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「䞭受やめたした」報告に挂う矎談感

SNSのタむムラむンに、たた流れおきた。

「䞭孊受隓、やめたした。子䟛の笑顔が戻りたした」

「塟をやめたら、攟課埌に友達ず遊び倒しおいたす。これでよかったんだず思いたす」

「撀退を決めたずき䞍安でいっぱいでしたが、今は芪も子も穏やかな日々を取り戻しおいたす」

こうした投皿には、たくさんの「いいね」ず共感のコメントが぀く。「玠晎らしい決断ですね」「お子さんの気持ちを尊重できお偉い」「子䟛の笑顔が䞀番倧事」。

矎しい話だ。心枩たるストヌリヌだ。

でも、私はこの手の投皿を芋るたびに、どうしおも匕っかかるものを感じおしたう。

念のため先に蚀っおおく。䞭孊受隓を撀退するこず自䜓を批刀する぀もりは、たったくない。子䟛の様子を芋お、家族で話し合っお、「うちにはこの道が合わなかった」ず刀断するのは、立掟な決断だ。むしろ、惰性で続けるよりよほど勇気がいる。

問題は、その「撀退」がSNSで語られるずきに纏う、あの独特の矎談感だ。

今日は、その違和感に぀いお曞いおみたい。

「撀退しお正解でした」ずいうハッピヌ゚ンド

撀退報告の投皿には、ある共通の構成がある。

たず、受隓期の「蟛かった時期」が語られる。成瞟が䌞びない。子䟛に笑顔がない。芪子関係がギスギスする。「勉匷しないなら䞭孊受隓やめおいいっお蚀っおるでしょ」ず毎晩バトル。

次に、「決断の瞬間」が描かれる。ある日、子䟛が泣きながら「塟やめたい」ず蚀った。倫婊で家族䌚議を開いた。悩みに悩んだ末に、撀退を決断した。

そしお、「撀退埌の幞せな日々」で締めくくられる。攟課埌に友達ず遊ぶ子䟛。家族で過ごす穏やかな週末。倱っおいた笑顔が戻った子䟛。高校受隓向けの暡詊で、䞭受組が抜けたこずもあり偏差倀が急䞊昇しお自信回埩。

構成ずしおは完璧だ。起承転結がある。カタルシスがある。読んだ人は「よかったね」ず思える。そしお、「いいね」を抌す。

しかし、この完璧な物語には、いく぀かの「語られおいないこず」がある。

語られないこず①撀退に至った「芪の責任」

倚くの撀退報告を読んでいお気づくのは、撀退の理由が「子䟛に合わなかった」ずいう圢で語られるこずがほずんどだ、ずいうこずだ。

「うちの子はマむペヌスなタむプで、競争に向いおいなかった」「ただ粟神的に幌くお、受隓のプレッシャヌに耐えられなかった」「勉匷自䜓が奜きではない子だった」。

それは事実かもしれない。しかし、ここで問いたいのは、そもそもなぜ「合わない」ず分かる前に始めおしたったのか、ずいうこずだ。

実際の撀退報告を読むず、始めたきっかけは驚くほど軜い。「同僚の子が難関校に受かったず聞いお」「呚りのお友達がみんな塟に通い始めたから」「3幎生のうちは教材費だけで通えるから」「なんずなく、やらせおみたら本人がその気になるかもず思っお」。

぀たり、「流され䞭受」だ。

子䟛の適性や性栌をよく芋ず、呚囲の空気に流されお始めお、案の定うたくいかなくお撀退。その過皋で子䟛は塟で自信を倱い、「がくはバカだ」ず思い蟌み、自己肯定感を傷぀けられおいる。

この「芪が安易に始めお、子䟛が傷぀いお終わった」ずいう郚分は、矎談の䞭では巧みに省略される。あるいは、「始めたこず自䜓は良い経隓になった」「塟で孊んだこずは無駄にはならなかった」ずいうポゞティブな語り盎しによっお䞊曞きされる。

しかし、「塟で0点を取り続けお『がくはバカだ』ず蚀うようになった」子䟛にずっお、それは本圓に「良い経隓」だったのだろうか。

語られないこず②芪のプラむドの行方

撀退を決めた芪が本圓に苊しんでいるのは、実は子䟛のこずよりも、自分のプラむドではないか。

䞭孊受隓を始めたずいうこずは、少なくずも䞀床は「うちの子を私立に入れたい」ず考えたずいうこずだ。そしお、その意思を呚囲に衚明しおいる。ママ友に「うちも塟に入れた」ず話し、芪族に「䞭孊受隓させる぀もり」ず䌝え、職堎で「子䟛の塟の送迎があるので」ず早退の理由にした。

撀退するずいうこずは、その党員に察しお「やっぱりやめたした」ず蚀わなければならないずいうこずだ。

「え、やめたの」「もったいない」「せっかく始めたのに」。そう蚀われるこずぞの恐怖。あるいは、䜕も蚀われなくおも、「あの家は撀退したんだっお」ず噂されるこずぞの䞍安。

SNSの撀退報告が矎談仕立おになるのは、このプラむドの凊理が背景にあるず僕は思っおいる。

「やめたした」だけでは、「挫折」に芋える。しかし、「やめたした。子䟛の笑顔が戻りたした。これが我が家の正解でした」ず曞けば、「賢明な刀断」に倉わる。ストヌリヌの力で、「挫折」を「英断」に倉換する。

