見出し画像

サンドストーム・セブン 43話「灰色の忠誠」

【前回のあらすじ】

港町ベルメールを訪れたセリスとエレナ。
懐かしい街並みを前に、セリスはかつてサーカス団で過ごした日々を語る。
しかし、港の酒場で情報を集めていた二人は、思いがけない人物を目撃する。
それは以前、スカーレット・ムーンで遭遇した帝国のスパイだった。
男がベルメールに現れた目的とは――。

夕暮れの倉庫街。

セリスとエレナは、灰色の上着の男を追っていた。

距離は詰めない。

離れもしない。

男は一度も振り返らなかった。

角を曲がる。

木箱の陰へ消える。

見失ったと思った頃に、また背中が現れる。

セリスの足が止まった。

「エレナ」

「はい?」

「気づかれてるわ」

エレナも足を止める。

「いつからですか?」

「たぶん、最初から」

男は急いでいない。

それなのに追いつけない。

見失うこともない。

エレナが声を潜めた。

「逃げてるんじゃ……」

「ないわね」

セリスは路地の奥を見る。

「誘ってる」

エレナの手が腰の改造銃へ伸びた。

「戻りますか?」

セリスは答えず、男が消えた角を見る。

レオン。

帝国兵。

軍服を着ずに港を嗅ぎ回る者。

そして、スカーレット・ムーンで店長に銃を向けた男。

ここで逃せば、次はないかもしれない。

「行くわ」

セリスは歩き出す。

「でも、私から離れないで」

「はい」

倉庫街の奥。

古びた保管庫の前で、男の足跡が消えていた。

扉が半分開いている。

セリスが口元を歪める。

「ずいぶん親切ね」

「罠ですよね」

「十中八九」

「それでも入るんですか?」

「ええ」

エレナは困った顔をした。

「セリスさんって、意外と無茶しますよね」

セリスが振り返る。

「今さら?」

エレナは黙った。

二人は中へ入る。

油。

木材。

潮の匂い。

積み上げられた木箱。

天井から垂れる縄。

滑車。

吊り荷。

数個のランタンだけが、倉庫を照らしていた。

背後で扉が閉じる。

エレナが振り返った。

誰もいない。

「上よ」

セリスの声。

エレナが顔を上げる。

梁の上に男が立っていた。

灰色の上着。

細身の体。

右手には短銃身のリボルバー。

男は梁から降りる。

着地の音は、ほとんどしなかった。

セリスの目が細くなる。

「相変わらず、嫌な登場の仕方ね」

「お久しぶりです」

「私は会いたくなかったけど」

「それは残念だ」

「店長に銃を向けた男に、会いたがる女がいると思う?」

男は薄く笑った。

セリスが一歩出る。

「名前くらい教えてくれる?」

短い間。

「エドガー・ヴェイル」

男は続けた。

「帝国情報部所属です」

エレナが息を呑む。

セリスは驚かなかった。

「やっぱり帝国ね」

「そこまで分かっていて追ってきたのですか」

「気になったから」

「好奇心は身を滅ぼしますよ」

「昔から治らないの」

ヴェイルの視線がエレナへ移る。

ほんの一瞬。

すぐセリスへ戻った。

セリスは見逃さない。

エレナを脅威とは見ていない。

「レオンを探してるわね」

ヴェイルの眉が、ごくわずかに動いた。

セリスが笑う。

「当たり」

「あなたは厄介な方だ」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

「お好きに」

セリスの笑みが消える。

「レオンを見つけて、どうするつもり?」

「答える理由がない」

「じゃあ、質問を変えるわ」

セリスの声が低くなる。

「帝国は何を隠してるの?」

ヴェイルの右手が動いた。

セリスも同時だった。

二つの銃口が向き合う。

ヴェイルが撃つ。

セリスは身を沈めた。

弾丸が背後のランタンを砕く。

倉庫の半分が闇へ沈む。

セリスも撃ち返す。

ヴェイルが首を傾けた。

弾丸が頬の横を抜けた。

セリスの眉が上がる。

「……今の避ける?」

「あなたほどではありません」

二発目。

セリスは柱の陰へ滑り込む。

「セリスさん!」

エレナが改造銃を構えた。

発砲。

ヴェイルが身を翻す。

弾丸は外れる。

だが、滑車の金具を弾いた。

吊り荷が落ちる。

