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みんなができることができない――「誰でもできる仕事」で心が折れた僕へ

「これはね、誰にでもできる仕事だよ」

高校を出てすぐに働いた鉄工場で、社長はそう言った。僕の仕事は、同じ形の部品を、同じ角度で削り続けるバリ取りだった。

みんなができることができない。そんな自分を、当時の僕は能力のない人間だと思っていた。

でも、三か月で辞めるまでの記憶を測り直すと、僕が止まった条件は、もう少し具体的だった。


「誰でもできる仕事」を、僕だけ三か月で辞めた

高校を出てすぐ、僕は小さな鉄工場でアルバイトを始めた。学校からの就職斡旋を蹴ってまで選んだ仕事だった。まさかあの一言で心が折れるとは思っていなかった。

やったのは、鋳物部品のバリ取りだ。リューターでギュイーンと削って、表面を滑らかにする。最初は少し楽しかった。でも、二日目にはもう地獄が始まっていた。

毎日、同じ形の部品。同じ角度で削る。ひたすら、それだけ。

最初のうちは「この作業は1個に◯分かかるから、あと◯個で休憩だ」と自分に言い聞かせていた。途中からは「バリが何箇所あるか」を数え始めた。それにも飽きて、「バリのある辺は幾つあるか」を数えた。なんとか脳を使おうとしていた。そうでもしないと、思考が空転して壊れそうだった。

社長がたまに様子を見に来て、「ここはこう削れ」とダメ出しをしてくれる。その瞬間、心の底からホッとした。

叱られることより、“作業が中断できること”が救いだったのだ。

でも、そのやり方にも限界があった。気づけば、あれこれ理由をつけてバイトを休むようになった。結局そのバイトは、三か月で辞めた。

当時の僕は、自分のことが本当に情けなかった。

「みんなができてるのに」

「“誰にでもできる仕事”なのに」

その言葉が、棘のように刺さったままになった。

みんなができることができないと、簡単な仕事ほど自分を責める

あれから30年。

僕はいまも、「誰でもできるだろ」という空気に晒されると、無意識に呼吸が浅くなる。その空気が「お前は無能だ」と言っているように聞こえるからだ。

ただ、いま思い返すと、あの言葉と僕の受け取り方の間には、ひとつずれがあった。

社長が言った「誰にでもできる」は、仕事の説明だった。特別な資格も、長い修業期間も要らない。人を募集すれば埋まる。その意味では、正確な説明だったと思う。

僕が聞き取ったのは、そこではない。「これができないなら、お前は誰以下だ」という採点のほうだった。

「簡単な仕事」は、仕事側の説明であって、自分の頭や身体にかかる工程数の説明ではない。

同じ作業でも、変化がないと持たない人がいる。目的が見えないと手が止まる人がいる。中断が挟まれば戻ってこられる人もいる。表からは同じ一工程に見えても、内側で必要な処理の量までは揃っていない。

この二つが入れ替わると、作業がうまくいかない話が、そのまま人間の値打ちの話に変わる。しかも簡単だと言われている仕事ほど、逃げ場がなくなる。難しい仕事なら「難しいからできない」で済む。誰でもできるとされた仕事は、できない理由を自分の中にしか探せない。

だから当時の僕は、いちばん調べるべきだったことを調べていなかった。何ができなかったのかではなく、どの条件で止まったのかだ。

僕が止まったのは、能力ではなく「変化のない反復」だった

いま同じ現場に立ったら、僕はたぶんこう報告する。

変化のない作業を続けていると、手は同じ動きをしているのに、頭だけが空ぶかしを始める。何かを数え、別のことを考え、それでも時間は進まない。表からは淡々と作業しているように見えても、内側では疲労だけが積み上がっていく。

ギアを入れないまま、アクセルを踏み込んでいる状態に近い。回転数だけ上がって、車体は1ミリも進まない。進んでいないのに、燃料はきっちり減っていく。

社会人になって随分経った今は、工夫でこの手の作業もある程度こなせるようになった。でも、終わったあとの疲れ方は変わらない。ただ淡々とやっていただけなのに、全神経を使い果たしたような疲労が残る。

大事なのは、ここで「僕は単純作業ができない人間だ」まで広げないことだ。

あのとき止まったのは、次の条件が揃ったときだった。

  • 同じ形のものが続く

  • 同じ角度で、同じ手順を繰り返す

  • 終わりまで意味の変化がない

  • 順番や方法を、自分で変える余地がない

だから、社長のダメ出しがあれほどありがたかったのだと思う。あれは評価ではなく、変化だった。一度手が止まって、別のことを考えて、また戻る。それだけで次の一時間が持った。

叱られて嬉しい人間はいない。それでも救われていたのなら、足りなかったのは根性ではない。

能力の問題ではなく、止まる条件をまだ読めていなかった。

「できない仕事」を、三つの条件に分けてみる

まずは、これだけでいい。

何かの作業で止まった日に、三行だけ残す。

  1. できなかった作業は何だったか

  2. どの時点で頭や身体が止まったか

  3. 中断・変化・意味づけのどれがあると再開できたか

僕の鉄工場を、この形で書くとこうなる。

作業:同じ部品のバリ取りを続ける
止まった場所:数を数えても時間が進まなくなった頃
戻れた条件:社長が来て、作業が一度中断したとき

これは、自分に向いている仕事を診断する道具ではない。向き不向きを一度の失敗で決めるには、材料が少なすぎる。

このメモが効くのは、次に似た仕事へ入ったときだ。どこに中断を置くか。どこで作業の種類を変えるか。何を確認すれば、この作業の意味が見えるか。そこを事前に考えるための、観測記録になる。

三か月で辞めたあの現場でも、これが一行あれば、辞めるか耐えるか以外の選択肢を、僕は探せたかもしれない。

仕事を変える前に、一つだけ条件を変える

やることは、この四つでいい。

  • 反復作業を、短い単位で区切る

  • 別の種類の作業と交互に置けないか、相談してみる

  • 「あと何個」ではなく、「次にどこで一度止まるか」を先に決める

  • その作業の目的と、品質の基準を確認する

やらないことも、決めておく。

  • 一度の失敗で、自分を「向いていない人間」だと決める

  • 苦痛が消えるまで、根性で続ける

  • 同じ診断名なら、全員が同じ条件で止まると考える

  • 一つの作業ができなかったことを、簡単な仕事は全部できないまで広げる

最小のアクションは、一つだけになる。

次に止まったら、辞めるか耐えるかを決める前に、「何が一度変わると戻れそうか」を一行だけ残す。

みんなができることができないとき、僕たちはまず自分の性能を疑う。でも、性能はその場で上げられない。上げられないものを見ているから、動けなくなる。

先に見るのは、条件のほうでいい。

つまずいた場所は、自分の値打ちが決まった場所ではなく、自分がどこで止まるかを一度だけ正確に測れた場所だ。

30年前のあの工場で、僕はそれを測り損ねた。だから、いまごろ書いている。


補足

ADHDは、現れ方も生活への影響も人によって違う。環境の調整も、その人の状況に合わせて決めるものとされている。この記事に書いたのは、あくまで僕の現場での観察になる。


近い場所の記事を、三本。

この鉄工場の少し前、学校で同じ「みんなができること」に躓いていた頃の話。今回の記事の前編になる。

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