」と単純化してしまうこと
です。
そのエネルギーを作るまでに、どれくらいの電気を使ったのか。
どれくらいの変換ロスが生じたのか。
設備を製造するために、どれくらいの資源を使ったのか。
輸送や貯蔵には、どれくらいのエネルギーが必要なのか。
廃棄時には、どんな環境負荷が生じるのか。
本当に「環境」を考えるなら、本来はもっと広い視野で見る必要があります。
それでも制度として一つの指標を設定すると、
「この排出係数なら数字が小さい」
「こちらの方がCO₂換算値を下げられる」
という判断が先に立ちやすくなる。
すると、
環境負荷を減らすこと
から、
KPIを達成するためのCO₂削減
へと、目的が少しずつ置き換わっていきます。
KPI自体が達成されるのは経営としては間違っていません。KPIとしてCO₂削減を経営指標に置くことが悪いというわけではありません。
しかし、ここでの問題は、KPIが単にCO₂削減という表面上の言葉だけを見て、内容を正しく理解しない状態で立てられたものである場合には、CO₂削減の手段として、環境保全上適切でないものが選択されてしまうリスクを含んでいるということです。
その弊害として、熱海などで起きた太陽光パネルの大量設置による土砂災害が挙げられると思います。
単に環境に良さそうだからといって太陽光パネルが大量に設置されています。ここには、将来の廃棄コストなども度外視されています。
測定できるものを精緻に測ることと、
本当に環境に良いことは、
必ずしも同じではないと思うのです。
形式を整えても、中身は変わらない
そして、私がCGコードやサステナビリティ開示に最も疑問を感じる理由がここです。
外側の形式を整えても、企業の中身まで良くなるとは限りません。
外向きには、
「サステナビリティを重視しています」
「人的資本を大切にしています」
「多様性を尊重します」
「ガバナンスを強化します」
と、立派な言葉が並びます。
でも、そのテーマに経営陣がどれほど本気で関心を持っているのかは別の話です。
場合によっては、
「必要な開示だから、適当に形を整えておいて」
くらいの温度感になってしまうこともあります。
そして仕事は担当部署へ流れてくる。
数字を集める。
KPIを作る。
前年との整合性を見る。
基準に抵触しない文章を考える。
開示資料として見栄えを整える。
最後に経営側が承認する。
それで立派な資料が完成します。
でも、
会社の中身は何か変わったのでしょうか。
こうなってしまうと、
「企業を良くするための開示」
ではなく、
「開示を良く見せるための資料の作り込み」
になります。
ガバナンス制度があっても、不正は起きる
最近の不正事案を見ても、その思いは強くなります。ニデックやエア・ウォーターの事例がまさにそうです。
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