ヴェイルが横へ跳んだ。

そこへセリスが踏み込む。

ナイフを二本抜く。

一本目。

ヴェイルがかわす。

二本目。

灰色の袖が柱へ縫い止められた。

「捕まえた」

ヴェイルは顔色一つ変えない。

自分の袖へ刃を走らせた。

布が裂ける。

身体だけが抜けた。

セリスの笑みが薄くなる。

「本当に嫌な男」

「光栄です」

ヴェイルが床を蹴った。

速い。

低い姿勢で木箱の陰へ。

次の瞬間にはセリスの横。

革紐が走った。

セリスが頭を下げる。

紐が空を切る。

セリスは吊り縄を掴んだ。

床を蹴る。

身体が宙を走る。

木箱を越え、そのまま梁へ。

ヴェイルも追った。

縄は使わない。

柱を蹴る。

木箱の縁へ足を掛ける。

一息で梁へ上がった。

セリスの目が鋭くなる。

速いだけじゃない。

こちらの着地点まで読んでいる。

「本当にサーカスだったんですね……」

下からエレナの声。

セリスが蹴りをかわす。

「今、納得するところ?」

ヴェイルの拳が飛ぶ。

セリスが腕で受ける。

痺れた。

次の一撃。

ナイフ。

セリスが身を反らす。

刃先が髪を掠める。

笑っている場合ではない。

強い。

ヴェイルが手首を取る。

身体を捻った。

セリスが梁から落ちる。

だが、空中で縄を掴んだ。

そのまま振り子のように戻り、ヴェイルへ蹴りを叩き込む。

ヴェイルが腕で受ける。

二人が同時に床へ降りた。

エレナは息を呑む。

セリスは大きく空間を使う。

ヴェイルは最短で動く。

まるで違う。

なのに。

どちらも速い。

ヴェイルの銃口が、エレナへ向いた。

セリスの顔色が変わる。

「エレナ、伏せて!」

銃声。

エレナが床へ飛び込んだ。

弾丸が背後の木箱へ食い込む。

転がる。

膝をつく。

すぐ改造銃を構えた。

狙う。

引き金。

ヴェイルはもういない。

「え……?」

背後。

肩を強く押された。

エレナの身体がよろめく。

振り返った時には、ヴェイルは数歩先にいた。

細いナイフを持っている。

エレナの頬に熱が走った。

指で触れる。

血。

息が詰まる。

「下がっていなさい」

ヴェイルの声は冷静だった。

怒っているわけでもない。

馬鹿にしているわけでもない。

ただ。

脅威ではないと判断された。

ヴェイルはセリスへ向き直る。

エレナは唇を噛んだ。

悔しい。

怖いより、そっちが強かった。

ヴェイルが踏み込む。

セリスがデリンジャーを撃った。

ヴェイルは頭を振ってかわす。

もう一発。

柱の陰へ消えた。

セリスは空になった銃を収め、ナイフを抜く。

ヴェイルも刃を構えた。

金属音。

一度。

二度。

三度。

ヴェイルの刃がセリスの頬を掠める。

セリスのナイフは上着だけを裂いた。

「やるじゃない」

「あなたも」

セリスが木箱を蹴った。

高く跳ぶ。

だがヴェイルは追わない。

着地点へ向かう。

セリスが気づく。

遅い。

足を払われた。

体勢が崩れる。

革紐が右手首へ絡んだ。

引かれる。

ナイフが落ちる。

腕を背後へ取られた。

セリスの膝が床につく。

リボルバーの銃口が後頭部へ押し当てられた。

「終わりです」

セリスが動きを止める。

まずい。

本気で思った。

エレナの心臓が跳ねる。

改造銃では間に合わない。

別の物へ手を伸ばす。

背中の小型機関。

試作品。

圧力計の針が震えている。

実戦で使う予定はなかった。

制御も不完全。

それでも。

「セリスさん!」

ヴェイルがエレナを見る。

エレナはレバーを握った。

「下がっていなさい」

「嫌です」

セリスが装置へ目を向ける。

「エレナ?」

「試作品なんですけど……」

「嫌な予感しかしないわ」

エレナが息を吸う。

「私もです」

「待って」

レバーを引いた。

蒸気が爆ぜる。

白煙が広がった。

エレナの身体が弾かれる。

一直線。

「きゃああっ!」

ヴェイルの目が初めて大きく開く。

速い。

避けきれない。

エレナの肩が銃腕へ突っ込んだ。

リボルバーが飛ぶ。

革紐が緩む。

セリスが抜けた。

「エレナ!」

しかし。

エレナは止まらない。

目の前に木箱。