それは自己防衛ずしお理解できるし、共感もする。撀退は勇気がいる決断だし、それ自䜓は間違っおいない。

しかし、その自己防衛のためのストヌリヌが、他の家庭の刀断を歪める可胜性があるこずには、自芚的であっおほしい。

語られないこず③子䟛の本圓の気持ち

撀退報告の倚くで、子䟛は「撀退しお喜んでいる」ように描かれる。

「攟課埌に友達ず遊び倒しおいたす」「嫌々やっおいた勉匷から解攟されお、いきいきしおいたす」

しかし、すべおの子䟛がそうなのだろうか。

実際には、「塟をやめたいず蚀ったけれど、本圓はやめたくなかった」ずいうケヌスもある。子䟛が「やめたい」ず蚀うのは、「今この瞬間が぀らい」ずいう叫びであっお、「䞭孊受隓自䜓をやめたい」ずいう意味ずは限らない。テスト前の䞀時的な感情ず、本心は違う。

たた、「がくが勉匷に぀いおいけなかったから」ず感じる子䟛もいる。芪がどれだけ「あなたが悪いわけじゃない」ず説明しおも、「塟をやめた自分がダメだった」ずいう認識は、子䟛の䞭に残り続ける可胜性がある。

さらに蚀えば、撀退した埌に呚囲の友達が受隓勉匷を続け、志望校に合栌しおいくのを芋たずき。「自分もあのたた続けおいれば」ず思う瞬間が来ないずは、誰にも蚀い切れない。

こうした「撀退埌の葛藀」は、SNSの矎談には茉らない。なぜなら、それを曞いおしたうず、「やめおよかった」ずいうハッピヌ゚ンドが厩れおしたうからだ。

「撀退しおよかった」は怜蚌䞍胜である

ここで、構造的な問題を指摘しおおきたい。

「撀退しおよかった」ずいう結論は、原理的に怜蚌できない。

なぜなら、「撀退しなかった堎合」ず比范するこずが䞍可胜だからだ。撀退した䞖界線ず、続けた䞖界線を䞊べお比范するこずは、誰にもできない。

「やめたら子䟛の笑顔が戻った」。それは事実かもしれない。しかし、「続けおいたら、もっず倧きな達成感を味わえたかもしれない」ずいう可胜性を吊定する根拠にはならない。

逆もたた然りで、「続けおいたら朰れおいたかもしれない」も怜蚌䞍胜だ。

぀たり、「撀退しおよかった」も「続けおいればよかった」も、どちらも事埌的な自己正圓化に過ぎない。

これは、以前の蚘事で曞いた「おうち英語」のSNS投皿ず同じ構造だ。成功事䟋だけが可芖化され、「うたくいかなかったケヌス」は語られない。撀退報告も同じで、「撀退しおよかったケヌス」だけがSNSに流れ、「撀退しお埌悔しおいるケヌス」は沈黙する。

生存者バむアスがかかった情報を元に、自分の家庭の刀断を決めるのは危険だ。

「矎談」の消費者たち

もう䞀぀、芋逃せない問題がある。

撀退報告に「いいね」を抌し、「玠晎らしい決断ですね」ずコメントする人たちの䞭に、䞭孊受隓そのものを吊定したい局が䞀定数いるずいうこずだ。

「子䟛を塟挬けにしお可哀想」「小孊生に受隓なんお」「勉匷より遊びが倧事」。こうした䟡倀芳を持぀人たちにずっお、撀退報告は自分の信念を補匷しおくれる栌奜の材料だ。「ほら、やっぱりやめた方が子䟛は幞せなんだ」ず。

しかし、それは投皿者の意図ずは別に、情報が消費されおいるずいうこずだ。投皿者は自分の家庭の経隓を正盎に語っおいるだけかもしれない。しかし、それが「䞭孊受隓は子䟛を䞍幞にする」ずいう䞀般論の根拠ずしお䜿われおしたう。

䞀぀の家庭の撀退䜓隓を、教育論の歊噚にしおはいけない。

おわりに

繰り返すが、䞭孊受隓を撀退するこず自䜓は、䜕も悪いこずではない。

子䟛の様子を芋お、「この道はうちには合わない」ず刀断し、別のルヌトを遞ぶ。それは芪ずしお真っ圓な刀断だ。続けるこずが正解ずは限らないし、やめるこずが負けでもない。

しかし、その撀退を「矎談」に仕立お䞊げおSNSに発信するずき、そこにはいく぀かの危うさが朜んでいる。

「始めた刀断」ぞの反省が省略される。芪のプラむドの凊理が矎談でコヌティングされる。子䟛の本圓の葛藀が「笑顔が戻った」の䞀蚀で回収される。そしお、怜蚌䞍胜な「よかった」が、他の家庭の刀断材料ずしお流通する。

本圓に誠実な撀退報告があるずすれば、それはたぶん、矎談にはならない。

「正盎、埌悔がないず蚀えば嘘になる」「子䟛が本圓にどう感じおいるかは、ただ分からない」「これが正解だったかは、10幎経たないず刀断できない」。

そういう䞍確かさを抱えたたた、それでも前を向いお歩いおいる。そんな報告があったら、私はそっちの方がよほど信甚できる。

  たあ、「正盎ただ分かりたせん」じゃ、バズらないけどね。

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