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しょーもない大人のみなさんへ


noteを始めてよかったこと。それは、note内におもしろい人が多すぎて、「大人ってみんな外では真面目な顔をして、じつは心の中ではしょーもないことばっかり考えているのかもな」と思うようになったことである。



「男なんて、所詮はみんな大人のふりしてるだけのガキなのよ」というようなセリフを昔読んだことがあるが、「男」の部分を「大人」に変えても使えそうだ。お前が言うなって話だが、しょーもない記事書いてる人、いっぱいいるなーと呆れる。そういうのを読んでは、「貴重な脳のリソースをこんなことに…」と思うともう笑いが止まらない。「大人なら、ほかにもっと考えなきゃいけないこといっぱいあるだろ!」と心の中でつっこみつつ、でも読まずにはいられない。あはは、もう大好き。



そんな愛すべきしょーもない記事を読むことを日課にしていると、日常生活でもしょーもないことばっかり考えるようになる。もともとその気はあったのかもしれないが、「しょーもないことを拾うセンサー」が敏感になったようだ。



ところで、今はこんなに日々自分のしょーもない思考を垂れ流している私だが、じつはこれまでの人生で日記というものをつけたことがない。それをちょっと後悔している。後から読み返したらおもしろかっただろうになーと。



正確には、日記をつけたことがないというよりは、何度も挑戦はしたのだ。でも毎回秒で飽きていた。三日坊主は3日続けただけ偉いとさえ思う。こっちは2日目には飽きていた。



小学校の宿題で毎日日記を提出していた年度があり、あれは楽しかった。クラスの中には「毎日そんなに書くことない」「日記の宿題つらい」という子たちも多くいたが、私は大好きな宿題で、毎日学校から帰ったら嬉々として取りかかっていた記憶がある。



同じ日記でも、先生という読んでくれる人のいる日記と、自分だけが読む日記とでは楽しさが違うのだと知った。先生からのコメントも嬉しかった。とても優しい先生で、大人の先生にしてみたら取るに足らないようなショボい内容でも、いつもどこかしら褒めるところを見つけてコメントを書いてくれていた。
(私たちの世代はひとクラス40人近くもいたのに、毎日読んでコメントを書いてくれていた先生はすごいと思う。)



noteもこれと似ている。こんなどこの馬の骨とも知れぬ人間のしょーもない日記を読んでくれる人がいて、コメントを書いてくれる人がいて、さらに上手のしょーもなさで楽しませてくれる人がいる。そして、ふだんは全然しょーもなくない素敵なお話の数々を執筆している人が、時々しょーもない記事やしょーもないコメントを書いているのを見るとキュンとなる。そういう方たちは、なまじ表現力があるせいで、しょーもなさにも磨きがかかっている気がする。 






ほんと、みんなしょーもないんだから…笑
そんなしょーもないnote民のみなさん、いつもありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
(もう正月おわったけど言いたくなったんです。)



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