「ちょ、ちょっと――!」

衝撃。

木箱が崩れた。

白い蒸気だけが残る。

「エレナ?」

返事がない。

セリスの顔から笑みが消える。

「エレナ!」

木箱の下から手が上がった。

「……生きてます」

セリスの肩から力が抜けた。

エレナが這い出てくる。

髪はぼさぼさ。

額には木くず。

「今の何?」

「スチーム・バーストです」

「蒸気?」

「圧縮蒸気を一気に後ろへ噴射して――」

セリスが崩れた木箱を見る。

「止まれないの?」

エレナが黙る。

「……まだ」

セリスも黙った。

「帰ったら改良して」

「はい……」

ヴェイルが立ち上がる。

リボルバーは拾わない。

装置だけを見る。

「見事です」

エレナが身構える。

「ただ」

ヴェイルが一歩出た。

「直線にしか進めない」

エレナの表情が固まる。

「発動後の方向転換もできない」

さらに一歩。

「そして止まれない」

短い間。

「二度目は通じません」

見抜かれた。

エレナの指が僅かに震える。

セリスがナイフを拾った。

「分析が早すぎる男も嫌われるわよ」

「よく言われます」

再びぶつかる。

今度は近い。

肘。

拳。

刃。

セリスが斬る。

ヴェイルは手首の動きだけでかわす。

革紐。

セリスの足へ絡む。

引かれる。

倒れながらナイフを投げる。

ヴェイルが横へ避けた。

「今です!」

エレナが改造銃を撃つ。

ヴェイルが頭を下げる。

弾丸が後ろの木箱を砕いた。

「外した……!」

「いいえ」

セリスが立ち上がる。

「それでいい」

ヴェイルが周囲を見る。

左。

崩れた木箱。

右。

吊り荷。

後ろには柱。

少しずつ逃げ道を削られている。

ヴェイルはすぐに動いた。

木箱へ足を掛ける。

柱を蹴る。

一気に梁へ。

エレナが銃口を上げる。

発砲。

ヴェイルはかわした。

弾丸が滑車の金具へ当たる。

縄が外れた。

吊り荷が落ちる。

ヴェイルは空中で身体を捻った。

別の縄を掴む。

反対側へ着地。

エレナが息を呑む。

セリスも目を細めた。

「……やるわね」

「あなたに褒められるとは」

「嬉しい?」

「まったく」

「でしょうね」

セリスが走る。

ヴェイルも来る。

今度はヴェイルの方が速い。

懐へ。

拳。

セリスが受ける。

ナイフが弾かれた。

腕が首へ回る。

背中が柱へぶつかる。

ヴェイルが袖から小型拳銃を抜いた。

銃口が顎へ向く。

エレナがレバーへ手を置く。

ヴェイルが横目で見る。

「同じ手は通じません」

エレナの指が止まった。

真っ直ぐしか進めない。

避けられる。

その先は壁。

「エレナ」

セリスの声。

エレナが顔を上げた。

「私を見て」

苦しいはずなのに、セリスは笑っている。

「信じて」

エレナは一度だけ息を吸った。

震えが止まる。

改造銃を構えた。

発砲。

ヴェイルが反応する。

銃弾が足元の板を砕いた。

僅かに重心がずれる。

「今!」

エレナがレバーを引く。

蒸気が爆ぜる。

一直線。

ヴェイルは横へ跳んだ。

読んでいた。

そのはずだった。

セリスの指から、ナイフが飛ぶ。

革紐を切った。

腕が自由になる。

ヴェイルが着地。

その前にセリスがいた。

肘。

銃腕を弾く。

小型拳銃が落ちた。

ヴェイルが反撃する。

セリスがかわす。

手首を取る。

腰を沈める。

ヴェイルの身体が床へ落ちる。

しかし、片手をついて踏みとどまった。

脚がセリスを狙う。

セリスが跳ぶ。

そこへ銃声。

エレナ。

弾丸がヴェイルの足元へ突き刺さる。

動きが止まった。

ほんの一瞬。

セリスのナイフが喉元へ届く。

ヴェイルの身体が止まる。

静寂。

二人の呼吸だけが聞こえた。

やがてヴェイルが息を吐く。

「……負けました」

セリスはナイフを離さない。

ヴェイルはエレナを見る。

「訂正しましょう」

「何をですか?」

「あなたを見誤った」

エレナは返事に困った。

セリスが口元を上げる。

「私の仲間を甘く見ないことね」

「覚えておきます」

ヴェイルの笑みが消える。

「次があれば」

セリスの目が僅かに動く。

