ガチャガチャの前で、引き際を失った
「一回だけ。」
本当に、そのつもりだった。
先日、たまたま立ち寄った場所で気になるガチャガチャを見つけた。欲しいものがあったのだが、一回数百円とはいえ生活に必要なものではない。回すか、やめておくか。少し悩んだ。
しかし、買わずに帰ってから「あの時やっておけばよかった」と後悔するのも嫌だったので、一回だけ回してみることにした。
結果はハズレ。(欲しくないもの)
もちろん、ガチャガチャなので欲しいものが必ず出るわけではない。
ここで終わればよかった。
「もう一回だけ」が始まった
せっかく見つけたのだから、もう一回くらいやってもいいだろう。
二回目を回した。
出ない。
「まあ、次は出るかもしれない。」
もう一度回した。
また出ない。
気づけば、最初に決めた「一回だけ」という約束は完全に消えていた。
そして自分の中に、謎の闘争心が芽生え始める。
ここまで来たら、意地でも出してやる。
今思えば、一体誰と戦っていたのだろう。ガチャガチャなのか、確率なのか、それとも途中でやめられない自分自身なのか。
何度か回した末、ようやく欲しかったものが出た。
「やっと出た!」
その瞬間はかなり嬉しかったし、謎の達成感すらあった。
しかし、家に帰る頃には少しずつ冷静になっていた。
欲しかったものが出たのに、少し後悔した
家に帰り、手に入れたものを改めて眺めてみる。
確かに欲しかったものだ。嬉しい。
でも同時に、頭の中に別の感情が浮かんだ。
「そこまでして欲しかったものだっただろうか。」
使った金額を考える。
回した回数を思い出す。
一回で出ていたら、間違いなく大満足だったと思う。でも、何度も回した末に手に入れたことで、喜びの中に少しだけ後悔が混ざっていた。
欲しかったものは手に入った。
それなのに、素直に「買ってよかった」と思えない。
なんとも不思議な感覚だった。
「欲しい」が「負けたくない」に変わっていた
振り返ってみると、途中から目的が変わっていたのだと思う。
最初は単純だった。
欲しいものがあるから、ガチャガチャを回す。
でも、何度か外れた頃には違っていた。
「ここでやめたら負けた気がする。」
「次こそ出るかもしれない。」
「ここまで回したんだから、出るまでやりたい。」
欲しいから回していたのではない。負けたくないから回していた。
人は夢中になっている時、自分の目的がすり替わったことになかなか気づけない。
自分もガチャガチャの前では完全に冷静さを失っていた。
たかがガチャガチャ。
でも、自分の中にある「意地」や「執着」が、想像以上に簡単に顔を出した。
「ここまでやった」が、引き際を奪う
「もう何回も回したんだから。」
「ここまでお金を使ったんだから。」
「今やめたら、今まで使ったお金が無駄になる。」
おそらく、自分の頭の中にはこんな考えがあった。
過去に使ったお金や時間を惜しむあまり、その後の判断まで引っ張られてしまう。こうした心理は「サンクコスト」と呼ばれている。
冷静に考えれば、それまで何回回したかと、次に欲しいものが出るかどうかは別の話だ。
それでも、「ここまでやった」という事実が、次の一回を回す理由になっていた。
過去に使ったお金が、次のお金の使い方まで決め始めていた。
少し怖い話だと思う。
ガチャガチャだけの話ではなかった
今回の出来事は、たかが数百円のガチャガチャから始まった話だ。
でも、考えてみると似たようなことは人生の中にもある。
「ここまで続けたから。」
「ここまで時間を使ったから。」
「ここまでお金を使ったから。」
その理由だけで、何かを続けていることはないだろうか。
仕事、趣味、人間関係。もしかすると、買い物や投資でも同じことが起こるかもしれない。
本当はもうやりたくない。
本当は別の道に進みたい。
それでも、過去に使った時間やお金を無駄にしたくなくて、やめられない。
ガチャガチャの前でムキになっていた自分を思い返して、少し考えさせられた。
人は案外簡単に、**「やりたいから続ける」と「ここまでやったから続ける」**を見失うのかもしれない。
引き際を失った時こそ、目的を思い出す
欲しかったものは、最終的に手に入った。
だから、今回の出来事が完全な失敗だったとは思わない。ガチャガチャを回す時間も、それなりに楽しかった。
ただ、次に同じような場面が来たら、一度だけ自分に聞いてみたい。
「今も欲しくて続けているのか。それとも、ここまでやったから続けているのか。」
この二つは、似ているようで全く違う。
やめることは、負けることではない。
途中で目的が変わっていることに気づいたなら、そこで一度立ち止まってもいい。
ガチャガチャの前で引き際を失ったからこそ、自分の中にある「やめられない理由」に気づくことができた。
……まあ、次に欲しいガチャガチャを見つけた時、冷静でいられる保証はないけれど(笑)
