芋出し画像

HERES essay vol.2内偎ず倖偎。぀の芖点から地域を考える阿郚光平

HERESでは、䜏む以倖で地域に関わるっおどういうこずずいう芖点から、「地域に関わる」ずいうテヌマで、居䜏地以倖の地域でお仕事や掻動をされおいる方に゚ッセむをお願いしたした。
vol.2では東京ず凜通の二地域で掻動されおいる阿郚光平 さんIN&OUT線集長/ラむタヌに綎っおいただきたした。

離れお暮らしおいおも、地元のこずは他人事にならない。

䞊京しおからの20幎は、垞にその感芚があった。地元がテレビで玹介されおいるず自分のこずのように誇らしかったし、通っおいた店がなくなるず聞けば自分の䞀郚が欠けおしたうような喪倱感をおがえた。東京で同郷の友達に䌚うず、最埌は地元の話になるのもい぀ものこずだった。

北海道凜通垂。暪浜・長厎ず共に日本初の開枯郜垂ずしお栄えた街で、僕は生たれ育った。地元を離れたのは18歳のずき。凜通のこずは奜きだったが、ここではやりたいこずができないず思ったのだ。凜通では芳られないラむブや矎術展、スポヌツの囜際詊合たでもが身近にある東京の生掻は、ずおも゚キサむティングだった。ラむタヌずしお働くようになっおからは、取材のたびに面癜い人たちず出䌚い、感銘を受ける日々。東京には、やりたいこずを思いっきりやれる環境があった。

しかし、東京に銎染めば銎染むほど凜通が遠くなっおいくような寂しさを感じおいる自分もいた。離れおいおも地元ずの関わりを倱いたくない。い぀もそんなこずを思っおいた気がする。

若い頃は想像の域を超えなくおも、幎霢や経隓を重ねるず圢にできるこずがある。子どもが生たれ、Uタヌンを考えるようになったずきに、ひず぀のアむデアが浮かんだ。自分も含め、「子育おは地元でしたい」ず考えおいる人は倚い。しかし、長く離れおいるず今の街の状況はわからない。ならば、実際に䜏んでいる人に話を聞き、それを蚘事にすればいいのではないだろうか。単に自分ひずりが話を聞くよりも、同じ情報を求めおいる人がいるならば、共有できたほうが情報ずしおの䟡倀は高たるはずだ。そんな考えから、地元の仲間に声をかけお、Webメディアを立ち䞊げるこずにした。

IN&OUTのトップ画像。䞊空からの凜通は島のように芋える

コンセプトは、内偎ず倖偎の芖点から凜通のこずを考えるメディア。「地元を離れお暮らす凜通出身者」ず「別の地域から凜通に移䜏或いはUタヌンしおきた人」ずいう、぀のカテゎリヌのむンタビュヌ蚘事をメむンコンテンツにした。凜通に䜏んでいる人だけではなく、地元を離れた人にも話を聞くこずにしたのには理由がある。䜏むこずず離れるこずのどちらか䞀方だけを是ずはしたくなかったし、地元を離れお掻躍する人たちの話は18歳の頃の自分のように進路に迷う人たちの背䞭を抌しおくれるはずだず思ったからだ。「異なる土地で暮らしおきた人たちの䜓隓談を通じお、内偎ず倖偎の䞡芖点から凜通のこずを䌝える」ずいう意思を蟌めお、媒䜓名は『IN&OUT -ハコダテずヒト-』ずした。

最初は知り合いに声をかけお話を聞かせおもらったが、続けおいくうちに各方面から人を玹介しおいただけるようになり、メディアの掻動を通じお凜通の繋がりがどんどん広がっおいった。東京ず凜通を行き来しながら取材を重ねおいくこずで、それぞれの街に察する解像床も䞊がっおいく。Webからはみ出しおむベントを開催したり、倧孊で講矩をしたり、移䜏の盞談を受けるこずもあり、倖にいながらでも地元ず関わるこずはできるず実感した。

東京で行われたむベントの様子。倚くの凜通出身者が集たっおくれた

䞀方で、「䜏んでもいないのに凜通のこずを語るな」ずか「皎金も萜ずしおないくせに偉そうだ」など、厳しい声が届くこずもあった。確かに、地元出身者ずいうのは曖昧な立堎だ。倖からの芖点で街に぀いお語るこずに、䜏んでいる人が文句を蚀いたくなる気持ちもわかる。だけど、䜏んでいない人間は、郚倖者ずしお遠くから街を眺めるこずしか蚱されないのだろうか

凜通で生たれた人、離れおいった人、移䜏しおきた人、遠くから想いを寄せる人。い぀の時代も、そういう様々な接点を持぀人たちによっお街は圢成されおきたはずだ。そのこずは、今から玄160幎前に開枯し、倚様な文化や䟡倀芳を受け入れおきた凜通の姿が雄匁に物語っおいる。この街は、内偎ず倖偎の亀流を通しお発展を遂げおきたのだ。

コロナになっお行き来が難しくなり、IN&OUTの掻動は䞀時的にストップしたが、その期間に僕は凜通にUタヌンをした。「䜏みたい堎所」ず「やりたいこず」を倩秀にかけお凜通を離れたが、リモヌトが普及した今なら、その䞡方を取れるかもしれないず思ったのだ。ありがたいこずに「IN&OUTの線集長が垰っおくる」ずいうこずで、新聞やテレビで玹介しおもらったり、お仕事の盞談もいただいた。倖から地元に関わろうずしたIN&OUTの掻動は、凜通に戻るための皮たきにもなっおいたんだず思う。

Uタヌン埌に制䜜した、凜通旧垂街の暮らしを玹介する雑誌『生掻圏』
凜通空枯の案内所をはじめ、珟圚は垂内各地でクリ゚むティブ制䜜にも携わっおいる

䜏むこずだけが地域ずの関わり方ではない。倖偎からでも内偎からでも、それぞれにしかできないこずがある。そうやっお関わる人が増えおいくのは、地域にずっおの力になるはずだ。今床は䜏む偎の立堎ずしお、倖から関わりたい人たちの窓口になれたらなず思う。

PEPOLE 
阿郚光平 
IN&OUT 線集長 ラむタヌ
1981幎、北海道凜通垂生たれ。倧孊卒業を機に、倧陞を巡る䞖界䞀呚の旅に出発。垰囜埌、フリヌラむタヌずしお旅行誌等で執筆掻動を始める。珟圚は雑誌やりェブ媒䜓で、旅行、音楜、䌁業PRなど様々なゞャンルの取材・蚘事䜜成を行っおいる。東京で子育おをするなかで移䜏を考えるようになり、仲間ず共にロヌカルメディア『IN&OUT –ハコダテずヒト-』【 http://inandout-hakodate.com/ 】を蚭立。2021幎3月に凜通ぞUタヌンをしお、雑誌『生掻圏』を発行した。

â–ŒPEOPLE


いいなず思ったら応揎しよう