その意味を尋ねる前に、ヴェイルは視線を逸らした。

セリスは落ちていたリボルバーを拾う。

「さて」

ヴェイルを見る。

「今度は、あなたが話す番よ」

ヴェイルは木箱へ背を預けて座っていた。

セリスは正面。

銃は下げない。

エレナは壊れかけたスチーム・バーストを外した。

小さく蒸気が漏れている。

ヴェイルが口を開いた。

「一つ確認させてください」

「何?」

「レオン様を見つけたら、帝国へ引き渡しますか?」

セリスは即答する。

「本人が望まないなら、しないわ」

「たとえ帝国の人間でも?」

「レオンはレオンでしょう」

ヴェイルが黙る。

セリスの目を見る。

嘘を探している。

やがて。

「……そうですか」

声が僅かに変わった。

セリスは気づく。

この男は今、何かを決めた。

「レオンはどこ?」

「知りません」

「帝国情報部なのに?」

「帝国情報部だからこそ、分かることもある」

ヴェイルが目を上げる。

「帝国もレオン様の居場所を掴めていない」

エレナが近づいた。

「では、なぜベルメールへ?」

「命令です」

「誰から?」

「アウグスト・フォン・アイゼン元帥」

セリスの表情が変わる。

ヴェイルは続ける。

「命令は二つ」

一呼吸。

「ブラック・ジャッカル計画を潰した者たちを探せ」

そして。

「レオン様の居場所を突き止めろ」

エレナがセリスを見る。

ブラック・ジャッカル。

だが、誰が計画を潰したのかは分からない。

仲間たちが今どうしているのかも。

セリスは聞かなかった。

「アウグストは、なぜそこまでレオンを?」

ヴェイルの顔が曇る。

「レオン様だけではない」

「どういうこと?」

返事まで少し間があった。

「最高指導者アルドリック・フォン・アイゼンは、現在アウグスト元帥の監視下にあります」

エレナの手が止まった。

「監視……?」

「表向きは療養です」

ヴェイルの指が膝の上で動く。

「部屋もある」

「食事も出る」

「医師も付いている」

一度、目を閉じる。

「ただ、自由はない」

セリスの目が細くなった。

「人質ね」

ヴェイルは否定しない。

エレナが恐る恐る尋ねる。

「最高指導者は……ご無事なんですか?」

ヴェイルの表情が崩れた。

ほんの僅か。

「生きておられます」

間が空く。

「今は」

エレナの顔が強張った。

ヴェイルは目を伏せる。

「少しずつ、毒を盛られている」

「……毒?」

エレナが息を呑む。

「噂は……本当だったんですね」

ヴェイルが顔を上げた。

「何を聞いた?」

「最高指導者が病に伏せているって」

エレナは言葉を選ぶ。

「最近、公の場にもほとんど姿を見せないって……」

ヴェイルは首を振った。

「病ではない」

声が低くなる。

「突然亡くなられれば、誰もが疑う」

セリスの目が冷える。

「だから、少しずつ?」

「ええ」

ヴェイルの拳が握られた。

「時間をかけて弱らせる」

「病死に見せるために」

エレナの唇が開く。

だが、声が出ない。

セリスが尋ねた。

「誰が?」

ヴェイルは迷わなかった。

「アウグスト元帥です」

倉庫の外から、波の音が聞こえる。

「それを知っていて、あいつの命令を?」

セリスの声は冷たかった。

ヴェイルの目が鋭くなる。

「従ってなどいない」

初めてだった。

その声に、怒りが出た。

「私は、あの男に仕えているわけではない」

セリスは黙って聞く。

「すべてはアルドリック様のためです」

「命令を断れば?」

ヴェイルの拳が震えた。

「毒を増やすと言われた」

エレナが目を見開く。

「そんな……」

「だから動いた」

ヴェイルは歯を食いしばる。

「ブラック・ジャッカル計画を潰した者たちを探した」

「レオン様を探した」

「何か一つでも持ち帰れば、時間を稼げると思った」

セリスは銃口を僅かに下げる。

「アルドリックは、あなたにとって何なの?」

ヴェイルはしばらく答えなかった。

やがて、疲れたように笑う。

「昔の私は、誰にも名前で呼ばれなかった」

エレナが顔を上げる。

「アルドリック様だけです」

ヴェイルの声が柔らかくなる。

「初めて会った時から」

