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【映画『ギフテッド』】親が子どもを「作品」にしないこと 才能のある子にまず必要なもの

映画『gifted/ギフテッド』を見たあと、僕の中にずっと残った問いがある。

この子は、誰の人生を生きるんだろう。

才能のある子を見ると、大人はすぐに揺れる。
もっと伸ばすべきだと言う人がいる。
このままだと生きづらいから、普通に馴染めるようにしたほうがいいと言う人もいる。

でもその二つは、反対に見えて、よく似ている。
どちらも「この子をどうするか」の話になりやすいからだ。

その話が始まるとき、いちばん置いていかれやすいのは、たいてい本人だ。
僕はその感じを、子どものころ何度も味わった。


自分の話をされているのに、自分だけ机の上から消える感じがあった

大人たちが僕の話をしている。
進路のことだったか、学校での困りごとだったか、細かい中身はもう曖昧だ。
でも空気だけは残っている。

僕はその場に座っていた。
なのに途中から、自分だけいないことになったみたいだった。

この子は頭はいい。
でも協調性がない。
もっと上を目指せる。
いや、まず普通にやれるようにならないと困る。

そんなふうに、僕についての説明が机の上に並んでいく。
賢いとか、困るとか、向いてるとか、向いてないとか。
ラベルだけが増えていく。

僕はそこにいる。
味噌汁もある。茶碗もある。僕の手もテーブルの上にある。
でも、話の中には僕がいない。

自分の話をされているのに、自分だけテーブルの上から消える感じがあった。

あれは、叱られるのとは少し違う。
否定されるのとも少し違う。
もっと変な感じだ。
標本にされる感じに近かったのかもしれない。

大人たちはたぶん本気で心配していた。
この子のためを思っていたんだと思う。
でも、その「この子のため」の会話の中で、僕はだんだん「この子」になっていった。
僕じゃなくて、扱い方の対象になっていった。

それが、すごく苦しかった。

しんどかったのは、厳しかったからだけじゃない

昔はもっと単純に考えていた。
厳しい大人が悪い。
理解のない環境が悪い。
そういう話だと思っていた。

でも今は、もう少し違う形で見ている。

しんどかったのは、厳しかったからだけじゃない。
褒められる方向でも、同じことが起きるからだ。

「この子は特別だ」
「せっかくの力を伸ばさないともったいない」

こういう言葉も、一見やさしい。
でも子どもの側からすると、ときどきかなり重い。
褒められているのに、逃げ場がなくなることがある。

期待に応え続ける役を渡されるからだ。
昨日できたなら今日もできるはず。
できる子なんだから、もっと上へ行けるはず。
その見方が始まると、褒め言葉は拍手じゃなくて持ち場になる。

逆に、

「普通にできないと困る」
「周りに合わせられるようにならないと」

これも現実的な助言に見える。
でも、これもまた別の型にはめる力になりやすい。

伸ばすか、合わせるか。
特別扱いするか、矯正するか。

大人はこの二択で悩みやすい。
でも子どもからすると、どちらも「親の企画」に見えることがある。

ここでいう「作品」とは、親が子どもを愛していない状態じゃない。
愛している。心配もしている。
そのうえで、本人より先に「どう育てるか」が主役になる状態だ。

子育てで先に守るべきなのは、才能の最大化でも、普通への適応でもない。
親が子どもを作品にしないことだ。

僕をいちばん助けたのは、親が僕を作品にしなかったことだった

僕は幼稚園を中退している。
小さいころから、みんなで同じことを同じ順番でやるのがうまくいかなかったらしい。

学校でも、噛み合わなさはずっとあった。
授業の話が長く感じる。
「なんでこんなに回りくどいんだろう」と本気で思っていた。
一方で、周りがなんとなく分かっていることが、僕には分からない。
場に合った言い方とか、暗黙の流れとか、そういうものがよく抜けた。

だから、成績だけ見ると困っていないように見えるのに、暮らしのあちこちではしょっちゅう引っかかった。
こういう子は、大人からするとかなり扱いづらいと思う。
放っておいていいのか。
もっと伸ばすべきか。
どこを直すべきか。
判断しづらいからだ。

その中で、今振り返って大きかったと思うことがある。

親が僕を、何かの成功例にしなかったことだ。

中学3年の進路のとき、僕は家から一番近い高校に行きたいと言った。
理由は、早起きしなくていいからだった。

夕方、学校から持って帰った進路希望の紙を食卓に出した。
先生には、もっと上を狙えると言われていた。
たしかそういう空気も家に届いていた。
でも僕の頭にあったのは、偏差値でも将来性でもなかった。
朝のしんどさと、通学で毎日削られる感じのほうだった。

紙の上にはいくつか学校名が並んでいた。
僕は近い高校を指して、ここがいいと言った。
理由を聞かれて、早起きがきついからと答えた。
自分でも、ずいぶん弱い理由だと思った。

もっと頑張れと言われてもおかしくなかった。
せっかくできるんだからと言われても不思議じゃなかった。
でも親は、そこで僕の人生を立派な話にしなかった。
「じゃあ、そこにするか」くらいの温度で通った。

あれは、今でもかなり大きかったと思っている。

親が僕を「すごい子」として使わなかった。
同時に、「普通にしなさい」と強く握りつぶしもしなかった。
そのおかげで、僕は派手に伸ばされなかった代わりに、壊れずに済んだ。

子どもにとって、先に必要なのは開花じゃない。
破損しないことだ。

「この子のため」が、いつのまにか作品づくりになる

これは親が悪意で子どもを飾り物にする、という話をしたい訳じゃない。
もっと日常的で、もっと善意に近い。

この子の才能をちゃんと伸ばしてやりたい。
この子が将来困らないように、普通にやれるようにしたい。
この子にはもっと合う環境があるはずだ。
この子なら、もっと上に行けるはずだ。

どれも親として自然な気持ちだと思う。
僕も責めたいわけじゃない。
でも、この自然な気持ちが強くなりすぎると、子ども本人より先に「どう育てるか」が主役になる。

すると、本人の今の痛みより、進ませたい方向が前に出る。

自分は苦しいのに「将来のため」と言われる。
自分は嫌なのに「せっかく能力があるのに」と言われる。
自分は分からないのに「普通はこうなんだ」と言われる。

これを積み重ねることの本当の怖さは、反抗が減ることだ。
子どもが静かになる。
聞き分けがよくなったように見える。
でも実際には、自分の感覚を引っ込めているだけのことがある。

それは育ったんじゃなくて、もしかすると彼や彼女の存在が「消えた」のかもしれない。

だから大事なのは、気合いで分かり合うことじゃない。
本人が消えにくい話し方に変えることだ。

この先は、そのために家の中の会話をどう変えるか、僕からの提言だ。


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