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「普通の生活」はどこに行った?――物価高で失われる中間層

スーパーに行くたびに、また値段が上がったと感じます。

1回の買い物で使うお金が年々増えていく。
レジで会計をするとき、支払金額を見るたびに金額が高くて悲しくなります。

それが毎日積み重なると、月々の支払いも余裕がなくなっていく感覚が強くなります。

給料自体はそこまで変わってないのに、引き落としの額だけ増えている。少し前だったらもう少し貯金などもできていたように思います。


ここ最近の物価高について考えると、本当に生活に余裕がなくなっているいるなぁと感じます。


普通に働いていれば、普通に暮らしていけるという安心感がどこかに行ったようにも感じます。

そんなことを思うのは私だけではないはずです。


また食品が値上がりする


値上げは毎年起こり続けています。

2026年10月には、主要食品メーカーだけでも3,000品目を超える値上げが予定されているみたいです。

食品の値上がりは生活に直結するので、より敏感にならざるを得ません。

食品は旅行や趣味とは違い、

「高くなったから今年は買わない」

とはできません。


食品以外にも、電気やガス、ガソリンなどの価格も生活への影響が大きいです。

家賃や住宅ローン金利もです。

生活必需品の値段が上がれば、その分だけ別の何かを削るしかありません。

その分収入が上がっていれば良いですが、物価水準以上に賃上げできる企業も限られているので、やはり固定費などの支出をいかに減らすかでしょう。

最初に減らすのは、外食、旅行、服、趣味などの趣味嗜好品への支出でしょうか。


それでも足りなければ貯金する金額を減らし、さらに厳しくなれば、これまでの貯金を取り崩すほかありません。

そのとき怖いのが、今まで貯金や資産を積み上げてきた中間層の人たちが、だんだん減っていってしまうことです。

中間層の人たちの中には、子どもを持つ世帯の割合も多く含まれていると思うので、家族を養っていく負担が大きくなってしまうのではと思います。


物価高の中でも生活そのものは続いている。

でも、その裏側では、

中間層の「余白」が静かに削られているのではないでしょうか。

もちろん、中間層以外の人にも影響があり、低所得者層の人たちにとっては、より深刻な問題であることは言わずもがなです。


エネルギー問題は、本当に終わったのか


そして私は、この物価高がこれで終わるのかについても不安を感じています。


特に懸念が大きいと感じるのは、中東情勢です。

中東情勢について最近は報道が減少しているような感覚がありますが、事態はほとんど上向いていません。

原油調達問題もナフサ問題も、解消されているわけではありません。


日本は原油の大部分を中東に依存しています。

中東情勢の悪化に対して、日本はこれまで国家備蓄の放出やアメリカなどからの代替調達などによって対応してきました。


そのため、ガソリンスタンドにはガソリンがあり、スーパーにも商品が並び、表面上は社会が普通に動いているように見えます。

しかし、

「問題が解決した」のではなく、「備蓄放出によって時間を稼いでいる」だけではないかと思います。

輸出を増やしているアメリカの石油備蓄量は過去最低水準を今も推移しています。

アメリカの戦略石油備蓄(SPR)の動きを見ると次のようになっています。

3月27日:約4.15億バレル
→ 5月29日:約3.57億バレル
→ 6月26日:約3.26億バレル
→ 7月31日:約3.05億バレル
→ 8月28日:約2.87億バレル

わずか5か月ほどで、約1.28億バレル、約31%減少したことになります。

備蓄は生産ではありません。

使えば減ります。

さらに、ホルムズ海峡だけでなく、代替輸送路となるバブ・エル・マンデブ海峡周辺に安全保障上のリスクがあります。


迂回すれば当然輸送距離が延び、燃料、運賃、保険料などのコストも増えます。


そして最近、報道されなくなったナフサ問題。

ナフサはプラスチック、包装材、フィルム、容器など、多くの石油化学製品のもとになるものです。

報道されなくなったのは、シンナーや溶剤系塗料などのナフサ由来製品が、現に流通しているからです。

しかし、

今現在不足していない=調達リスクが解消された

ではありません。


今後起こってくるのは、需給逼迫や輸送コスト増大に伴う価格の上昇です。

そして、最悪の場合、中東以外の産油国の輸出規制が始まって、石油やナフサ自体が調達できなくなることです。


その影響は、ナフサ由来製品のみならず、さまざまな日用品や食品などにも起こってきます。

中東情勢の影響は、時間差を伴いながら食品や日用品の価格へ入り込んでくるのです。


中間層が痩せると、経済も痩せていく


私は、中間層とは単なる所得区分ではなく、

日本経済の中でお金を循環させる巨大なポンプのような存在

だと思っています。

家や車を買う。

外食をしたり旅行に行く。

子どもを育てる。

その過程においても、さまざまな産業や分野でお金が回っていきます。

中間層の割合が多ければ多いほど、経済が循環していくのです。


しかし生活の余白がなくなれば、

「車はもう少し乗ろう」

「家を買うのはやめよう」

「旅行は控えよう」

となります。

一人なら小さな節約です。

でも何百万人、何千万人が同じ行動を取れば、

国内経済そのものから、お金の循環が失われていってしまいます。

これは、経済へのダメージも相当大きくなり、不景気が不景気を生む悪循環になりかねません。


さらに心配なのが少子化です。

子どもを持つかどうかは、もちろん経済だけで決まるものではありません。

それでも、

この先も生活できるのか。

住宅費を払えるのか。

教育費を負担できるのか。

自分の雇用は維持されるのか。

そんな不安が強くなれば、結婚や出産に慎重になる人が増えても不思議ではありません。


子どもが減れば、将来の消費者も減り、国力が衰えていきます。

国内市場が縮小し、企業は海外へ向かい、国内投資も弱くなるし、

それによって中間層がさらに痩せれば、また国内消費が弱くなってしまいます。

一つ一つは合理的。でも全部つなげると


企業が値上げする。

原材料が高いのですから合理的です。

家計が節約する。

これも合理的です。

将来が不安だから、家や車を買わない。

子どもを持つことに慎重になる。

それも個人から見れば合理的な判断でしょう。

しかし、

全員が合理的に行動した結果、社会全体が悪い方向へ向かうことがあります。


個々の合理性と、社会全体の合理性は必ずしも一致しません。しかし、これらの行動は、経済への不安から来ていることなので、当然と言えば当然のことなのです。

私たちはただ、普通の生活を送りたい


「来年も今くらいには暮らせるだろう」

「少し貯金すれば車を買えるだろう」

「働き続ければ家を持てるだろう」

「子どもが生まれても何とか育てていけるだろう」

そんな小さな安心感が、人を消費へ向かわせ、家庭をつくらせ、次の世代へお金を循環させていたのではないでしょうか。

今、その安心感が少しずつ失われているように感じます。

社会が壊れるとき、ある日突然すべてが止まるとは限りません。

普通に暮らしていた人たちから、少しずつ「余白」がなくなっていく。

そして気づいたときには、

「普通に働けば、普通に暮らせる」

という当たり前の考え方そのものが失われているのかもしれません。


未来を安心して選択するための「余白」

私たちはただ、それを望んでいます。

しかし、ただ望むだけではなく、私たちは政治や経済に関心を持ち、国民としての声を上げていくことが大事なのだと思います。

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