僅かに目を細める。

「あの方だけは、私をエドガーと呼んだ」

セリスは何も言わない。

「兵士としてでも」

「密偵としてでもない」

「一人の人間として扱ってくださった」

ヴェイルは視線を落とす。

「兵士にも、使用人にも、身寄りのない子どもにも」

「あの方は同じように笑う」

エレナが小さく口を開いた。

「ヴィクトリアさんも言っていました」

ヴェイルが顔を上げる。

「最高指導者は、とても優しい方だって」

ヴェイルの目が僅かに揺れた。

「……そうですか」

その一言だけだった。

けれど、張り詰めていた表情が少し緩む。

「昔から、変わらない方です」

セリスは黙っていた。

ヴェイルの声だけは、嘘に聞こえない。

「だから私は、あの方に仕えた」

セリスが尋ねる。

「毒を止める方法は?」

ヴェイルは答えない。

「エドガー」

初めて、セリスがその名を呼んだ。

ヴェイルの目が動く。

長い沈黙。

「最近、量が増えている」

エレナの指先が止まった。

「どれくらい……持つんですか?」

ヴェイルは俯く。

答えない。

その沈黙で分かった。

「アルドリック様には、もう時間がない」

セリスは銃を下ろした。

「このことは仲間に伝える」

「そうしてください」

「レオンも探す」

ヴェイルが顔を上げる。

「ただし」

セリスは続ける。

「あなたの話を全部信じたわけじゃない」

ヴェイルの口元が僅かに動く。

「それでいい」

「スパイの言葉を全部信じるほど、素直じゃないの」

「安心しました」

短い静寂。

ヴェイルの右手が上着の内側へ入る。

セリスが銃を上げた。

「動かないで」

ヴェイルが取り出したのは、小さな隠し銃だった。

エレナの顔から血の気が引く。

「ヴェイルさん……?」

銃口は二人へ向かない。

セリスが理解した。

「やめなさい」

「私が生きて戻れば、元帥は疑う」

「なら戻らなければいい」

ヴェイルは首を振った。

「情報部は、失踪者を放置しません」

セリスが一歩近づく。

「だからって――」

「私が捕らえられたと知られれば」

ヴェイルの目が陰る。

「次に疑われるのは、アルドリック様です」

エレナも一歩出た。

「まだ方法は――」

ヴェイルがエレナを見る。

穏やかな目だった。

「あなたは、優しい方ですね」

エレナの足が止まる。

ヴェイルはセリスへ視線を移した。

「……あなたで良かった」

セリスの眉が寄る。

「何の話?」

ヴェイルは答えない。

ほんの少し笑った。

「最後に一つだけ」

セリスの顔色が変わる。

「エドガー」

ヴェイルの声が僅かに震えた。

「アルドリック様とレオン様を頼む」

「やめなさい!」

エレナが手を伸ばす。

乾いた銃声。

小さな銃が床へ落ちた。

エレナの手が宙に残る。

ゆっくりと下がった。

「……どうして」

セリスは答えなかった。

許したわけではない。

スカーレット・ムーンで店長を人質にしたことも。

密偵としてしてきたことも。

消えない。

それでも。

最後の言葉だけは、偽物には聞こえなかった。

セリスは床に散った書類を拾った。

帝国情報部の印章。

レオンについて集められた断片的な記録。

そして。

アルドリック・フォン・アイゼンの名が記された報告書。

エレナが隣へ来る。

「持って帰りましょう」

「ええ」

セリスは書類を鞄へ入れた。

立ち上がる。

「みんなに知らせるわ」

エレナは一度だけ、ヴェイルを振り返った。

それからセリスの後を追う。

二人は倉庫を出た。

夜のベルメール。

港の灯りが、海面で揺れている。

その向こうには帝国旗。

セリスは一度も振り返らなかった。


第43話 完

⚫️紀霊スズヤのひと言コーナー

今回は、エレナの新しい発明品を登場させることができました。
これからも、エレナがどんな発明品を作るのか楽しみにしていただけたら嬉しいです。
😊
また、「こんな発明品があったら面白そう!」というアイデアがありましたら、ぜひ教えてください!
🙏

感想やコメントなど、お気軽にいただけると嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!